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“ボタン一つで自分のいる場所がわかる”受信機を開発。 船の技術が陸海空で人を助ける技術へ

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
マゼランシステムズジャパン株式会社 岸本信弘社長 撮影:佐野将人

2017年、北海道大学の研究農場で無人のトラクターが準天頂衛星「みちびき」からの測位信号を受信しながら自動走行を行い、大きなニュースとなりました。衛星から位置情報を利用し、“農業ロボット”が自動で働くようになれば、厳しい環境で負担の大きな作業から人が開放され、はるかに効率化できるという期待があります。トラクターを無人で動かすコンパスの役目を果たす「みちびき」受信機を開発したマゼランシステムズジャパンの岸本信弘さんにうかがいました。

――準天頂衛星システム「みちびき(QZSS)」に対応した次世代高精度多周波マルチGNSS受信機を開発され、2015年と2017年のCEATEC受賞に加え2018年は宇宙開発利用大賞国土交通大臣賞を受賞されていますね。この「みちびき」対応GNSS受信機とはどのような製品でしょうか?

岸本:われわれの出発点となったのは、準天頂衛星「みちびき」に加えて世界中の測位衛星からの信号、GPSやグロナス、ガリレオ、北斗まで4周波で受信できる世界初の受信機です。現在、第1世代から第3世代まで開発が進んでいます。私たちは開発モジュールのニックネームに鳥のラテン名を付けていて、第1世代モジュールのことを「Albicilla(アルビシーラ:オジロワシ)」と呼んでいます。

アルビシーラは世界で初めて「みちびき」センチメートル級サービスに対応する量産受信機として2015年から開発をスタートしました。「みちびき」のセンチメートル級のサービスは、日本国内だけで使えるCLAS(センチメータ級測位補強サービス)と、海外でも使えるMADOCA(高精度測位補正技術)があります。どちらにも対応できる受信機を開発しようということで、2017年8月に完成、翌月には北海道大学で農機(トラクター)に実際に搭載して頂き自動走行に成功しました。

マゼランシステムズジャパンの岸本信弘代表取締役。撮影:佐野将人
マゼランシステムズジャパンの岸本信弘代表取締役。撮影:佐野将人

「みちびき」のセンチメートル級サービスに対応するためには、まず最低でも3つの周波数、L1、L2、L6をデコード(復調)できる必要があります。それならば、アメリカのGPS、ロシアのグロナス、欧州のガリレオ、中国の北斗と世界中の測位衛星(GNSS)の信号は全て受信できるようにしようと考えて、L5にも対応しました。

また「チャンネル」というのは、衛星を捕まえる手のようなものです。一つの手で一つの衛星からの一つの信号を捕まえることができます。千手観音のように、手が多いほどさまざまな衛星から多くの信号を捕まえることができます。例えばビルの谷間やジャングルの中など、非常に厳しい、わずかな隙間から信号が降ってくるような厳しい条件でも安定して測位ができるようになります。通常のカーナビなどですと、受信チャンネルは30~40チャンネルほどですが、アルビシーラは1000チャンネル近い、巨大な回路規模を持っています。

「みちびき」のCLASという特殊な信号を安定して復調できることのみならず、RTK受信機としても使うことが可能で、国土地理院から「一級GNSS測量機」として認定されました。これは非常に大きな第一歩であり、ベンチマークとなった受信機です。また、基準局としても使用出来る機能を有しています。

アルビシーラに続く第2世代の受信機は、開発コード「Luscinia(ルスシニア:ナイチンゲール)」と呼んでいます。第1世代は10×9センチメートルと大きなボードだったのですが、ルスシニア、ルスシニア2プラスはこの巨大な受信機をできる限り小さく、低消費電力に、コストも下げたものです。2019年7月に名刺よりも一回り小さいサイズのモジュール化に成功しました。

左:アルビシーラ、右:IMU・インターフェース基板。高精度な位置情報や時刻の出力のみならず、姿勢角の出力やDR(デッドレコニング)機能も搭載されている。撮影:佐野将人
左:アルビシーラ、右:IMU・インターフェース基板。高精度な位置情報や時刻の出力のみならず、姿勢角の出力やDR(デッドレコニング)機能も搭載されている。撮影:佐野将人

さらに、次世代は現在社内で開発コードを公募中なのですが1年後くらいを目標にデジタル部の完全チップ化を目指して居ます。コストも消費電力も全部小さくして、さらに受信機モジュールだけでなく、アンテナの小型化にも取り組んでいます。

小型化低消費電力化に加えて、移動体を正確に制御するには、受信機が自分の位置を計算して出力する頻度も重要です。1秒間に1回だけではなくて、もっと高頻度に出力する必要があります。ですからアルビシーラは100ヘルツ、つまり1秒間に100回の出力を出すこともできます。ルスシニア2でも最大50ヘルツの出力ができ、世界でも最高のスペックになっています。ドローンのように高速で制御しなくてはならない機器でも対応できるという大きな特徴があります。

――この受信機によって、北海道大学でトラクターの自動走行実証に成功したわけですね。

岸本:北海道大学の野口伸先生のご指導の下、2017年の9月に世界で初めて第1世代の受信機をトラクターに搭載頂き、「みちびき」からの実信号によって無人自動走行に成功しました。タイの農水大臣からお声がけいただいて、同じ年の11月すぐに今度は世界で初めて海外で「みちびき」を使ってトラクターの無人自動走行に成功しました。

出典:宇宙ビジネス情報ポータルサイト S-NET
出典:宇宙ビジネス情報ポータルサイト S-NET

これが私たちの持つ、PPP(高精度単独測位)受信機です。PPPというのはとても魅力的でして、まず基準局が不要。基準局から補正データを受け取る必要がなく、スマートフォンやカーナビと同じように、スイッチを入れて得られる出力がセンチメートル級の精度を持っています。これほどシンプルで、信頼性のある、さまざまな展開が可能になる位置情報の技術はほかにないだろうと思っています。

ルスシニア2+と評価用受信機本体 撮影:佐野将人
ルスシニア2+と評価用受信機本体 撮影:佐野将人

アルビシーラ、ルスシニア2プラスに続く「みちびき」高精度単独測位モジュールをさらに小型化し、さまざまな機器に展開していきたいと考えています。

■海外で「みちびき」高精度単独測位が求められる理由

――国内では農機に搭載されていますが、高精度単独測位受信機は海外ではどのように利用されるのでしょうか?

岸本:タイから声がかかったように、「みちびき」利用はもともと東南アジアで関心が高かったですね。中でもインドネシアはこれまで、測位座標系が500種類も混在していて、どの地図をどういうタイミングで使ったらいいか非常に難しい状況でした。現在は「ワンマップポリシー」という、一つの測位座標系に統一しようという動きがあります。そこで国土を再計測する必要があり、そこに「みちびき」のMADOCAのサービスを使おうとしているのです。

またインドネシアは非常に地震、火山などが多く、国土が刻々と動いている事情があります。例えば津波の事前警報に搭載しようと現地の研究者とも協力しています。またインドネシアの空港では、地面の高さがどんどん変わってしまう。均等に沈下するならばまだいいですが、空港の一端は隆起して、反対側は沈下してしまうなど地盤沈下と隆起の両方がある。標識の見え方が変わってしまいますから、リアルタイムにモニタリングが必要です。そこに私たちの受信機を使って計測していただいているわけです。

商業利用の分野ですと、ヤシのプランテーションの伐採計画づくりに使う例があります。まず無人トラクターを走らせて地面の高さを計測します。次にドローンに受信機を取り付けてヤシの木の上を飛行する。するとドローンが測った高さと、地面との差が樹高になるわけです。そのデータから、どこのヤシの木が最も成長していて伐採すればよいのか、自動的にモニタリングできます。3年がかりで、私たちもジャングルの中で山ヒルに血を吸われながら協力してきました。「みちびき」を使った高精度単独測位に関するニーズは非常に大きいですね。

――インドネシアで「みちびき」高精度単独測位が求められるのはなぜでしょうか?

岸本:従来はRTK測位という、移動局が受信した衛星データに、基準局という地上の固定局の観測データを補正情報として送信し位置情報を割り出す技術を使っていました。ですが、RTKですとどうしても基準局と移動局との間の通信が必要になります。インドネシアのジャングルの中ではなかなか通信回線が確保できず、現地に行ってデータを取って、オフィスに戻って後処理をして……ということになります(リアルタイムではなく後処理)。すると一日に数カ所しか計測ができないのです。それに対して「みちびき」を使った高精度単独測位ですと、リアルタイムで現地判断ができ、行動方針を決めることができるようになります。これが大きなアドバンテージですね。

インドネシア ジャングル内での測量作業。画像提供:マゼランシステムズジャパン
インドネシア ジャングル内での測量作業。画像提供:マゼランシステムズジャパン
インドネシア ジャングル内での測量作業。画像提供:マゼランシステムズジャパン
インドネシア ジャングル内での測量作業。画像提供:マゼランシステムズジャパン

こうした利点もあって、「みちびき」の利活用は東南アジアからオーストラリアに広がってきました。私たちもオーストラリアの車両メーカーとともに、2018年の12月から慶應義塾大学、豊田通商も入ってメルボルンで車の実証実験を行いました。

それに私たちのモスクワの研究所で調べたところ、ロシアでも「みちびき」のカバレッジがかなり多いことがわかりました。シベリアではまだ測量がほとんど進んでいないところもあるのですが、仰角およそ20度以上のところならば一日のうちの8割程度の時間で「みちびき」の信号を受けることができます。もっと南側の、アムール地方ならばほぼ100パーセント「みちびき」を使うことができます。

みちびきのロシア上空のカバレッジ(仰角20度)。画像提供:マゼランシステムズジャパン
みちびきのロシア上空のカバレッジ(仰角20度)。画像提供:マゼランシステムズジャパン

アムール地方というのは、ロシアの穀倉地帯でして、100馬力でもまだ中型と言われるような、巨大な農機が走り回っています。この農機を「みちびき」のMADOCAの信号を使って自動で動かしたいというニーズが非常にあります。今年の3月ごろからロシアの現地のメーカーと実証実験をやろうという話をしていたのですが、今は感染症の関係で来年に仕切り直しとなりました。

ロシアの過酷な環境の中で、やはり機械の自動化は関心が高いと思っています。機械は寒いとか眠いといった文句は言いませんし、厳しい環境での重労働を自動化したいですよね。

――「みちびき」利用や測位衛星受信機を事業にされたのはどのようなきっかけでしょうか?

岸本:「みちびき」初号機が打ち上げられたのは10年前のことですが、そのときはまだ高精度単独測位と「みちびき」とを関連付けていたわけではありませんでした。ただ、当時からすでにPPP、高精度単独測位が世の中の主流になるであろう、という技術的なうねりはあったと思っています。従来のRTKから少しずつ置き換わっていくだろうと。そして「みちびき」の2号機3号機が打ち上げられますと、これはいよいよ本当に使えそうだなと思って開発をスタートしました。

岸本:創業から今年で34年になりますが、ずっと測位の事業だけでやってきました。GNSSの開発は、おおむね5年の時間と15億円ぐらいの費用がかかります。私たちはまず増資をしてその資本を使って開発をして、ある程度売り上げが良くなればさら次の開発に再投資してきました。アプリケーションの分野にはほとんど手を出さず、あくまでも核となる高精度の単独測位、RTK測位、さらに高感度で部屋の中でも使えるGPS受信機の開発をしてきています。

従来、センチメートル級の受信機は測量にしか使われていませんでした。非常に高価で、特殊な技能を持っていないと使えない技術であり製品でしたが、「みちびき」を使えば非常にシンプルに、もう少し低コストでセンチの精度がだせる。もうひとつ、自動運転という技術の波がどんどん着目されてきまして、農機やドローン、建設機などの自動化にむかって動きだした。その二つのうねりが良いタイミングで市場にやってきたと思っています。私たちは、はじめ高精度のRTK受信機を使ってトラクターなど農機メーカーさんと共同研究してきました。そしてもう一つのインハウスの技術であるIMU(慣性演算装置)とGNSSを高度にカップリングすることができました。これは世界ではわれわれ含めて4社ぐらいしかない技術です。

PPPになって基準局が不要になると、通信手段に悩まなくてよくなります。特に農業の分野では、通信手段の確保がボトルネックになる部分はまだかなりあります。そういうところでの活用では、「みちびき」を使った高精度単独測位をやはり導入していかないといけないと考えて、RTKとIMUのカップリングシステムと、「みちびき」のセンチの受信機とIMUのカップリングシステム、その二つで進もうということになりました。

――現在は農機で利用されていますが、海や空の領域ではどのような利用があるのでしょうか?

岸本:海洋分野では、大型商船の離着桟にセンチメートル級の精度を求める可能性があります。もともと海では港湾施設の建設、大陸棚の測量や海底油田の開発以外にあまり精度は必要ないのですが、船を桟橋につけたり、離岸したりというときにはセンチメートルの精度が非常に必要になります。大手の造船会社さんに私たちのユニットを提供しています。

空についていえば、もともとGPSの民生利用が開放されたのは民間の空の安全のため。ですから航空機でも活躍していますが、高精度単独測位の民間レベルでの使用となると、やはりドローンの自律飛行などが今後大きく活用されるフィールドになると思っています。

■衛星測位のこれまでとこれから

――GNSS受信機の分野を始められたきっかけはどのようなものでしょうか?

岸本:私は子供のころからヨットをやっていまして、海の上というのは、もう船で一時間ぐらい進むと陸は全く見えなくなります。外洋では天文航法といって、六分儀で太陽や星の高さを測る(天測)という昔ながらの方法しか位置を知る方法がありません。ところが、船に乗っていて、本当に自分の位置が知りたいときというのは嵐の最中なんですね。一方で太陽は何日も出ませんし、水平線は波で大揺れしてどこが水平線なのかもわからない。やっと測ることができたとしても、さまざま略暦を引いて、六十進法を十進法に直す計算をしないといけない。大しけで頭が半分も働いていない中でそういう計算をするのは本当に大変です。昔から、ボタン一つ押したら緯度経度が出てくるような、そういう装置があったらいいなという夢がありました。大人になって半導体関連の企業に就職して、自分の持つ船やナビゲーションに関する私の経験と、半導体の分野が結びつくようになった。そうしたときにアメリカはGPSという、ボタンを押すと緯度経度が出てくるシステムをリリースしました。しかも民間が使ってもよいのだと。これは自分にとって天職だと思い、この技術領域に入りました。それから独立して1987年に今の企業を設立したわけです。ちなみに実証実験のためには船が必要なので、実際に航海して自分なりにチューニングするということもできますね。

――これから、測位衛星の利用分野はどのような方向にすすむのでしょうか?

岸本:私たちが関わった面白いアプリケーションでは、静岡県のお茶の葉を刈り取る機械があります。静岡県の農業試験研究所と、茶刈機のメーカーと共同で開発したのですが、茶葉を収穫できるタイミングはとても短くて、ピークのときに全部摘んでしまわないとおいしいお茶にならないそうです。すると、農家さんが自分の畑で忙しいときは隣の畑もみな忙しいですから、お互いに手を貸し合うということがなかなかできない。そうした作業を機械で効率化していくことができます。

みちびきの高精度単独測位機能を活用した自動茶刈り機。画像提供:マゼランシステムズジャパン
みちびきの高精度単独測位機能を活用した自動茶刈り機。画像提供:マゼランシステムズジャパン

自動運転でいえば、どちらかというと乗用車よりもまず、働く車や公共交通機関の分野で進むのではないかと思っています。バス、タクシーもそうですし、ごみ収集車とか消防車、救急車などが自動で位置の管理ができるなど。それから、まだ実験レベルではありますが除雪車ですね。除雪という大変な作業の中で、翌日に雪が降るかどうか見極めが難しいけれども機材や人は待機させなくてはならないなど、自動化でもっと効率よくできる余地が多くあると思っています。

また、草刈機は今、どんどん自動化が進んでいる分野なのです。ゴルフ場の維持管理費の7割が実は草刈りだといいます。プレイ時間が終わると自動で草刈りが入り、次の朝にはきちんと用意ができているということが今後できるでしょう。ゴルフ場の管理コストが安くなれば、プレイするコストも安くなるかもしれませんね。

※本記事は宇宙ビジネス情報ポータルサイト「S-NET『“ボタン一つで自分のいる場所がわかる”受信機を開発。船の技術が陸海空で人を助ける技術へ マゼランシステムズジャパン株式会社 岸本 信弘』」に掲載されたものです。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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