街をあげてウィンブルドン一色に染まる、“ウィンブルドン・ビレッジ”の物語り

かなり読みにくいが、花で「WINBLEDON」と書かれたディスプレイ

“聖地”ウィンブルドンの会場(正しくはAll England Lawn Tennis and Croquet Club)から15分ほど急勾配の坂を登ったところに、“ウィンブルドン・ビレッジ”と呼ばれる、瀟洒なカフェやレストラン、アンティークショップが立ち並ぶエリアがある。多くの選手たちも食事のために足を運ぶこの一角は、大会が始まる1週間ほど前から早くも、ほぼ全ての店頭の装飾がウィンブルドン一色に。芝を思わす緑やウィンブルドンのイメージカラーである紫に彩られ、会場のみならず街全体が、大会に組み込まれている一体感を醸成する。

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大会開幕を数日後に控えた日、それらレストランの中でも、特に店頭のディスプレイに気合が入っているタイ料理屋に立ち寄った。扉を開けると、よく通る素敵な声のオーナーが笑顔で迎えてくれ……たかと思いきや、「厨房が空くのは、6時からなんだ」と告げられる。時計を見れば、まだ夕方5時半。たしかに、早すぎた。

それでもオーナー氏は「飲み物なら頼めるから、中に座って待っていたら?」と提案してくれる。ご厚意に甘えて、待たせて頂くことにした。

「日本からの方?」

中に入ると、こちらも笑顔の素敵なアジア人の女性が、我々を出迎え尋ねてくる。どうやらその方が、オーナー夫婦の奥様の方。「そうです」と答えると、タイ人の奥様とイギリス人のご主人は、最近日本を旅行した時の思い出話を、臨場感たっぷりに語り始めた。

東京では満開の桜を見て感激したこと、静岡では友人のサプライズで、座敷の襖を開けたら目の前に富士山の威容が姿を現す旅館に宿泊したこと、奈良では鹿に追い回されたこと……それらを瑞々しく表現するご主人の語り口に感心していたら、なんとその方、かつてBBCの人気ドラマに出演し、その後は旅行番組のレポーターも務めた元俳優だという。それは立て板に水なはずだ……。

さらに店内にはところ狭しと、選手のサイン入り写真がずらりと並ぶ。ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、アンディ・マリー、それにセリーナ・ウィリアムズにマリア・シャラポワ……「これらの選手たち、全員来たんです?」と聞くと、「もちろんだよ! アンディは毎年のように来てくれるし、昨日はスペインの選手たちがたくさん来たんだ」との返事。そして、10年以上前のある年、ふらりと店を訪れ、牛肉のチリ炒めと卵チャーハンを食べた若い女子選手の話を始めた。その子は、初めてお店に来た翌日に勝利。その後もたびたび店を訪れ、そのたびにゲン担ぎのように、同じメニューを頼み続けたという。「あの子、また勝ったね」と夫婦で話しているうちに、あれよあれよと気づけば彼女は頂点へと駆け上る。当時17歳の長身のその少女こそが、マリア・シャラポワだったという。

それら勲章のように飾られる写真と並び、このレストランが目を引くのが、タイの密林とウィンブルドンの芝を組み合わせたかのようなディスプレイだ。その豪勢さは、道行く人達が足を止めて写真を撮っていくほど。それらの装飾に話題を向けると、意外な事実を知ることになる。実は、このウィンブルドン・ビレッジ一角では“ウィンドウ・コンペティション”なるものが開かれており、どのショップのディスプレイが一番すぐれているかを毎年競っているのだという。審判を下すのは審査員と、facebookなどSNSでの一般投票。

「僕らの店は、去年優勝したんだ。だから今年は、プレッシャーが掛かっちゃってね……」。

前年に収めた好成績を維持せねば……という重圧を感じているのは、どうやら選手だけではなかったようだ。

肝心のお食事の方は、かつてアンドレ・アガシが好んで食べたというグリーン・カレーと、件のシャラポワの“優勝メシ”を美味しく頂く。

「メルドニウム、入ってませんよね?」という不謹慎な言葉は、流石にぐっと飲み込みました。