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3時間越えの死闘。錦織、王者ジョコビッチにファイナルセット・タイブレークで敗れる:ローマ・マスターズ

内田暁フリーランスライター

ローマ・マスターズ準決勝 ●錦織 6-2,4-6,6-7○

「1ポイントだよ。今日のポイント取得は112対111だった。まさに、1ポイントなんだ」

この競った戦いの末に、最終的に勝者と敗者を隔てたものとは何か――。

試合の、約30分後。何よりも知りたかった問いをぶつけた時、ジョコビッチは苦笑いとも取れる笑みを浮かべて、即答しました。

天気予報を覆し晴れ間を見せた、雨模様の週末の夜を熱く彩る3時間1分の激闘。世界1位と6位は181分を戦い、2人で合わせて223のポイントを奪いあい、5067メートル走った末に、たった1ポイントの差でジョコビッチが勝者となったのです。

3時間の間に数々のドラマが生まれた試合でしたが、開始直後に起きたそれは、なんとも奇妙なものでした。1ゲーム目が終わると同時に、トレーナーを要求しディカルタイムアウトを取るジョコビッチ。なんと彼は、シューズの裏にこびり付いた赤土を払おうとラケットのフレームでシューズを叩いた際に、誤って自分の足首を叩いてしまったのです。

擦れたように赤く腫れ、血までにじむくるぶしの治療を終えてコートに戻ったジョコビッチは、痛み以上にもしかしたら、大きな心の動揺を抱えていたかもしれません。

一方の錦織も、前の試合で追った右足の付け根に不安を抱えながらの試合。ジョコビッチが治療を終えコートに戻った、第2ゲーム。フォアサイドに振られると錦織は、やや痛みを恐れながら動くためか最後の一歩が伸び切らず、しかしジョコビッチも、彼らしくないミスを重ねます。このゲームは、両者どこかぎこちないまま、2度のデュースの末に錦織がキープ。

すると次のゲームでも、バックをネットにかけることの多いジョコビッチを攻めて錦織がブレークポイント。この機を逃すことなく、ダウンザラインへの果敢なリターンから心憎いまでに冷静にドロップショットを沈めた錦織が、大きく一歩先に進み出ました。

互いにトラブルや不安を抱えるなかで、両者ともに相手の出方や自分の状態を手探りで確かめ、真意を伺うように牽制しあいながら終えた3つのゲーム。

しかしこの直後から、両者がまとう空気もコート上に帯びる熱も、突如として変化します。奪われた主導権を直ぐに奪い返すべく、ギアチェンジしたかのように左右への鋭い動きと低く速いストロークでポイントを奪いにかかるジョコビッチ。しかし一歩も引くことなく打ち合い、ジョコビッチを左右に振り、そのヒートアップした打ち合いにいきなり水をかけるように、ネット際に柔らかく滑り込ませる、錦織のドロップショット。

美しい弧を描いてコートを鋭角に駆ける錦織のフォアのウイナーに、思わず「ブラボー」と思わず声を上げ送られるジョコビッチの拍手。

この時、両者の頭からは既に、足への不安や翌日に控える決勝のことなどは、綺麗に消え去っていたでしょう。高質なショットの応酬と高次の駆け引きによる頭脳戦が、赤土の上で拮抗しているだけでした。

このセットでジョコビッチが手にしたブレークポイントは3本。錦織は2本。錦織は全てのチャンスを手中に収め、ジョコビッチのそれは全て拒絶します。第1セットは、6-2。錦織が奪いました。

第2セットはしかし、ジョコビッチが明らかにプレーの質を上げてきます。それでもまだ序盤は、ジョコビッチが錦織の力を探りに来ていたでしょう。ベースラインから下がり、守備に徹してみる。あるいは、リスクをとらず確実にボールを入れてみる。しかしその度に、ジョコビッチの安全策を打ち砕くように叩き込まれる、錦織のフォアのウイナー。

そして同時にこの時ジョコビッチの中でも、一つの覚悟が固まったように見えました。ベースラインから下がらずに相手コート深く、コーナーギリギリに立てつづけにストロークを打ちこみ、ネットに出てボレーも決めてくる王者。それでも錦織は6本のブレークポイントを凌ぎますが、7本目でついに落とす。この唯一のブレークがセットを決めるポイントとなり、第2セットはジョコビッチの手に。この時、試合開始から既に1時間40分。両者手にしたポイント総数は、61対61で五分でした。

ファイナルセットは、ただただ死闘となります。

ジョコビッチが第1ゲームをブレークし、続くゲームで2本のブレークポイントを凌ぎ3-0。その後も一気にたたみかけに来ますが、錦織は自身の2つのサービスゲームを、いずれもデュースまで追い詰められながらもキープ。決壊しかかる試合の趨勢をギリギリのところで押しとどめると、今度は、攻め続けながらも打ち破れなかったジョコビッチに、焦りと固さが見られます。4-2からのサービスゲームでは、ラリー中にストリングが切れたことにすら気付かず、主審に指摘されるまで、そのままプレーを続けようとしていたジョコビッチ。その僅かなスキに、錦織は身体ごと飛び込みます。リターンを全力でストレートに打ち返し、その勢いを推進力に素早く前に。浅く返ってきた球をフォアで深く打ち込むと、ジョコビッチの返球はネットに掛かります。

錦織がブレークバック。試合は再び、五分の均衡状態に戻りました。

「ケイ」コールと「ノバク」コールが混然となり、全てのポイント間でうねる轟音が、サーブを打つ直前には水を打ったように静まりかえる、興奮と緊張感が重なる試合終盤――。

1本のストロークが、一瞬の判断が全てを決するタイブレークで、錦織は3-3から痛恨のダブルフォルト。2本のマッチポイントを凌ぎ希望をつなぐも、最後はセンターに打ち込まれたジョコビッチのサービスが、3時間の高質で濃密な戦いに終止符を打ちました。

冒頭の、ジョコビッチの会見に戻ります。

「このレベルでは、緊迫した場面での数本のショットが……極めて少ないポイントが勝敗を分ける。今日の試合はそのことを示す、格好の例だった。時には、運が左右することもある」

そして、彼は続けました。

「基本的には、今居るその瞬間のみに集中すること。これは、手垢のついた言いまわしに聞こえるかもしれない。でも、それが真実なんだ。もちろん、人によって手法は違う。でもそれが、僕のやり方だ」。

この1ポイントが、果たして大きいのか、それとも小さなものなのか。それは今後の戦いにより、定義されるものなのでしょう。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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