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NASA有人月着陸「アルテミス計画」はどれほど遅れるのか。打ち上げコストはJAXA予算の2倍以上

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
Credits: SpaceX

2021年11月15日、NASA監察総監室(NASA OIG)は、有人月探査「アルテミス計画」の遅延を分析した報告書で、宇宙飛行士による月面再着陸実現は2026年以降になる公算が高いと発表した。11月9日には、NASAのビル・ネルソン長官がアルテミス計画の最初の月面着陸を2024年から「2025年以降」と延期を発表したばかりだが、月面着陸システムや宇宙服を始め複数の必須ハードウェア開発の大幅な遅れから、延期スケジュールさえ現実的ではないと評価された。アルテミス計画の実現にあたっては、月着陸という重要な部分で民間企業であるスペースXに依存する部分が大きい。また超大型ロケット「SLS」と宇宙船「オライオン」の組み合わせで行われるミッション1回あたり、約41億ドル(約4700億円)という巨額の費用と予算管理の問題が指摘されている。

アルテミス計画とは、米国が提案する、月面有人探査と将来の火星探査を目指す国際宇宙探査計画。日本は、月を周回する宇宙ステーション「ゲートウェイ」の一部である国際居住棟の構築に参加し、月面での日本人宇宙飛行士に関する活動機会の獲得に向けてNASAと合意している。先日、日本の新たな宇宙飛行士の募集が始まったばかりで、2030年代には日本人宇宙飛行士が月面に着陸する可能性もある。

月近傍への宇宙輸送や月面着陸、ゲートウェイ全体の運用はNASAが担当する部分となっている。NASAによる月面再着陸が遅れれば玉突き的に日本の活動機会も先送りされることになるが、「2024年後半までに月面に宇宙飛行士が再び着陸を目指す」という目標はトランプ政権時代の2019年3月に大幅な前倒しが発表されたもので、予算の裏付けが乏しいことから実現が危ぶまれていた。11月のネルソン長官の後ろ倒し発表は、現状を追認したかたちだ。

複数の開発が絡み合う複雑な計画

NASAが再び有人月面着陸を実現するには、超大型ロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS)」、宇宙船「オライオン多目的クルービークル(以下:オライオン)」、月周回軌道から月面に宇宙飛行士を輸送するための「ヒューマン・ランディング・システム(HLS)」、月を周回する宇宙ステーション「ゲートウェイ」、新型宇宙服、民間企業による無人月面探査など多方面にわたる新規な宇宙技術の開発や調達が含まれる。

こうした要素が揃わなければアルテミス計画は実施できない。まずは中核であるSLS、オライオンの問題がある。NASAは月面着陸までに「アルテミス1(SLS/オライオンの無人の飛行実証)」、「アルテミス2(SLS/オライオンにクルーが搭乗、月に到達するが着陸はしない)」、「アルテミス3(SLS/オライオンにクルーが搭乗、月面着陸)」の3つのミッションを計画している。SLSとオライオンは技術的な問題に加えて新型コロナウイルス感染症によるスケジュール遅延があったため、アルテミス1のミッションは2022年夏ごろになるという予測だ。アルテミス2はアルテミス1と共通のオライオンを利用するため、2024年半ばまで延期されると予測されている。

アルテミス3の段階になると、スペースXが開発中の宇宙船「スターシップ」を利用した月着陸システムHLSという要素が絡んでミッションはさらに複雑になる。2021年10月時点のNASA計画では、月面への着陸まで必要な宇宙船の打ち上げは5回以上、12以上の行程になる。

Source: NASA OIG presentation and analysis of Agency data / NASA報告書掲載画像に日本語仮訳を加えて筆者作成
Source: NASA OIG presentation and analysis of Agency data / NASA報告書掲載画像に日本語仮訳を加えて筆者作成

まずスペースXは宇宙で推進剤を貯蔵しておくためのスターシップを地球低軌道に打ち上げる。続いて、推進剤を積んだ複数のスターシップ(燃料タンカーのような役割)を打ち上げ、軌道上のスターシップに推進剤を追加する。さらに、HLSの役割となるスターシップを低軌道に打ち上げる。スターシップどうして推進剤を補充し、スターシップ・HLSは月軌道へ向かう。

スターシップ(HLS)が月軌道に入った後、宇宙飛行士が搭乗するSLS/オライオンを打ち上げ、オライオン宇宙船は月軌道へと向かう。月軌道でオライオンはスターシップ(HLS)とドッキングし、4名中2名の宇宙飛行士がオライオンからHLSに移動する。スターシップ(HLS)で月南極域に着陸し、月面活動を行った後に月軌道へと帰還し、再びスターシップ(HLS)とオライオンがドッキング、2名の宇宙飛行士はオライオンに移動し、地球へと帰還するというものだ。スターシップ(HLS)は月軌道に残る。

そもそも月に着陸する、という月面ミッションの主要部分を担うスターシップ(HLS)の開発とSLS/オライオンの足並みが揃わなければアルテミス3は実現しない。このHLSの開発に影響したのが、NASAからのHLS開発の受注を巡って宇宙開発企業ブルー・オリジンが起こした訴訟だ。HLSの開発ではブルー・オリジンを始めとする企業連合のほか、スペースX、防衛・航空宇宙企業のダイネティクスの3社がNASAの候補企業となり、うち2社が選定される予定だった。しかしNASAは、予算の制限を理由に2021年4月16日にスペースXのみを選定。ブルー・オリジン企業連合とダイネティクスは、競争の機会が与えられなかったとして米会計監査院(GAO)に抗議していた。訴訟の間、NASAの予算執行が中断するため、HLS開発のスケジュールは9カ月遅延している。

これまで、NASAが民間企業から宇宙技術を調達するタイプの計画(スペースXやオービタル・サイエンシズによるISS物資輸送、スペースXとボーイングによるISS宇宙飛行士輸送など)では、企業との契約から実現まで平均で約8.5年かかっている。HLSの開発期間は当初の予定で4.3年だったことから、これまでと同様の遅延があると考えれば目標よりも3.4年先になる可能性がある。

さらに、月面活動で宇宙飛行士が着用する新型宇宙服「xEMU」は予算超過の問題で完成は早くても2025年4月になるという予測がある。また、日本も参加するゲートウェイの開発にも遅延があり、2025年中に月近傍でアルテミス計画の通信支援という役割を果たすことは難しいとされている。

巨額予算のマネジメントがカギ

順調に進んでいる要素が見当たらない、とさえ思えるアルテミス計画だが、遅延の背景には常に巨額の予算問題がある。HLS開発の例では、2021年予算にNASAが要求したHLS開発費は34億ドルだったが実際の予算は8億5000万ドルと大幅削減となった。予算面の制約により「複数の契約企業の競争でイノベーションとコスト削減を実現する」という理念から複数の企業が選定されるはずだったHLS開発企業はスペースXに絞り込まれ、ブルー・オリジンによる訴訟という事態を招いたと報告書は指摘する。

実際のところ、「アルテミス計画全体の包括的かつ正確なコスト推定がない」ことが問題だという。現状でアルテミス計画に関連するすべてのコストを集計すると、2012~2025年度までの活動で930億ドル(約11兆円)になるという。また、SLS/オライオンの打ち上げは1回で41億ドル(約4700億円)とJAXAの年間予算を超える費用がかかる。

Source: NASA OIG presentation and analysis of Agency data.
Source: NASA OIG presentation and analysis of Agency data.

NASA OIGは宇宙探査の部局に対し、「十分なマージンを含む、現実的でリスクに基づいたスケジュールを作成する」「アルテミス計画全体のコスト推計を作成し、毎年更新する」「コスト削減を実現する民間からの調達の結果を評価する仕組みを確立する」といった 予算管理の施策を推奨している。ただし、計画全体のコスト推計と更新など一部の施策ではNASA内部の合意も得られていないといい、すでにさらなる遅延が織り込まれているとも思える。アルテミス計画の有人月着陸はもともと2028年を目標にしていたものが2024年に前倒しされた経緯があるが、2028年目標に戻る可能性も十分あるといえる。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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