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全仏3回戦の錦織圭の死闘を、対戦相手のF・ベルダスコの視点から見てみる

内田暁フリーランスライター
※写真は、昨年の楽天ジャパンオープン来日時のベルダスコ

初めて錦織圭と対戦した時、彼は、世界の9位だった――。

その2年前の全豪オープン準決勝で、当時世界1位だったラファエル・ナダルとフルセットの歴史的な死闘を演じ、キャリア最高の7位にも到達。翌年の2010年にもツアー2大会で優勝し、まずはトップ5、そしてそれ以上を目指して迎えた、2011年シーズン。その最初のグランドスラムである全豪オープン3回戦で対戦したのが、錦織である。相手が秘める豊かな才能は感じながらも、頂点を目指すフェルナンド・ベルダスコにとっては、決して難しい戦いではなかった。62 64 63のスコアでの完勝。敗れた錦織は、「何も出来なかった感がある」と試合後に口にしている。

錦織の棄権で終った2度目を挟み、3度目の対戦は初顔合わせから4年後の、インディアンウェルズ・マスターズ3回戦で訪れた。

かつて世界の82位だった小柄で細身の日本人は、全米オープン準優勝を経験した、世界の4位になっている。一方のベルダスコは、31位。両者の立場は入れ換わっていたが、インディアンウェルズの高く弾むコートとボールは、筋骨隆々の左腕から繰り出すベルダスコのトップスピンに味方する。そこに風も加わり変化を増した武器は、錦織が「どこに弾むか分からなかった」と頭を抱えるほどに世界4位を苦しめ、第1セットをタイブレークの末にベルダスコが奪取。しかし第2セット以降は、ボールの跳ね際を叩く錦織のストロークに時間を削られ、ミスが増えた。第2セットを簡単に失い、再び競った第3セットでは2本のマッチポイントを凌ぐも、3本目で力尽きる。

「数年前には、まだまだ勝てないと感じた選手。今日の勝利は、素直に嬉しい」

勝者の世界4位は、喜びに顔をほころばせていた。

■32歳、挑戦者の立場で世界6位に挑んだ、全仏オープン3回戦での戦い■

「圭は、既に世界のトップ選手だし、今大会の優勝候補の一人だ」

全仏オープン3回戦での対戦を控え、ベルダスコは錦織について、そう評する。だが彼に、特別な気負いはない。少なくとも、気負わないように心掛けていた。

「目の前の1つのポイントに集中し、全力を尽くすこと」。

それが上手く行くことも、行かないこともあるのだと彼は言う。そして試合前半は、「上手くいかない」方に転んだ。

武器のサーブが、思うように走らない。その乱れを、リターンの名手の世界6位が見逃してくれるはずもない。第1セットは3度のブレークを許し、セットをも落とした。

第2セットも、結果的には競った末にベルダスコが失う。だがこのセット中に彼は、「目の前のポイントに集中」する姿勢が、徐々に「上手く行く」方へと傾き始めた手応えをつかんでいた。

一つのきっかけとなったのは、意外とも言えるショット。第1セットで打ってみたドロップショットが、とても心地よく感じられた。試しにもう一度打ってみると、会心の逆回転の掛かったボールが、ネットギリギリを超え相手コートに沈んでいく。「もっとこれを使ってみよう」。その後もドロップショットは、面白いように錦織を翻弄した。

もう一つの上手く行き始めたことが、サーブである。サーブの当たりが良くなり、するとその好感触に引きあげられるようにして、フォアハンドでも気持ち良くボールを潰せるようになった。フォアの強打を放つたび、第1コートの観客が、自分の名を熱狂的に叫ぶ声も聞こえてくる。その歓声が、彼に新たなモチベーションを与えていた。

自信をつかんで挑んだ第3セット――。相手サービスの第3ゲームで、ベルダスコはフォアで押し込み、ドロップショットを決めて15-40とブレークの機をつかむ。そして次のポイントでは、浮いた相手の返球を、飛び上がり強打を叩き込むと見せかけながら、空中でラケット面をすっと翻し、フォアのドロップショットをふわりと落とす……。

ますます熱狂する観客。彼は声援を背に受けて、第3セットを、さらには第4セットをも奪い返した。

第5セットに入っても、サーブはますます好調だ。最初のゲームで、時速209キロのエースを叩き込む。しかし対する錦織も、ボールを捕らえるポジションを上げ、明らかに跳ねるスピンに対応し始めていた。

最終的に勝敗を分けたのは、ゲームカウント2-2で迎えた、たった一つのゲーム。錦織のバックサイドへと放った渾身のフォアのクロスは、2本立てつづけに、見事にストレートに切り返された。最終スコアは、3-6,4-6,6-3,6-3,4-6。

試合後にスタッツ(統計)を見た時、彼は、自分の方が相手よりも、総獲得ポイントでは勝っていたことに気がついた。

■キャリアの終盤を自覚することで、変化しはじめたテニスへの姿勢■

「今回の錦織のプレーを、過去の対戦時と比べてどう感じたか?」

試合後にそう問われたベルダスコは、落ち着き払った表情で言う。

「最初の2戦は、僕が簡単に勝った。だが今の彼は世界の6位だ。全豪で対戦した時も、彼は既に良い選手ではあったが、まだ今のように自信を持ってコートに立ってはいなかった」

そして、こうも言う。

「今日の試合で負けたのは残念だが、良いプレーをしたことを嬉しくも感じている」。

今の彼は、以前のように“ゴール”を設定することを好まない。以前の彼は、明確なランキングの数字などを、目標に設定してきた。だが「それで上手くいった試しはなかった」と言う。だから、今は一日一日を、一試合一試合を、一つのポイントを全力で戦い、その瞬間を楽しむことを心がけている。自分のキャリアが、徐々に終わりに近づきつつあることも、32歳の彼は自覚している。だから、どんな練習をも、疎かにしない。すると、周囲の人たちがいかに自分のために多くを犠牲にしているのか、どれだけの人達が自分を応援してくれているのか……今まであまり気にしなかった、そんなことも見えてきた。

「今日の試合でも、観客の声援は大きな力になった。そのことに、ありがとうと言いたい」。

万雷の拍手を背に受けて、13度目のローランギャロスを去った、32歳は言う。

「今日負けたのは残念だけれど、次もまた、今日みたいな競った試合ができればと思う。そしてその時こそは、僕の方に、事が上手く転んでくれることを願っている」。 了

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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