島津全日本室内テニス選手権(賞金6万ドル女子国際大会)注目選手紹介(1):大前綾希子

左が大前綾希子。右は昨年9月から就任したコーチ(写真提供:牟田口恵美)

■京都から歩みだしたキャリア・ハイへの道■

 思えば、5年前のこの大会での優勝が、キャリア・ハイへと続く一つの起点にあった。

 2015年――。当時の同大会は国内大会だったが、それでも厳しい連戦を勝ち抜いて、頂点に立った22歳の日。その年に世界ランキングも大幅に上げ、翌2016年には全日本選手権のタイトルも獲得する。そうして2017年3月に、自身の最高位となる188位に到達。同年にグランドスラムの予選にも出た大前綾希子は、目指す世界最高峰の舞台の息吹で胸を満たしていた。

 だが、より高いレベルを求めてスペインに拠点を移した時から、歯車が狂い始める。スペインはクレー(土)のコートが主流で、大前が出る大会もクレーコートが主戦場。不慣れな足元での戦いは、フォアの強打を活かした彼女のプレーの威力を削いだ。大会では早期敗退が続き、自信も試合勘も喪失する悪循環へと絡め取られる。2019年初頭には、ランキングも460位前後まで落ちていた。

 時を同じくして彼女の周囲では、同世代の選手たちが、現役生活に別れを告げ始める。

 「このまま上のステージに上がれないなら、私も考えなくてはいけないのかな……」

 胸に去来するその不安を、周囲には悟られまいと一人抱える。そんな彼女が悩みを打ち明けた数少ない相手が、同期で最も早くキャリアの舵を切った元ライバルであり、その後は、掛け替えのない親友となった人物であった。

 

■かつて同じ道を歩んだ同期と、再び重なった足跡■

 大前と同期の牟田口恵美は、かつて同世代の出世頭だった。中学1年生の時に、錦織圭らを輩出した盛田正明テニスファンドの支援を受け、フロリダのIMGテニスアカデミーに留学。「3年以内にグランドスラムに出られなければ、別の道を歩む」との期限を己に課してプロに転向したのが、18歳の時だった。

 それから3年後……彼女は自らの誓いに忠実に、きっぱりと現役生活に別れを告げた。引退後は見聞を広めるためにも、慶應義塾大学に入学。卒業後は、「人生最大の恩師の一人」である盛田氏の勧めもあり、ファンド生の留学先の一つであるフロリダのクラブでコーチを務めた。

 その盛田氏の期待に応え、牟田口はファンド生の川口夏実を、昨年1月の全豪オープンJr.ダブルス優勝へと導く。大前から悩みを打ち明けられたのも、この頃のこと。若くして、選手、大学生、そしてコーチと多くのキャリアを経てきた彼女は、友人の悩みに多角的に応えていった。

 その牟田口もまた、昨年夏に多くの迷いを抱えた末に、フロリダでのコーチ業を終え新たな道を模索し始める。

 「ねえ、正式に私のコーチとしてオファーを出せないかな?」

 大前からそんな言葉を掛けられたのは、帰国後間もない、8月末のことだった。

 

■新コーチと共に目指す、新たな目的地■

 進退を考えるまでに長いトンネルに迷い込んでいた大前が、ようやく光明を見いだしたのは昨年4月。岐阜開催の国際大会で、117位の英国人選手相手に、厳しい試合を勝ちきった時だったという。

 「まだ頑張れるじゃん!」

 そう感じた一戦をきっかけに、事態は徐々に好転しはじめた。ダブルスの出場を減らしたのも、この頃のこと。「今までは保険ではないけれど、シングルスで負けてもダブルスがあるからと思っていた」が、退路を断つことでシングルスに専心する。そうして結果も出始め、より上のステージを目指そうと気持ちも上向きになったそのタイミングで、牟田口も新たな道を模索し始めたことを知った。

 「まずはトライアルでお願い」と声を掛け、初めて牟田口にコーチとして帯同してもらったのが、9月に広島で開催された花キューピットオープンのこと。結果的にその大会では予選初戦で僅差で破れたが、「恵美のサポートのお陰で、心地よく試合を頑張れた」と感じた大前は、正式に牟田口にオファーを出す。こうして、かつてのライバルであり今の親友は、新たに大前のコーチとなった。

 

 新コーチと共に歩むにあたり、二人が徹底して行ったのが、「話し合い」だったという。

 これからどのようなテニスを目指すのか? 今の自分はどこが弱点であり、それを克服するにはどうすればよいのか……? 

 意見をぶつけ合い、互いに相手の言葉を咀嚼しながら、二人は思い描く未来像を重ねていく。さらには実際に試合を重ね、練習でビジョンに具体性を与えながら、「これなら世界に通用するんじゃないかというテニスが、二人の中で同じ方向を向いている」と確信できるまでになった。

 1年前に454位だったランキングは、今、243位まで上がっている。グランドスラム予選出場が確実な200位以内も視野に入るが、大前は「あまり先を見すぎると良くないので、目の前の試合に集中する」ことを心がけていると言った。最高位に達した3年前は我武者羅さで駆け上がったが、今は「自分の目指すテニスが見えていて、そこに向け、階段を一段ずつ登っているのを噛み締める」日々。

 生まれ故郷でもある京都の地に、新たなキャリア・ハイに向けた足跡を、一歩ずつ刻んでいく。