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シンシナティ・マスターズを制したメドベジェフ。勝利への扉を開いた「ロシア人のメンタリティ」とは?

内田暁フリーランスライター
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 「ロシアではね、『リスクを恐れる者に、シャンパンを飲む資格は無い』っていうことわざがあるんだ。だから今夜の僕は、シャンパンを飲むよ」

 零れ落ちそうな笑みを讃えながら、勝者は、試合の行方を決した、一つの“決断の時”を振り返る。

 シンシナティ開催ATPマスターズ1000の、決勝戦。

 ダビド・ゴファン相手に第1セットをタイブレークの末に奪った23歳のロシア人は、第2セットでも先にブレークし、勝利へのサービスゲームを迎えていた。

 この時、表情一つ変えずに淡々とサービスラインに向かう彼の全身が、痙れんに襲われていたことを知る者は少なかっただろう。事実、対戦相手のゴファンすらも、まったく気づいていなかったと後に認めている。それでも試合を諦めぬゴファンは、フォアで攻めて2ポイントを連取した。

 0-30とリードされたダニール・メドベジェフの、胸中は穏やかではない。自分の身体が限界に近いと分かっているだけに、このゲームで決めそこねたら、勝利は遠のくことも分かっているからだ。まずはエースを1本決めるも、続く打ち合いで「取るべきポイント」を落とした時、自分への苛立ちを抑えきれずラケットを投げつけた。それは、3大会連続で決勝進出の快進撃を続ける彼が、「この3週間で初めて、ラケットを投げた瞬間」だったという。その心の乱れを引きずったか、続くサーブでもファーストを外した。

 彼の身体に流れるロシアの血が、「リスクを恐れるな」と告げたのは、この時だ。

 敗戦へと転がりこむ可能性をはらむダブルフォルトか、あるいは、勝利への道を切り開くエースか――。

 覚悟を決め、198センチの長身をしならせ全力でコーナーに打ち込んだセカンドサーブは、123マイル(約198km)を計測する。

 その高速サーブを予測しきれなかったか、振り遅れたゴファンの返球は、力なくネットを叩いた。

 この、ギャンブルとも言える勝負に勝ったメドベジェフは、そこから3本連続でエースを叩き込み、自身初のATPマスターズ1000のビッグタイトルをもつかみとる。もっとも疲れ果てていた彼には、当初予定していた「コートに倒れ込んで大声で叫び、飛び起きて両手を天に突き上げる」という歓喜の表出をする体力すら、残ってはいなかったが……。

 思えば今回のシンシナティは、ロシアのことわざやロシア人のメンタリティにつき、多くを学んだ大会だった。女子の方でも、ケガや鬱を乗り越え復帰してきたスベトラーナ・クズネツォワが、趣深いコメントを残している。

 それは彼女が準決勝で、第2シードのアシュリー・バーティを破った試合のこと。フォアサイドに回り込んでストレートに叩きこんだリターンエースを振り返り、34歳のベテランは、「あの場面では、ロシア人の血が騒いでしまったわ」と笑った。

 14歳の時にロシアからスペインに渡った彼女が、渡西当初、コーチから繰り返し言われたのが、「スピンを掛けてクロスコートに打ち、ミスをするな」だったという。それこそが、彼女を19歳にして全米オープン優勝者たらしめた主要因ではある。だがそれは彼女にとって、「とてもストレスがたまる」テニスでもあった。

 「どうして、こんなにチンタラ打ってなきゃいけないの? バコーンと打ちたいのに!」という衝動を封じるのは、なかなかに困難なプロセスだったという。

 その彼女は今、スペイン式の安定感をベースとしながら、ここぞという時にロシアの血を解き放つ。

 

 「ロシアでは、『明日よりも今日を信じろ』という言葉があるの。『墓場に、お金は持っていけない』とも言うしね」。

 自転車の世界選手権優勝者を母に持つ生粋のアスリートは、ロシア人のそのようなメンタリティの源泉を、次のように説いた。

 「ロシアの人たちは、明日何が起きるか分からない厳しい時代にも生きてきた。そんな環境や文化的背景も精神面に影響していると思う。きっとDNAに染み付いているのよ」。

 なお、そのクズネツォワを今大会の決勝で破ったのは、アメリカ人のマディソン・キーズ。14歳の頃から、アメリカ・テニス界を背負って立つことを期待された24歳は、アメリカ人テニス選手の典型的なメンタリティとは、「用心深い攻撃性」ではないかと言った。

 テニスは、究極の個人競技といわれる。ひとたびコートに足を踏み入れれば、どこまでも一人で様々な局面を打破し、自己表現しながら戦い抜かなくてはならない。しかしだからこそ、彼・彼女たちのコート上の孤独な姿には、その選手が育ってきた境遇が、触れてきた文化が、あるいは関わってきた人びとの想いや夢が、時に切ないまでに投影される。ゆえに選手のプレースタイルや心の揺らぎに、国民性や国の特性を見いだす者も少なくない。

 8月26日にニューヨークで開幕するUSオープンにも、30以上の国から個性豊かな選手が集う。選手たちのプレースタイルやコート上での何気ない仕草に、彼・彼女たちが生まれ育った背景を重ねて見ると、観戦の興趣もまた増すかもしれない。

 

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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