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元世界1位、C・ウォズニアッキの引退の美学。多くの人の縁を繋いできた彼女が、後進に手渡したトーチ

内田暁フリーランスライター
最後の試合の後、ファンから手渡されたデンマーク国旗をはためかせるウォズニアッキ(写真:ロイター/アフロ)

 元世界1位のキャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)が、現在開催中の全豪オープン3回戦敗退をもって、現役生活に幕を引いた。個人的な話で恐縮だが、彼女は、わたしがテニスを取材し始めた頃に注目の若手として頭角を現し、何度かインタビューしたり、会場のレストランで御家族と共に席をご一緒させて頂いたこともあったので、何かと思い入れのある選手だ。

 日本との縁も、少なくない。大阪市開催の“世界スーパージュニア”では、14歳時と16歳時に2度までも頂点に立っている。WTAツアー3勝目は、東京開催のジャパン・オープン。当時まだ18歳だった。

 2年後の2010年には、やはり東京開催の東レパンパシフィックオープンで、漆塗りの優勝プレートを抱く。大会参戦時の彼女は、世界2位。同大会優勝で大きくポイントを稼ぎ、2週間後には世界1位にも上り詰めた。

 

 ただ、世界1位となったこの時から、彼女の苦しみも始まる。グランドスラムのタイトルになかなか手が届かないため、ランキングと実力が合致していないと揶揄する者も居た。

 「フォアハンドが弱すぎる」「守ってばかりで攻撃ができない」「父親ではなく、プロフェッショナルなコーチをつけるべき」……そんな識者たちの声も、当然耳に入っていただろう。

 2016年にはケガもあり、ランキングを70位台まで落としたこともあった。それでも翌2017年にWTAファイナルを制すると、2018年の全豪オープンで、悲願のグランドスラムタイトルを手にする。なお苦しんだ2016年に、約1年半ぶりにツアー優勝し復活への先鞭をつけた大会が、東レパンパシフィックオープン。決勝の相手は、当時18歳の大坂なおみだった。

 今回の全豪オープンを最後に引退を表明していたウォズニアッキの、ラストマッチは3回戦。対戦相手は、チュニジアのオンス・ジュベールだった。

 フルセットの死闘の末に、フォアハンドのミスショットで自らキャリアに幕引きした彼女は、「フルセット、苦しい打ち合い、そしてフォアハンドのミス……私の最後の試合に相応しいわ」と、涙混じりの笑顔を浮かべる。

 自身がテニス界に残した“レガシー”を、「肌の色も体格も関係ない。テニスの歴史のない小国からでも、勝てることを証明したこと」と語る彼女の最後の相手が、アラブ系女性アスリートの騎手であるジュベールだったことも、ラストに相応しいと言えるだろう。

 これまで、ウォズニアッキの快挙を伝える報には常に、「デンマーク人選手初」の修辞が添えられてきた。そして今、昨年の全豪Jr.優勝者のクララ・タウソンなどのデンマークの若手が、彼女の足跡に続いている。

 その事実を何より喜び、母国を代表することを誇りに思ってきた彼女に、「東京オリンピック出場は考えなかったか」と聞いてみると、次のような答えが返ってきた。

 「もちろん考えなくはなかったし、ダブルスや混合ダブルスでも出られたら素晴らしいとも思いもした。けれど最終的には、やはり、ここ(全豪)を最後にするのが一番だと決めたの」

 少し寂しそうにそう言う彼女は、次の瞬間、顔をパッと輝かせた。

「でも分からないわよ! 別の形で、東京オリンピックには行くかもしれないし」。

 

 ウォズニアッキは、ロッカールームでも多くの選手たちと言葉を交わし、親交を深める社交的な人物としても知られていた。

 彼女が、後進や仲間たちに手渡したトーチは、これからも女子テニス界で受け継がれ、多くの縁を繋いでいく。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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