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中国、嫦娥5号の月面サンプルから核融合材料「ヘリウム3を取り出しやすい形で発見」と論文発表

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
嫦娥5号の着陸地点 Credit: NASA/Moon Trek.

2020年12月に中国の月探査機「嫦娥5号」が持ち帰った月面のサンプルの分析から「『ヘリウム3』が鉱物表面のガラス質の気泡に閉じ込められた状態で豊富に存在する」との論文が公開された。ヘリウム3は将来の核融合のエネルギー源として期待され、地球よりも月面に豊富に存在すると見られている。しかし鉱物と結びついた状態で存在し、取り出すためには表土を高温で大量に処理する必要があると考えられていた。論文では、「イルメナイト(チタン鉄鉱)」表層の気泡に含まれるヘリウム3はすりつぶして取り出せることを示唆しており、これまでの想定よりも資源化しやすい可能性がある。一方で、論文の公表を急いだ様子もみられ、将来の月面資源の獲得競争で一歩先んじていることを印象付けたいとの思惑もうかがわせる。

嫦娥5号のミッション Credit: ESA
嫦娥5号のミッション Credit: ESA

中国は2020年に月着陸探査機「嫦娥5号」を打ち上げ、月の海の中でも最も広い「嵐の大洋」のリュムケル山に着陸、およそ1.7キログラムの月面サンプルを採取して持ち帰ったサンプルの一部は2021年9月に広東省東莞市の材料科学研究施設「松山湖材料実験室」に引き渡され、物質分析が進んでいた。

松山湖材料実験室と英国物理学会傘下の学術出版社「IOP出版」が運営する材料科学の専門誌「Materials Futures」に、5月31日付けで「Taking advantage of glass: Capturing and retaining of the helium gas on the moon」という嫦娥5号の月面サンプル中に含まれるヘリウムの状態と推定量に関する論文が公開された。

研究者らは嫦娥5号が持ち帰った月面のレゴリス(パウダー状の砂)中に6パーセントほど含まれたイルメナイトの粒子を分析。イルメナイトの表面にはガラス化した層があり、ガラス層の気泡中にヘリウムが閉じ込められていることがわかったという。

論文によれば、イルメナイトの気泡中には、「ヘリウム3」と「ヘリウム4」が閉じ込められ、二つの同位体の比率と月面のイルメナイトの推定量を総合すると、「気泡内のヘリウム3の質量は最大で0.26×10の9乗キログラム(26万トン)になると推定される。これは、月面のヘリウム3の総埋蔵量の10分の1から4分の1に達する可能性がある」という。核融合のエネルギー源として「月のガラスの気泡に保持されているヘリウムガスは、地球で約2600年分の需要に十分対応できる」とも述べられている。

月のヘリウム3は、1980年代からすでに高効率で放射性廃棄物の少ない、理想的な核融合の材料になるとの期待があった。とはいえイルメナイトからヘリウム3を取り出すには大量のエネルギーを必要とする。

ヘリウム3は、月の砂を600度以上に加熱すれば得られます。しかし、ヘリウム3は月の砂に均等にごくわずかずつ含まれているだけですので、そのためには膨大な砂を処理しなければなりません。

仮に、ヘリウム3を10トン取り出そうとすると、月の砂は100万トンも必要になってしまいます。日本の年間消費電力をまかなうために、月の砂を毎日3000トン近くも処理しなければなりません。

また、いま研究されている核融合に比べて、ヘリウム3の核融合は、必要な温度が高く、技術的にもたいへん難しいとされています。ですから、実用化できるのはもっとずっと先のことになると思います。

「月探査情報ステーション」Q&Aより

ところが嫦娥5号の月面サンプル分析論文は、気泡中のヘリウムガスを機械的な破砕、つまりボールミルなどで「すりつぶす」ことで取り出せる可能性を示した。高温の熱処理に比べれば容易に取り出せる可能性もあり、月面で高効率のエネルギー資源を従来の想定よりも得やすくなるともいえる。

「月探査情報ステーション」編集長で小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトに参加した惑星科学者の寺薗淳也さんによれば、「中国が嫦娥5号の着陸地点を選んだ理由は、アポロ計画と同様に『平坦で安全に着陸できる』場所を目指したと考えていましたが、これほど迅速に分析結果が公表されたのであれば、ヘリウム3の採取も目的であった可能性があります」とコメントしている。

嫦娥5号の着陸地点のクローズアップ。平坦で安全な着陸の安全性と、地質的により若い年代という科学的成果の両立を目指したとされる。Credit: NASA/Moon Trek.
嫦娥5号の着陸地点のクローズアップ。平坦で安全な着陸の安全性と、地質的により若い年代という科学的成果の両立を目指したとされる。Credit: NASA/Moon Trek.

一方で、月面サンプルの物質分析の総合的な成果発表、続いてそれぞれの物質の詳細、という流れではなく早期にヘリウム3に関する論文を出してきたことについては、「なぜそんなに急ぐのか? という疑問はある」(寺薗淳也さん)という。ヘリウム3の存在は早くから知られているものの、入手や実用化の難しさから月面開発の目標としては長期的なターゲットとされる。中国は「嫦娥」から着実に月探査機の実績を積み上げ、ヘリウム3のように遠い目標も視野にいれて探査していることをアピールし、宇宙資源の獲得で一歩先んじていることを印象づけるねらいがあるとも考えられる。

「嫦娥5号が着陸した場所によいサンプルが存在したのかもしれず、その意味では中国は幸運だったかもしれません。ただ、中国は幸運を引き寄せるための着実な努力をこれまで続けてきました。アポロのサンプル採取地点のほんの1メートル横に貴重な物質があったとしても、私達は今はそれを知り得ないわけです。月にはまだまだ調査されるべき場所が多くあります」(寺薗淳也さん)

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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