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中国の大型ロケット、長征5号Bコアステージ大気圏再突入を冷静に考えるために

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
Credit: Aerospace Corporation

2021年4月29日に中国の宇宙ステーションの基本部分「天和」を打ち上げた大型ロケット長征5号Bがまもなく軌道を離脱して大気圏に再突入するとみられている。巨大な質量を持つロケットの再突入に対する懸念から米空軍の監視対象となり、CNNの報道では再突入にあたり「制御不能」と伝えられたことから注目を集めている。ただし、制御不能という言葉は誤解を生みやすく、かえって中国側の強硬な反発を招く可能性もある。「第2段を持たない長征5号Bロケットの特徴」「『制御落下』の意味」「2020年5月の前例」という3つのポイントから、何が予見され、懸念されているのか整理してみる。

基本的な情報

米空軍が運用する軌道物体監視サイトSpace-Track.orgなどの情報によれば、長征5号Bロケットのコアステージ(カタログ番号2021-035B)は、4月29日に天和の打ち上げに成功した後、近地点170キロメートル、遠地点372キロメートルの軌道から少しずつ降下を開始した。数日または数週間のうちに軌道を離脱し、制御されずに大気圏に再突入すると予測されており、再突入日時は現時点で日本時間5月9日午前とみられている。5月6日時点での各機関の予測再突入時刻は下記の通り。

Space-Track.org:2021-05-08 22:11:00 UTC(日本時間5月9日午前7時11分)

Aerospace Corporation:09 May 2021 02:34 UTC ± 21 hours(日本時間5月9日午前11時34分 ±2時間

各機関とも観測情報に基づいて再突入時刻を推定しており、現時点では予測時間に幅がある。Space-Track.orgは日本時間5月8日朝にレポートを更新する予定だ。

第2段を持たない長征5号Bロケットの特徴

軌道物体の情報サイトを見ると、毎日数個から10個程度の何らかの物体が軌道を離脱して大気圏に再突入している。過去に衛星を打ち上げたロケットまたはその一部、衛星本体の再突入はまったく珍しいことではなく、日本のH-IIAロケットの一部の再突入情報もある。その点では、長征5号Bロケットの再突入は衛星打ち上げ後に起きる通常のこと、と言ってもよい。

だが、長征5号Bロケットは主に宇宙ステーション構築に使用されるロケットで、第1段コアステージと補助ブースターのみで構成され、第2段を持たないという特徴がある。日本のH-IIB、アメリカのDelta IVやフランスのAriane 5、ロシアのプロトン-Mなど多くの衛星打ち上げロケットは2段から3段式の構成となっており、軌道に到達する前に第1段は分離して落下させ、第2段以降が衛星を軌道に乗せるのが一般的だ。ロケットの中で最も質量が大きい第1段が軌道を周回するということがあまり例のない事態といえる。

そして、長征5号Bのコアステージは非常に大型だ。補助ブースターなしで推進剤を充填した状態のコアステージ総重量は186.9トン、うち推進剤は165.3トンとされ、推進剤を差し引くと21.6トンの質量を持っていることになる。同規模の大型物体が制御されずに再突入した例には、1991年にソ連の宇宙ステーション「サリュート7号」(質量は19.8トン)がある。

「制御落下」の意味

「制御落下」とは、軌道上物体の落下災害リスクを低減するため、制御して安全な海域に落下させる技術(コントロールドリエントリ)をいう。日本では、2011年1月に宇宙ステーション補給機「こうのとり」を打ち上げたH-IIBロケット 2号機の第2段で試みられ、高度約300キロメートルでこうのとりを分離した後、軌道離脱のためのエンジン燃焼を行って南太平洋上に落下した。第2段エンジンの燃焼は計画通りに近いと評価されている。

H-IIB 2号機第2段の制御落下にあたって、2006年に米国が軍事気象衛星DMSP-17衛星を打ち上げた後にDelta IV Mediumロケット第2段で行った制御落下の例が参考となっている。文献によれば、衛星分離後のロケット第2段に発生する機軸回りの回転を制御すること、エンジンの推進剤残量に加えてバッテリー寿命も考慮する必要があること、地上管制局で継続的に追尾できることなどの技術的条件がある。また、制御落下したロケット第2段の質量は2.4トンと長征5号Bよりも大幅に小さい。

こうしたロケット打ち上げ後の制御落下の例をみていくと、第2段で試みられたケースが多く、開発期間や技術的制約を乗り越える必要もある。第1段で制御落下が可能になっている例は少ないという点に留意する必要がある。あえて言えば、現役のロケットで第1段の制御落下に安定して成功しているのは、第1段を着地させて再利用している米スペースXのFalcon 9とFalcon Heavyくらいだろう。

2020年5月の前例

2020年5月5日、中国は今回と同じ長征5号Bロケットで宇宙船の試験機を打ち上げた。このときにもロケットのコアステージ(カタログ番号2020-027C)が軌道上に残り、5月11日に制御されずに太平洋へ落下して一部が西アフリカのコートジボワールで発見された。人的被害は報告されていないものの、NASAのブライデンスタイン長官(当時)は「非常に危険だ」と中国を批判し、巨大なロケット再突入の際の安全対策を求めた。

長征5号Bロケットは中国独自の宇宙ステーション構築のため、複数回の打ち上げが予定されている。前回の打ち上げでは、試験機的な位置づけで今後の打ち上げに備えて制御落下の機能を組み込むことが期待された。しかし、今回の再突入予測から、明らかな制御落下の兆候や中国からの公式発表はないことから、制御されていない再突入を継続するものとみられている。

今回の長征5号Bロケットの落下予測で懸念されているのは、非常に大型のロケットが制御されていない状態で大気圏に再突入するとみられ、しかも今後継続する可能性が高いことだ。新たにNASA長官に就任するビル・ネルソン氏の発言を始め、各国宇宙機関からのコメントがあるか、また日本では昨年に設置された宇宙作戦隊が軌道上物体の監視にあたる役割をもっていることから、何らかの観測情報を発するかも注視していきたい。

それには正確な情報と報道が必要だ。「uncontrolled(制御されていない)」と客観的に表現しうる事態を、センセーショナルに「制御不能」と表現してしまう見出しには違和感がある。打ち上げ失敗であるかのように揶揄するトーンの批判では、かえって中国側の反発を招いてしまわないだろうか。現状のロケット制御落下が主に第2段で行われていることを踏まえれば、「第1段の制御落下などどの国もやっていない」と言葉の上で反論もできることになる。再突入した物体はほとんど海上に落下することを考えれば、人的被害が発生する確率は非常に低い。それでも大型の宇宙開発を進めていくにあたって、安全で持続的な方法を求めていくことが最優先のはずだ。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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