島津全日本室内テニス選手権(国際大会)注目選手紹介(2):福井プロ第1号。独自の道を切り開く林恵里奈

写真提供:京都府テニス協会

 福井県出身のプロテニスプレーヤー第1号――。

 3年前にプロ転向した25歳の林恵里奈には、そのような肩書が付随する。雪が多く、テニスのインドア施設が充実していると言い難い日本海の町では、テニスラケットを手にすることも、その後継続していくことも、あまり自然なことではないのだろう。

 そのような土地に生まれ育ちながらも、林にとってテニスとは、物心がついた頃から日常と不可分な存在だった。父親は地元のテニスクラブでコーチをし、母親もテニス愛好家。そんな林家では、子供たちもラケットを手にしてボールと戯れるのが常である。自分で選んだという自覚もさほどないままに、林は中学も高校も、そして大学でもテニスを続けた。

 そんな彼女に「地元では、天才少女と言われてたんです?」と尋ねると、「全然そんなことは無かったです。県内でも負けることはあったし、全国大会に初めて出たのも小学5年生の時。中学生までは全国でも1回戦や2回戦で負けてばっかりでした」と言う。

 もっとも彼女がなかなか全国で勝てなかったのは、林が生まれた1994年には、今も世界を舞台に活躍する、才能豊かな選手が揃っていた巡り合わせもあっただろう。2つのWTAツアータイトルを持つ日比野菜緒や、2年前の全仏オープンでダブルス準優勝した穂積絵莉と二宮真琴、あるいは2017年ジャパンウィメンズオープン準優勝の加藤未唯らは全員同期。それら、言わばエリートたちがジュニア時代から海外を転戦する様を横目で見ながら、林は、「彼女たちが別次元という訳ではない。あの子達ができるなら私だって」と、自身の可能性を信じる根拠とする。同時に、「大学にも、青山修子さんや波形純理さんのように、卒業後にトップとして活躍する選手も居る」と、焦らず大学へと進学。早稲田大学を選んだのは、前述した2人のお手本がいずれも同校出身というのも大きかった。

 子供の頃から漠然と思い描いていたプロの夢に、確かな輪郭を描くことが出来たのは、大学4年生に上がる直前。尊敬する青山とダブルスを組み、賞金総額25,000ドルの国際大会に出た時だった。これが初めての国際大会出場ながら、林は先輩と共に頂点に立つ。

 「このレベルで戦えるのだから、もっとレベルアップしたい」

 はっきり見えたその目標を叶えるため、彼女は自らの意志で、テニスを職業に選び取った。

 プロ転向後は、早稲田大学とナショナルトレーニングセンターを拠点としながら、国内外の大会を転戦する。常時見てくれるコーチが居る訳ではない。厳しい目を光らせる顧問や監督が居る訳でもない。練習やトレーニングメニューの作成から、対戦相手分析や戦術立案も自ら行う日々。最初にプロの洗礼として立ちはだかったのは、「自分で自分をプッシュすること」の難しさと重要性だった。

 ただそんな時に役立ったのが、高校・大学の部活動生活で培った、練習ノートをつけるという習慣。さらには大学時代に主将として、チームを導いた経験も役立っただろう。今は「出来なかったことが出来るようになるプロセスが楽しい」と感じ、それが、ここ最近の充実度の主成分だと自覚する。ダブルスでのグランドスラム出場が当初思い描いたプランだが、最近はシングルスでも結果を残し、現在のランキングはシングルス369位、ダブルスが260位。ダブルスで磨いたネットプレーが、シングルスでも生き始めた。

 今大会ではシングルスは予選からの出場ながら、ベスト4まで勝ち上がっている。特に自信となったのが、2回戦の岡村恭香戦。強打自慢の相手に打ち負けず、最終セットの劣勢を挽回し勝った点に、自身の成長を実感できたからだ。

 その「打ち負けなかった」要因を尋ねると、「フィジカルと言いたいところですが……この身体じゃ説得力ないですよね」と苦笑いをこぼす。確かに168cm、50kgの身体はアスリートに思えぬほど細身だが、林の大食漢は選手間では有名な話。「食べた分は、どこにいっちゃってるんでしょ?」と、本人も目を細めて首を傾げた。

 それでも彼女の確かな変化を、見定めてくれる人たちも居る。それは幼少期から彼女を知る、地元のコーチやテニス関係者達。「脚がしっかりしてきたね」「身体強くなったね」などの言葉を掛けられては、「それ言ってくれるの、福井の方だけです」と、こそばゆい嬉しさを覚えた。

 かつては、敷かれたレールをたどるように、地元から歩み始めたプロ第1号としての道。今はその未踏の地を、自らの意志で切り開きながら進んでいく。