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受け継がれる意志を後世にも――。日比野菜緒が単複制した、広島開催女子テニスツアーを戦う者たちの想い

内田暁フリーランスライター
左が単複優勝を果たした日比野菜緒、右は単準優勝、複優勝の土居美咲

■自らの栄冠と同時に、参戦選手たちが追い求めたもう一つの目標■

 夏の残照が秋の気配を凌駕する青空の下、二人の日本人が二度までも、天にトロフィーを掲げた。

 ひとりは、シングルス優勝者の日比野菜緒。もうひとりは、準優勝者の土居美咲。

 二人は、広島開催のWTA(女子プロテニス)ツアー大会 “花キューピットオープン(ジャパンウィメンズオープン)”にて、日本人頂上決戦を実現する。WTAツアーでの日本人決勝は、1997年に沢松奈生子と吉田友佳が対戦して以来、実に22年ぶりのこと。この時は、沢松が吉田をストレートで破り、優勝トロフィーを手にしている。ちなみに日比野の「菜緒(なお)」の名は、テニス愛好家の母親が、沢松さんにあやかって付けたものだ。

 さらに日比野と土居の二人は、ともに組んでダブルスでも決勝へと勝ち上がる。シングルスでの戦いを終え、表彰式の僅か30分後にコートに戻ってきた二人は、今度はネットの同じサイドに立ち、二人で優勝を勝ち取った。

 東京と大阪で長く開催されていたこの大会が、メインスポンサーの名を冠し“花キューピットオープン”として広島に移ったのは、2年前のことである。会場は、1994年のアジア大会開催地の広島広域公園テニスコート。なおこれも余談ではあるが、優勝者の日比野が生まれたのは1994年、伊達公子が同大会を制した数カ月後に、この世に生を受けている。

 その伊達も観客席で見守るなか、トーナメントを勝ち上がった日比野は勝者インタビューの度に、ファンの声援がいかに力になったか、そして、より多くの人に会場に足を運んで欲しいと訴えた。テニスの国際大会は毎週世界各地で開催されているが、WTAツアーは、その中でも最上位の大会群。日本開催のツアー大会は、この花キューピットオープンと、現在大阪市で行われている東レ・パンパシフィックオープン(東レPPO)の2大会のみである。ちなみに東レPPOが大阪開催なのは、東京の有明コロシアムがオリンピックに向けた改修作業中のため。来年以降は再び東京に戻る予定だ。

 今大会の決勝を戦った日比野と土居には、それぞれが自らの栄冠を追い求めると同時に、もう一つの胸に秘めた想いがあった。それは、日本でのテニスの人気や知名度をあげたいとの切なる願い。

 確かに今、大坂なおみの活躍があり、女子テニスがニュースに取り上げられる機会も増えはした。ただ話題の多くは大坂に集約され、他の選手や、大坂が出ない大会に注目が集まることは少ない。「後輩たちのためにも、その状況をなんとか変えたい」との使命感に似た思いが、大会を戦う日本人選手たちにはあった。特にテニスの大会は男女ともに、東京や大阪などの大都市に集中しがちだ。それだけになおのこと、日頃は観戦機会の少ないテニス愛好家や学生たちに、トッププロのプレーを間近に見て欲しいとの渇望があった。

 

 日本女子テニス界が再隆盛を誇ったのは、世界4位の伊達を筆頭に、前述した沢松や吉田、アジア大会決勝を伊達と戦った遠藤愛ら、世界上位に綺羅星の如く個性的な選手が顔を揃えた90年代。

 その世代が築いたテニスブームの産物でもある日比野が、伊達がアジア大会を制した地で新たに掲げたツアー優勝のトロフィーは、後の世代に手渡すトーチにしなくてはならない。

 

■悲劇の歴史を知るために――広島平和記念資料館に足を運んだオーストラリア人選手■

 テニスの国際大会には、開催地を訪れた選手たちがその土地を知るという、国際交流・観光促進的な側面もある。多くのテニス選手たちは年間20~30の大会に参戦するが、それは即ち、それだけの数の町を訪れるということだ。旅を日常とする選手たちにとり、その土地の観光名所を訪れたりご当地グルメを食することは、選手生活を維持していくうえでも、欠かせない要素である。

 

 今回の広島大会のダブルスで準優勝した米国のマケ―ルとロシアのサビニフの二人は、セレモニーのスピーチで、野球観戦を楽しんだことを嬉しそうに報告した。

 

右がストーム・サンダース、左はサンダースとペアを組む加藤未唯
右がストーム・サンダース、左はサンダースとペアを組む加藤未唯

 加藤未唯とダブルスを組んだオーストラリア人のストーム・サンダースも、加藤の勧めもあり、僅かな余暇を見つけ広島平和記念資料館へと足を運んだ。朝8時から平和記念公園を散策し、8時半の開館と同時に同館を訪れた彼女には、以前よりこの場所に来たいと思っていた理由もあったという。

 「私は、両親、それに弟も軍関連の仕事に就いています。戦争がどんなものか……第二次世界大戦で何が起きたかというのは、よく家族でも話していました」。

 

 海軍に所属する彼女の両親は、ミッションの一環で日本に立ち寄った際に、平和記念資料館を訪れ多くを感じたのだという。娘もまた同じ場所に立ち、当時の惨劇を生々しく語る遺品の数々に心を痛めたと言った。

 

 「訪れた町の歴史を知ることは、とても大切だと思う。1時間半ほどしか見られなかったけれど、行って本当に良かった」。

 

 テニスの大会を通じて広がる交友と、海を越え伝播する知識や文化がある。これもまた、後世に手渡すべきトーチだ。

 

※決勝戦のレポート『日比野菜緒がツアー単複2冠!土居美咲の背中を追いかけ、共につかんだ再上昇への兆し』

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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