時を超え、父娘でつなぐ東京オリンピックへの夢――。タイの伝説的選手の物語

左がタナスガーン、右が奈良くるみ。提供:京都テニス協会

 懐かしい顔が、今年から国際大会として生まれ変わった、京都の島津全日本室内テニス選手権にあった。

 タマリン・タナスガーン。

 1977年生まれの、現在41歳。獲得したWTAツアータイトルはシングルスで4を数え、その中には、2010年に伊達公子を破り手にした、日本開催のHPオープンも含まれる。ダブルスでのツアー優勝も8回。世界ランキング最高位は、シングルス19位、ダブルス15位。母国に数々の“初”や“史上最高”をもたらした、タイの伝説的プレーヤーだ。

 30代に入ってからも、ツアー優勝やウィンブルドンベスト8の活躍を見せた息の長い選手だったが、そんな彼女も、最後に公式戦に出てから4年の歳月が経っている。引退後は、長いキャリアで獲得した人脈と生来の人徳を活かし、タイで後進の育成にあたっていると聞いていた。

 そのタナスガーンが、京都の島津アリーナの練習コートで、現役選手さながらの集中力と迫力ボールを叩いている。その様子を見ていたこちらに気がつくと、変わらぬ人懐っこい笑みを浮かべて、「久しぶりね!」と向こうから声を掛けてくれた。

 最後に会ったのはいつだっけ? お姉さんは元気? 全然変わらないね……そんな挨拶の言葉をひとしきり述べた後に、「さすが、まだまだ凄いボールを打ちますね。現役復帰できるんじゃない!?」と続けた。

 すると彼女は、満面の笑みに、少しばかり恥ずかしそうな気色を灯して言う。

「ええ、実は復帰するつもりなの。今回の大会にも、クルミと組んでダブルスに出るのよ」。

 彼女の言う「クルミ」とは、日本女子トップランカーの奈良くるみのことである。奈良は今から11年前にも、12年ぶりのブランクから復帰した伊達とダブルスを組み、優勝までした復帰請負人だ。やや余談になるが、伊達の復帰戦となったカンガルーカップ国際女子オープンで、伊達はダブルス優勝のみならず、シングルスでも準優勝の快進撃を成し遂げている。その時に決勝で破れた相手こそが、タナスガーン。それから“一昔”以上の年月が経ち、41歳のタナスガーンは、27歳になった奈良と組んで4年ぶりの公式戦に出場した。

 ツアーから長く離れたタナスガーンではあるが、正式な引退表明をした訳ではなかったという。ただ、母親が病で倒れた時、彼女は母の最期の時を、可能な限り共に過ごすことを選んだ。

 その母親が世を去り、コーチ業などテニスの世界で本格的に活動を始めようと思い始めた昨年10月、シンガポール開催のWTAファイナル(単複年間レース上位8名/8組が出場する大会)に、ゲストとして招かれる。そこで再会した、かつてのライバルでもある大会出場選手のなかに、自分より2最年長のクベタ・ペシュケも居た。再会を喜び、会話が弾む中で「テニスの仕事をしようと思っている」ことを明かすと、ペシュケは「また現役でプレーすればいいじゃない!」と声を弾ませた。

 彼女の中で、熾(おき)のようにくすぶっていたコートへの情熱に火が入ったのは、この時だった。 

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 昨年11月、日本からの飛行機でタイの空港に降りたローズ・タナスガーンを迎えに来てくれたのは、80歳になる父だった。

 タマリンの姉のローズが神戸に移り住んでから、もう10年以上経つ。2008年に、ポートピアホテルの人事部に英語チューターとして雇われた彼女は、今では営業本部の国際セールス担当だ。

 車で迎えに来た父は、ローズが乗り込むや否や、「タマリンが現役復帰するんだ!」と興奮した口調で切り出した。そのニュースに驚きと喜びを覚えたローズは、「タマリンは、2020年の東京オリンピック出場を目指しているんだ」という父の言葉を聞き、歓喜の理由に一層の得心がいく。

 タイ代表としての、東京オリンピック本戦出場――それは、かつて父自身が見た夢だからだ。

 タマリンとローズの父のビラチャイ・タナスガーンは、今から約半世紀を遡る1960年台、タイを代表するバスケットボール選手だった。1960年のローマ・オリンピック出場を目指して国旗を背負い、その4年後の1964年にも、タイのナショナルチームの一員としてオリンピックを志す。もったいぶるまでもなく、この年のオリンピック開催地こそが、東京だ。

 その夢に彼は、出場権でも物理的にも、限りなく肉薄した。オリンピック開幕の約1ヶ月前に横浜で行われた、10カ国による最終予選まで勝ち残ったのだ。だが出場枠の4つに対し、タイの最終成績は7位。この大会を最後にビラチャイは、夢をバスケットボールではなく、アメリカの地に求めた。サンフランシスコに住む親族を頼り、単身渡米したのはオリンピック直後のことである。

 ビラチャイがアメリカに渡ったその理由を、彼の親族は娘のローズに、「君のお父さんは、思いを寄せていた恋人にこっぴどくふられたので、カッとなってアメリカまでの片道切符を買ったんだよ」と笑いながら語り聞かせたという。その真偽はともかくとして、渡米した時の彼が、英語の能力も所持金もほとんど無かったのは事実のようだ。

 アメリカで彼が手にしたのは、伴侶と二人の娘のみならず、西海岸で隆盛するテニスカルチャーと、優れたコーチたちによる指導理論やノウハウだった。その知識を活かし、彼はタイに戻った後も末娘にテニスを教え込む。その娘はやがて、タイ史上最高のテニス選手へと成長し、4度のオリンピック出場を果たすまでになった。

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 京都大会でのタナスガーンは、試合を重ねるごとに勝負勘とアスリートの本能を取り戻しながら、ベスト4まで勝ち進む。

 その彼女に、「東京オリンピック出場を目指しているんですって?」と尋ねると、迷いのない視線と声で「ええ。私が東京オリンピックに出ることは、今、癌で闘病中の父の夢でもあるから」との答えが返ってきた。

「父は、1964年に東京オリンピックのために日本に来た。その後も、私に帯同して何度か日本には来てくれたけれど、もう長いこと東京には来ていないから……。父をオリンピアンの家族として、東京に連れてきたいの」。

 56年前に、父親が東京に置き残してきた夢――。それを今、娘が取り戻しに行く。