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JAXAの宇宙におけるストレス研究で生じた不適切行為は何が問題だったのか

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
実験が行われた閉鎖環境施設 Credit: JAXA

2022年11月25日、JAXAは6年前に実施された「長期閉鎖環境(宇宙居住環境模擬)におけるストレス蓄積評価に関する研究」で研究データの捏造や改竄にあたる行為があったことを発表した。研究は2015年に一般から42名の参加者を募集し、2016~2017年中に2週間にわたって外界と隔絶された閉鎖空間で生活してもらった上でストレス状態を評価したというものだ。閉鎖環境施設での滞在には一般から約1万1000人もの応募者があり、大きな注目を集めた研究だったが、「科学的妥当性も確認されていない状態で研究が開始され(JAXA報告書より)」論文などの成果を出すこともできないまま2019年に研究は中止された。25日に行われたJAXA記者会見と報告書から、研究の経緯と問題点を解説する。

将来の火星探査に備えて……長期閉鎖環境でのストレス状態を測定

JAXAが25日に公開した「『長期閉鎖環境(宇宙居住環境模擬)におけるストレス蓄積評価に関する研究』で発生した不適切な研究行為に関する調査結果及び再発防止に向けての取組みに関する報告書」によれば、研究は将来の月・火星などの有人惑星探査や国際宇宙ステーション(ISS)での宇宙飛行士の健康管理向上を目的としてはじめられたものだ。

2016年2月から2017年12月まで筑波宇宙センターに設置された閉鎖環境施設には、40名※の一般から募集選抜された研究対象者(以下、被験者)が5回にわたって滞在した。被験者は心拍や唾液、尿や血液などの生理学的検査を受け、滞在時の行動や睡眠時間などの活動状態が測られた。滞在後には2名の研究者による被験者の面談が行われ、面談内容もデータとして評価の対象となった。

※一般募集からの採択者は42名。うち2名が辞退したため、実際の被験者は40名

2017年末に実施された第5回の試験時に、血液サンプルの取り違えが発生。取り違えの問題を調査した際に不適切な行為が次々と明らかになった。報告書で公開された不適切な行為は多数ある。

  • 被験者との面談を記録した録画が確認されていない、裏付けのないデータが作成された(データ捏造にあたるとみられる行為)
  • 被験者との面談の記録にあった評価内容を鉛筆で書き込んだり、適切な変更の記録なく書き換えたものが数多くあった(データの改竄にあたるとみられる行為)
  • 本来ならば実験の計画時に決められているべき、被験者との精神心理面談を評価する方法が確立されておらず、科学的妥当性も確認されていないまま研究が始められていた。
  • データの記入漏れ、計算ミスが多数あった。
  • 研究ノートがほとんど作成されていなかった。
  • 医学研究に必要なモニタリングや研究機関長の実施決定手続きがされていなかった。
  • 一部の試験の際に、心電図の計測の手法の変更にあたって被験者の同意を得るインフォームド・コンセントを実施した客観的記録がなかった。

こうした不適切行為、一般の感覚では研究不正と呼ぶしかない行為が明らかになったことから、2019年に理事長の判断で研究は中止された。翌2020年には、研究チームの取りまとめを受けて、「人を対象とする研究開発倫理審査委員会」(以下、倫理審査委員会)と、医学研究の科学評価を行う外部諮問委員会である「有人サポート委員会宇宙医学研究推進分科会」(以下、分科会)が合同で評価を実施。倫理審査委員会と分科会からの指摘のもとで、2021年に第三者からの調査も受けた上で、2021年から2022年まで報告書がまとめられ、厚生労働大臣、文部科学大臣へ報告書が提出された。

JAXAの佐々木宏 有人宇宙技術部門長は、今後は関係者への処分も行うとの方針を明らかにした。

古川聡宇宙飛行士の責任は

報告書では、「責任者」として研究者A、B、Cの3名が挙げられている。このうち研究者Bは古川聡宇宙飛行士であることがわかっている。古川宇宙飛行士は、実際に閉鎖環境施設での試験や被験者との面談といった研究の実務を担当しているわけではなく、責任は監督者としてのもの、との説明がなされた。また研究者としての資質と宇宙飛行士としての資質は異なるとの見解から、2023年以降のISS滞在の予定に変更はないという。

確かに、古川宇宙飛行士は不正なデータ作成などに直接関与したわけではないと考えられる。データの捏造や改竄にあたる行為は、2名の研究者が「十分に研究の時間が取れず」(佐々木部門長)、体制や環境が整わないまま研究がスタートしてしまったことから生じたという趣旨の説明があった。記者会見時の説明からも悪意を持って行われたものではないとの印象は確かに受けている。

ただし、不十分な環境から生じた過ちであったとしても、古川宇宙飛行士の一定の責任はあると考えられる。なぜならば、研究計画を策定する2015年までの段階で、計画の不備を指摘されながらも対応できていなかったという経緯があるからだ。「このままでは適切に研究を進められない」という認識は、JAXA内部にあったはずだ。

報告書では、分科会が2015年に試験の計画を2回「不承認」としたことが記載されている。科学的正当性の審査は実質的に分科会が担っており、最終的には計画は承認されているものの「継続妥当となった場合でも多くの重要な指摘事項があったが、それらの指摘事項を担保する仕組みが無かった」(JAXA報告書より)という。

佐々木部門長は会見で、研究を進めるに当たっての課題を指摘されたものの、「必要なアクションをフォローする体制が作れず、そのまま進んでしまった」と回答した。重要な指摘は指摘されたのみで終わってしまい、責任者としてそのことを把握していたはずの古川宇宙飛行士にも適切な対応はできなかった。

結果として、研究は成果を出せないまま終わってしまった。このことで、5年間で約1.9億円の研究費の問題がまずある。1.9億円のうち、9600万円は文部科学省の科学研究助成事業(科研費)から支出されており、国から支給された研究資金が適切に使われなかったことになる。JAXAは今後、科研費の返還などについても検討する方向だ。

それだけでなく、被験者に対する倫理的な責任について指摘したい。40名の被験者は、2週間という短くない期間を研究に提供し、採血などの侵襲的な検査にも耐えている。こうした大きな負担は、将来の有人宇宙探査に資すると考えたからこその応募だったのではないだろうか。何の成果にもつながらなかった、しかもそうなる可能性は当初から指摘されていたにもかかわらず研究が進められた、という事実は被験者にとっては大きな心理的負担となるのではないか。

JAXAは被験者(研究対象者)への相談窓口を設けて今後の対応に当たるとしている。対応結果など、より詳細な最終的な報告書を作成、公表するべきだと考える。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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