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テニス人気向上と普及のために――あるテニスアカデミーが編み始めた『風物詩』への志し

内田暁フリーランスライター
テニスラボで活動する選手と、クリニックなどのイベント参加者たち。(著者撮影)

■多くの選手たちにスポットライトを――“テニス研究所”創設者の理念■

 「これからもっと大きくして、いずれは冬の風物詩にしていこう!」

 そんなスローガンのもと、今年のクリスマスイブに兵庫県・三木市のテニス施設“ブルボン・ビーンズドーム”で、一つのイベントが産声をあげた。

 イベントを設営するのは、ビーンズドームを拠点に活動する選手や指導者で構成される“テニスラボ”。日比野菜緒や加藤未唯らトッププロをはじめ、20人ほどのプレーヤーたちが共に汗を流すテニスラボは、80年代にプロとして活躍し、引退後は伊達公子らのコーチを歴任する竹内映二が立ち上げた、テニスアカデミー……もしくは“テニス研究所”だ。

 

 「関西でのテニスの大会や拠点も少なくなり、関西に残るプレーヤーも少なくなった。その中で、アクションを起こすのは意味があると思うんですよ」

 柔らかな抑揚ながら、熱を帯び、なおかつ行間に多くの含意を滲ませる語り口で、竹内が想いを奏でる。

 京都に生まれ育ち、現在は兵庫県を拠点とする竹内には、日本のテニスの活性化を願う情熱があり、その発信源もしくは一つのロールモデルに、関西で活動する自分たちがなれればというビジョンがある。“第二次テニスブーム”と呼ばれた80年代を選手として生きた彼の目は、町のテニスコートから人が溢れ、国内の大会に立錐の余地もないほど観客が詰めかける景色を映してきた。

 もちろんその頃と今とでは、テニスのみならずスポーツを取り巻く環境が大きく異なることは、重々承知している。その上でやはり彼には、「日本国内にも、これだけ頑張っている選手たちがいる」こと、さらに「テニスは男女シングルスにダブルス、そしてミックスダブルスもあり、見ていても楽しいスポーツ」であることを、より多くの人に知ってもらいたいとの渇望が強い。

 今の日本テニス界には、世界のトップで活躍し、スポットライトを浴びるスターが居る。だが、真にスポーツを文化として根付かせるためには、「その下に居る選手たちにもスポットライトが当たること」が必要だ。そしてその状況が生まれるのを、他人に任せているだけでは、もはや何も始まらない。

 壮大な構想や、理想的な青写真はある。だがまずは、何か一歩を踏み出すべきだ。

 だったら……、「イベント、やらへん?」

 竹内はそんな一言を、信頼できる仲間へと向けていた。

■この町をテニス普及のロールモデルに――コーチの想い■

 「やっぱり今年、イベントやらへん? まずはテニスラボの選手たちでやって、そのうち、テニス界全体に影響力のあるような大会を」

 テニスラボの駒田政史コーチが、竹内のそんな声を聞いたのは11月も終わりが近づいた頃だった。その提案そのものは唐突ではあるが、以前から竹内のビジョンを聞いていた駒田には、何をしたいかは分かっている。

 「僕は賛成ですが、まずは選手たちの意見を聞いてみましょう」

 竹内にそう答えると、駒田はさっそく選手たちにLINEを打った。

 来シーズンを迎えるにあたり、緊張感を持って実戦に近い練習が出来るように、観客も入れてエキシビションマッチを行なってはどうか? その他にも、来てくれた方に喜んでもらえる企画を行ないたいので、みんなにもアイディアを出して欲しい――。

 そのような内容の文面を送ったところ、次々に「賛成です」との返事が返ってくる。かくして呼びかけから僅か2時間後には、イベントの実施が決まった。

 日本ナショナルチームでジュニア育成も手掛ける駒田には、「可能性のある子どもたちが、テニスと出会うチャンスを作りたい」との思いが強くある。錦織圭や大坂なおみの活躍もあり、国内のテニス人気は高まっていると見られがちだが、日本テニス協会への登録ジュニア数で言えば、毎年減っているのが現状だ。

 では、どうすれば子どもたちにテニスを続けてもらえるのか?

 そのモデルケースを、ここビーンズドームで示せないかと駒田は考えた。人口が8万人に満たない三木市で、子供たちのテニス人口を増やすことができれば、他の町でも手法を応用できるはずだ。

 その理念を実現すべく、テニスラボで始めたキッズ向けのスクールには、今では120~130人の子どもたちが通う。

 「テニスの楽しさを伝える場所があれば、これだけの子どもが集まる。これを全国の様々な場所でやれば、それだけで競技人口は増えるはず」

 その好循環を生むトリガーとして、イベントは格好の機会でもあるだろう。

 ただ今回の主役は、あくまで選手たちという理念はぶれてはいけない。だからこそ、どのような企画をしたいかも基本的には選手に委ね、実際に選手側からは、次から次へとアイディアが生まれていった。

 「今回のイベントでいうと、菜緒と未唯が大きいです。色々と意見を出し、エキシビジョンのルールも彼女たちが決めてくれましたから」

 企画立案の推進力として、駒田は二人の選手の名を挙げた。

■多くの人にテニスの楽しみを、そして自分たちを知ってほしい――選手たちの願い■

 「駒田さんに『冬の風物詩にしよう!』と言われて、その気で始めました」

 日比野がそう言えば、「私たち自身も、そして来てくれたお客さんも楽しめるイベントにしたかった」と加藤が言葉を続ける。世界を転戦し多くを見てきた二人には、日々蓄積してきたアイディアが溢れていた。

 まず今回のイベントでは、エキシビションマッチが中核にあることは決まっていた。そこでエキシビションの構想を始めた時、加藤の中にまっさきに立ち上がったのが、「チーム対抗戦」だったという。試合をする選手の数が限られる中、チーム戦の形をとれば、選手と観客が一体となり“応援”として参加できる。自身も、日本代表として国別対抗戦を経験してきた加藤は、「応援する楽しさもお客さんに知ってほしい」との想いから、チーム戦形式を推した。

選手とファンがチームメイトとなりチーム対抗戦を戦う。コート内外で笑顔と歓声が交錯し、ファンが最も楽しんだ企画の一つともなった。(著者撮影)
選手とファンがチームメイトとなりチーム対抗戦を戦う。コート内外で笑顔と歓声が交錯し、ファンが最も楽しんだ企画の一つともなった。(著者撮影)

 その団体戦の構想は、エキシビションだけでなく、「ファンと選手たちによる混合チーム戦」という着想にも発展する。事前に公募した定員50名が、プロと共に戦うこの団体戦の勘所は、参加者たちがここぞという局面で、プロを“召喚”できる点にあった。参加者はプロの“使い所”を慎重に考え、プロは期待に応えねばと使命感を抱く。その関係性を築くことで、両者の間には絆とも呼べる一体感が生まれた。このようなアイディアも、日頃から「自分たちのプレーや人間性を、多くの人に知ってもらいたい。テニスの楽しさを伝えたい」と願っていた彼女たちだからこそ、自然発生的に生まれたのだろう。

 そうして迎えた、クリスマスイブ当日――。訪れたファンたちからは、「朝から夕方まで、目いっぱい満喫できた」、「他のイベントにも多く参加してきたけれど、盛りだくさんで今までにない感覚」との声が聞こえた。

 もちろん、課題がない訳ではない。急に決まったイベントだったため、準備期間や告知が十分だとは言い難かった。開催日にしても、スケジュール上他の選択肢はほぼ無かったが、広く一般のファンにも足を運んでもらうには、週末にしたかったとの悔いも残る。それでも一歩を踏み出したことは、理想実現への始まりであることは間違いない。

 今回のイベントの締めくくりに、選手代表として挨拶に立った日比野は、「毎年、バージョンアップしていきます」と宣言した。

 

 発起人、コーチ、そして選手たち――。

 異なる時代を生き、異なる肩書を背負いながらも、一つの理念と目的地を共有する同志たちは、それぞれの“今”を紡ぎ、「冬の風物詩」を編み始めた。

 

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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