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インディアンウェルズ大会レポート:元女王に快勝の奈良くるみ 緻密に用意された勝利への策とは?

内田暁フリーランスライター
オンコートインタビューの様子が、スタジアムのスクリーンに映し出される

○奈良くるみ 64 63 V・ウィリアムズ

ビーナス・ウィリアムズのリターンが大きくラインを超え、試合最初のゲームは奈良の元へ。そのときスタジアムはほぼ静寂で、まばらにすら起きない拍手――。

「こんなにアウェーなのは、さすがに初めて……」

覚悟していたこととはいえ、奈良は驚きを禁じえませんでした。

ビーナスのために用意された復帰ストーリーの舞台

この日のセンターコートがビーナスの応援一色になったのは、単に会場が、彼女が生まれ育った南カリフォルニアというだけではありません。ビーナスがインディアンウェルズのコートに帰ってきたのは、実に15年ぶりのことだったのです。

長き空白の発端は、2001年まで遡ります。この年の準決勝は、ビーナスとセレナのウィリアムズ姉妹間で競われるはずでした。しかしビーナスは、試合直前でケガを理由に棄権を発表。そして決勝戦当日……コートに立ったセレナと、ファミリーボックスに姿を現したビーナスに、棄権に不満を抱く観客から容赦ないブーイングが浴びせられたのです。この日を境に、2人は同大会から姿を消しました。

そのビーナスが、ついにインディアンウェルズに帰ってきた――だからこそ観客たちは、15年に及ぶ深い溝を埋めるかのように、万雷の拍手で元世界1位を迎えたのです。

全観客がビーナスの勝利を願い、身びいきを通り越した一方的な声援が送られる異様な空間に身を置きながらも、奈良は「変な緊張は無かった」と言います。それどころか「その方が、よりファイトできた」というのだから天晴れ。「いつもは観客に気分を上げてもらえるところもあるけれど、今日は自分を自分で上げていかなくてはいけない」と自覚することで、より集中して試合に入れていたようです。

さらには「ビーナスは初戦だし、この観客の中でやるのはプレッシャーになるはず」と、ビーナスのために用意された舞台すら、むしろ自分に有利に働くのではと予感していた様子。その予感にも、過去の経験にもとづく根拠がありました。奈良がビーナスと対戦するのは、これが3回目。過去2戦は敗れていますが、その敗戦からも「ビーナスは、試合の中で緊張する場面がある」との情報を持ち帰っていたのです。

それらの情報を状況に落とし込み、奈良は緻密に勝利へのシナリオを描きます。何より強く意識したのは、「相手のセカンドサービスにプレッシャーをかけること」。ビーナス最大の武器である高速サービスを封じるべく、セカンドサービスを叩くことで、相手に“入れにいく”ファーストを打たせる狙いでした。

その策が最初に奏功したのが、雨天中断を挟んだ後の、第1セットの終盤です。ゲームカウント3-3の第7ゲーム途中で激しく落ちてきた夕立は試合を33分中断し、その間に観客の足を会場から遠ざけました。果たして試合が再開したとき、客席には明らかに空席が増えることに。そして奈良はこの状況を「ありがたい!」とポジティブにとらえます。再会直後のゲームこそブレークで落としますが、次のゲームを直ぐにブレークバック。ビーナスの強打をベースラインから下がらずに跳ね返し、前後左右にボールを打ち分け35歳のベテランを振りまわしました。

さらに5-4からのゲームでは、緊張の見られるビーナスがダブルフォールトする場面も。狙い通りリターンでプレッシャーをかけた奈良が、第1セットを6-4で奪取。僅か56%というビーナスのファーストサービスでのポイント獲得率が、そのままスコアに現れました。

第2セットに入っても、奈良のリターンは依然好調。スタジアムを吹き抜ける強風も、高くトスを上げるビーナスのサービスに狂いを生じさせます。もっともそれは奈良も同様で、第2セットは互いにサービスに苦しみブレーク合戦へ。それでも常に主導権を握ったのは「長いラリーになればなるほど、相手の足が止まる」と見抜いた奈良。5-3とリードし迎えたサービスゲームでは、ワイドに切れていくサービス、そして相手の浅いボールを早いタイミングで叩く強打でポイントで常に先行しました。

そうして迫る、勝利の瞬間――。1度目のマッチポイントこそ、緊張と焦りからボールをふかしてしまいますが、2度目の勝機は逃しません。高く跳ねたチャンスボールを、フォアで逆クロスに叩きこむ――相手コートで跳ねた打球は鮮やかなウイナーとなり、ビーナスのインディアンウェルズ帰還物語に、早い終止符を打ちました。

勝利の瞬間、奈良は客席最前線のファミリーボックスを向き、両手を突き上げます。しかし直ぐに小走りでネットに掛けよると、自分より30センチ長身のビーナスと握手を交わし、ペコリと丁寧に頭を下げました。

このときばかりはビーナス贔屓の客席からも、勝者に向けて、温かな拍手が送られました。

※テニス専門誌『スマッシュ』のfacebookから転載。連日大会レポートや最新情報を掲載しています

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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