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世界中の女子が夢中! 料理を「義務」から「楽しさ」に変えるレイチェル・クーが見せる夢とは?

阿古真理作家・生活史研究家
『レイチェル・クーのキッチンノート おいしい旅レシピ』出版記念トーク&サイン会。

 9月7日、代官山蔦屋書店で新刊発売を記念して開催された、著者のレイチェル・クーが登壇するトークイベント。8月中旬に店頭で告知し、同店料理フロアのインスタグラムで紹介したところ、わずか3日で60席が完売した。

 その後も同店には、毎日20件ほど「キャンセルはありませんか」「立ち見でもいいんですが」といった問い合わせが続く。さらに、当日はイベント会場隣の売り場にも、レイチェル・クーを一目見たいという女性が20人ほど集まっていた。同店料理書担当のコンシェルジェ、戸木田直美さんは「『わあ、動いてる』といった声を上げる女性もいました」と話す。来場者は、おしゃれなファッションに身を包んだ20~30代の女性が中心で、中には母親に付き添われた10歳の少女もいた。

 若い女性に、そんな熱狂的な人気を誇るレイチェル・クーとはいったい何者なのか? 一言で言うと、イギリス育ちのフードライター兼料理研究家である。インスタグラムでも情報発信しているので、日本でもファンはいたが、人気に火がついたのは2016年3月から、料理番組「レイチェルのパリの小さなキッチン」シリーズがNHK Eテレで放送されてからと考えられる。楽しそうに、インスタ映えする料理を作る彼女は、女性が料理する際につきまとう義務感から解放されているように見える。なぜ彼女は、そんな自由に料理ができるのだろうか?

代官山蔦屋書店で開かれた出版記念トーク&サイン会では、多くの女性ファンが集った。
代官山蔦屋書店で開かれた出版記念トーク&サイン会では、多くの女性ファンが集った。

最大の魅力は、インスタ映えするかわいさ

 レイチェルの人気は世界的だ。彼女が出演する料理番組は世界150か国で放送されている。また、彼女の本は世界16か国で50万部を売るベストセラーである。人気の秘密はどこにあるのか。まずは、最初に出演した番組「レイチェルのパリの小さなキッチン」から探ってみよう。

 料理番組とは、キッチンスタジオで作り方を紹介するもの、と思っている人は先入観が覆されるだろう。食をテーマにしたジャーナリスト、フードライターでもあるレイチェルの番組は、キッチンだけが舞台ではないからだ。パリのマルシェで魚屋に聞いた魚の選び方を紹介したり、パン屋でバゲットを作る工程を教わるコーナーもある。旅番組と料理番組、両方の魅力が味わえるのだ。

また、イギリスの料理番組は、基本的に料理研究家が一人でしゃべるので、トークの巧みさも問われる。レイチェルはどうか。例えば、鱒を料理用の紙に包んでオーブンで焼く、「マスのパピヨット」を紹介するコーナーを見てみよう。レイチェルが魚にマリネ液を塗り、中に茹でたジャガイモとハーブのフェンネルのスライスを挟んだのち、「ポロネギや赤タマネギでも構いません。ただし水分が少ない野菜にしてね。そうじゃないと野菜からたくさん水分が出て、魚がその中にどっぷり漬かってしまう……泳いじゃう!」などと笑いを誘う。

 しかし、最大の魅力は、番組の何もかもが女子の心をわしづかみにするかわいさにあふれていることだ。写真でもわかるとおり、レイチェル自身がキュートでファッショナブル。エプロンをしないで、毎回番組でビビッドカラーのシャツや、水玉のワンピースなどで登場。番組中にも何度も服が替わる。

 道具類を筒に立てておいてさっと取って使う。キッチンの中に置いてある植木鉢からハーブをちぎって使う。使いやすいだけでなく、スタイリングもおしゃれなパリのキッチンの壁には、南欧風の模様が描かれたタイルが使われている。

 提案する料理もかわいく、アイデアに満ちていて、おしゃれだ。新刊の『レイチェル・クーのキッチンノート おいしい旅レシピ』では、ひと工夫した楽しい料理がたくさん紹介されている。ズッキーニをリボン状にスライスしてパスタに見立てた、「ズッキーニのリングイネ、冷凍グリーンピースとディルのペースト」という料理がある。レモン果汁・砂糖・卵・塩・無塩バターで作ったジャムのような「レモンカード」を中に入れてオーブンで焼く「レモン溶岩ケーキ」は、カットすると、生地の中からレモンカードがとろりと流れ出す。

新刊『レイチェル・クーのキッチンノート おいしい旅レシピ』(世界文化社)
新刊『レイチェル・クーのキッチンノート おいしい旅レシピ』(世界文化社)

 基本をきちんと踏まえたうえでの自由なアレンジは、ヨーロッパ各地に出向いて現地をルポし、そこで教わった料理をもとにアレンジを披露する番組「レイチェルのおいしい旅レシピ」でも、いかんなく発揮されている。こちらはNHK Eテレで2017年に放送された。

発想力の謎を解く鍵は、多彩な経歴にあり

 なぜレイチェル・クーは、そんなにおしゃれで発想が自由なのだろうか。背景には彼女自身の経歴があると考えられる。1980年生まれで、イギリス・外部ロンドンのクロイドン出身。ロンドンの名門芸術大学セントラル・セント・マーティンズ・カレッジでグラフィックとウェブデザイン、写真を学んだ。

 大学卒業後、アパレル会社に就職するが、フランス菓子好きが高じてパリに移住し、ル・コルドン・ブルーで学ぶ。その後、自宅で小さなレストランを開店して話題となり、2012年にイギリスBBCで放送されたのが「パリの小さなキッチン」だ。

 彼女のセンスの良さは、アートを学んでアパレルに就職した経歴からうかがえる。また、異分野から料理の世界に入ったが、一流の料理学校で学んでいるので、基本を踏まえながら自由な発想ができるのだと思われる。前述の新刊には、「私の料理本の作り方は、芸術大学で学んだ創作の実習によく似ています。どちらも、まず入念にリサーチをして、思いついたアイデアをノートに書きとめ、それをもとに実験や試作を繰り返し、完成に至ります」とある。簡単で楽しそうに見える料理には、きちんとした裏づけがあるのである。

 国際色豊かな生い立ちも、幅広い視野を培ったと思われる。父はマレーシア人、母はオーストリア人。イギリス育ちだが、10代にはドイツ・バイエルンでも暮らした。パリには8年間暮らし、現在は家族とスウェーデンに住んでいる。豊かなグルメ都市に変貌したロンドンの街からも、インスピレーションを受けている。

 さらに、本人が旅好きで、世界各国で食べ歩いた経験もある。同書には、レイチェルが旅した都市のスナップも紹介されている。ストックホルム、ワルシャワ、マルセイユ、イスタンブール、ニューヨーク。今回の日本滞在でも、タイ焼きやラーメン、とんかつなどを楽しんだことが、彼女のインスタグラムで紹介されている。

義務感から解放された料理番組

 レイチェル・クーが日本の若い女性の心をわしづかみにできたのは、センスが良く、キュートで知性と発想力が豊かだからである。しかし、もう一つ日本の女性を魅了したと思われるポイントがある。それは、女性が料理することに伴う義務感から自由に見えることだ。

 「レイチェルのパリの小さなキッチン」は、毎回レイチェルのこんなナレーションで始まる。「フランス料理は難しいって思われがちだけど、そんなことはありません。私はフランス料理を簡単に、そして楽しくアレンジしちゃうの」。

 彼女の料理にあふれているのは、「楽しさ」だ。そこにいるのは、夫や子供のためにかいがいしく働く主婦ではない。栄養のバランスばかりに気を取られるのではなく、ひたすら時短を試みるわけでもない。手間がかかる料理を紹介することもしばしばだが、ビジュアル的に映える仕上がりを求めることを、彼女は「楽しい!」と言い切る。

 もちろん、簡単に手間がかからないレシピは、時間がない人たちにとっては必要な情報である。家族のために料理で健康づくりを考えることも大切だ。しかし、そういう実用情報ばかりでは疲れるときもある。メディアは夢を売る商売でもあることを考えると、レイチェル・クーは、若い女性たちがみたい夢を見せてくれるのである。ますます人気が高まっていきそうなレイチェル・クー。彼女の料理の世界が多くの人を魅了することによって、家庭のキッチンのありようを変えていくのかもしれない。

 

10月1日23時から特別番組で「レイチェルの旅ときどきキッチンin TOKYO」。8日23時から毎週月曜日、「レイチェルのキッチンノート~おいしい旅レシピ」シリーズが放送される(ともにNHK Eテレ)。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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