“娘殺しの母”とミニスカート~えん罪獄中20年 ある女性の世にも数奇な物語(2)大きな幸せはもうない

青木惠子さんの部屋はがらんとして生活感がない(筆者撮影)

生活感のない部屋で亡き娘と暮らす

 青木惠子さんが暮らす部屋はがらんとしている。必要最小限の家具を除き調度品があまりない。特に家電製品が少ない。最新の家電機器は使い方がわからないから苦手だ。青木さんはきれい好きで毎日のように掃除をするから、床にはちり一つなく、余計に生活感が感じられない

 そんな部屋でひときわ存在感があるのが仏壇だ。毎朝、仏壇に花とお茶を供え、火事で亡くなった娘、めぐちゃん(めぐみさん)に話しかけるのが青木さんの日課だ。その日1日の予定を語りかける。

めぐちゃんが亡くなった火事が原因で獄中に20年いた青木さん。月命日には仏壇でお経も唱える(筆者撮影)
めぐちゃんが亡くなった火事が原因で獄中に20年いた青木さん。月命日には仏壇でお経も唱える(筆者撮影)

 仏壇に飾られた写真は、8歳の時に写真館で勧められて撮影したウェディングドレス姿のめぐみさんだ。

「幼い時に花嫁姿で写真を撮ると、生き急ぐことになるから早死にするという言い伝えを後で聞いたの。この写真を見るたびそのことを思い出して悔やむのよね。でもこれが火事で残っためぐちゃんの唯一の写真だから、すごく大切なの」

この写真を青木さんは遠出する際にはいつも持ち歩く。どこに行くのもめぐちゃんと一緒(筆者撮影)
この写真を青木さんは遠出する際にはいつも持ち歩く。どこに行くのもめぐちゃんと一緒(筆者撮影)

 この部屋で一人で暮らしていて、寂しくはないのだろうか?

「私はずっと一人で暮らしたことがなかった。高校を卒業して親元を出たけど、すぐに男と一緒に暮らしたし(後に夫になる男性)、夫と別れた後はめぐちゃんやSちゃん(下の男の子)と一緒だったし、逮捕されたら獄中だし。今初めて一人でいるけど、ちっとも寂しくない。いつもめぐちゃんと話してるから。朝だけじゃなくて、いつも何かあるとめぐちゃんに話しかけてるのよ。『ねえ、めぐちゃん、あのねえ』って。だからちっとも寂しいと思わない

「(えん罪関係の)講演なんかで遠出して自宅を空けるじゃない。そんな時、小さい子どもを置いて出かけている感じがするのよ。まだ子どものめぐちゃんを残したまま、という感じがね」

大きな幸せはもうない。求めてもいない

 毎月22日はめぐみさんの月命日。青木さんは毎回墓参りを欠かさず、火災現場にも花を手向けに通う。

 火事から救い出せなかった。性的虐待に気づかず、助けてあげられなかった。めぐみさんにただただ「申し訳ない」という思い。

「私は死ぬまで申し訳ないという気持ちを抱きつつ生きていくし、それは一生忘れないという思いでいるの」

「刑務所を出てきた時、『苦労したんだから幸せになってね』とみんな言ってくれた。でも現実に待っていたのは親の介護だった。私には日々の小さな幸せはあっても大きな幸せはもうないの。求めてもいないし。自分だけ幸せになるのは罪悪感があるわ。だからもう結婚もしない…」

 めぐちゃんとともに暮らし、めぐちゃんの人生を生きる。これからもずっと一人で生きていく決意だ。

毎月22日の月命日にはめぐちゃんの墓参を欠かさない。背後にいるのは8歳で別れた息子(筆者撮影)
毎月22日の月命日にはめぐちゃんの墓参を欠かさない。背後にいるのは8歳で別れた息子(筆者撮影)

人間不信と極端な潔癖症

 青木さんと一緒に外出すると、不思議な光景を目にすることになる。除菌ペーパーである。食事の席で、講演会場で、裁判所で、青木さんは行く先々で、自分が座る椅子や机を丁寧に拭く。一種異様な光景だ。

「(警察に)捕まってから、人を信用できなくなった精神状態っていうか、怖いのよ。誰が座ったかわからないから、拭かないとそこに座るのは無理。神経質が一段とすごくなっちゃった

 そのことを象徴するような出来事が最近あった。3月14日、大阪地裁で開かれた青木さんの国賠訴訟(警察と検察のえん罪の責任を問う国家賠償訴訟)の弁論。原告席に座る青木さんはいつものように座席や机を除菌ペーパーで拭いた後、席について、目の前に除菌用アルコールジェルの小さなボトルを置いた。自分の手も常に清潔にしておかないと気が済まないからだ。と、隣の弁護士が「何、これ?」と思ってボトルに手を触れた。とたんに青木さん、「なんで触るのよ!汚れるじゃないの

 すかさずボトルを除菌ペーパーで拭きだした。周りの弁護士たちは、青木さんが怒ったように見えても本気ではないと、よくわかっている。「またいつものクセが始まった」と笑いが広がった。少し離れた傍聴席にいる支援者たちには事情がよくわからない。裁判が終わった後、「和やかに笑っていたのはなぜ?」と青木さんに尋ねてきた。

 逮捕から20年間という長い歳月、青木さんは自由を奪われていた。誰も信じられないという思い。それが極度の人間不信と潔癖症を招いたのだという。

見知らぬ人の目が怖い

 “娘殺しの母”の汚名をそそいだ青木さん。だが「無罪」になっても世間の人がみな「無実」を信じてくれるわけではない。インターネット上には無実を疑う誹謗中傷がいまだにある。だから青木さんはネットを見ない。そして見知らぬ人の目が怖い。電車に乗っていても「誰かに見られているんじゃ?」と視線を感じるという。

 最近、知り合いとともに近所の居酒屋に入った。何度か利用したことのあるお店だ。これまでは何もなかった。ところがこの日は、店にほかのお客がいなくなったあと、店の人が話しかけてきた

「あの~、青木惠子さんですよね。これまで遠慮していたんですけど、初めてお店に来られた時から気づいていました」

 それは好意的な意味で話しかけてきたようだった。だけど自分のことを知っている人がいろんなところにいると思うと、落ち着かない気分になる。もう1軒、繁華街にある焼き肉店でも同じように店の人に声をかけられた。

どこで誰に見られているかわからないから、ものすごく緊張するの。車を運転していても、交通違反は決してできないわ。事故なんてもってのほか。『あの青木惠子が』って言われるんだから」

なおも襲う新たな不幸~母親の失踪と死~

 青木さんの不幸は獄中から出ても続く。おととし10月、認知症の症状が出ていた母親が一人で自宅を出たっきり行方がわからなくなったのだ。ちょうど私たちNHKスペシャル取材班のロケ期間の真っ最中だった。我々はいったん撮影を中断してスタッフ全員で行方を捜した。青木さんも父親も息子夫婦も懸命に探し続けた。しかし1か月後、母親は遺体で見つかった。青木さんと交流のあるえん罪被害者はこう嘆息した。「なぜ彼女ばかりこうも不幸が重なるのか!

 だが青木さんは前向きに捉えようとしている。家族総出で母親を探したことで、獄中の20年で失われていた家族の絆を取り戻すきっかけになった。悪いことばかりではないと。母親が家族のために残してくれたことのように感じられた。

「生きてることが苦しい」…忙しさが心の支え

 青木惠子さんが最も熱心に取り組んでいるのは、えん罪の恐ろしさ、残酷さを訴える活動だ。同時に、同じようにえん罪を訴える人たちの支援にも力を入れている。

再審法改正をめざす市民の会の結成集会であいさつする青木惠子さん(提供・救援新聞)
再審法改正をめざす市民の会の結成集会であいさつする青木惠子さん(提供・救援新聞)

 きのう20日は、東京で「再審法改正をめざす市民の会」の結成集会に出席。共同代表のひとりになった。青木さんは自身の体験から、再審の手続きを定めた法律を整備する必要性を痛感している。検察に証拠を開示させる規定がないとえん罪を晴らすのが難しいし、検察による再審への不服申し立ても救済を遅らせることになっているから、なくすべきだと考えている。この日の集会にはえん罪被害者のほか法律家や学者、市民も大勢参加。あいさつに立った青木さんは「みんなで力を合わせて闘っていきましょう」と呼びかけた。

壮絶な体験に根ざした青木さんの話は説得力がある(提供・今井恭平氏)
壮絶な体験に根ざした青木さんの話は説得力がある(提供・今井恭平氏)

 他にも各地の刑務所でえん罪を訴えている受刑者の面会に訪れたり、支援団体から講演の依頼を受けたり、全国を飛び回っている。例えば3月の日程はこうだ。

● 2日…東京(「冤罪犠牲者の会」結成総会)

●10日…岡山(亡くなった支援者の自宅を訪問)

●15日…金沢(えん罪を訴える人の国賠訴訟傍聴)

●19日~21日…山形(えん罪を訴える受刑者や支援者と面会)

●23日…東京(えん罪を訴える袴田事件の全国集会)

●27日~28日…熊本(えん罪を訴える松橋事件の再審判決)

 遠出だけでこれだけある。加えて大阪では自身が起こした裁判、えん罪の責任を問う国賠訴訟がある。さらに89歳になった父親の高齢者専用住宅への引っ越しとその後のお世話、おととし亡くなった母親の墓参りと、ほぼ毎日何らかの予定がある。なぜこれほど過密日程なのだろう?

「自分がこんな目に遭ったから。同じ思いをする人をなくしたい」

 もちろん、それは大きい。だが、それだけではない。

「わたし、生きてることが苦しいのよ。めぐちゃんのこと、責任を感じているから。ずっと消えることがないから。そこから目をそらすために忙しくしてるのかも…。ひまになったら危ないよ

 忙しさが、青木さんの心の支えになっている。

えん罪撲滅をめざす仲間たちと記念撮影。前列向かって左から2人目が青木さん。その隣、前列左端は青木さんを獄中にいる時から支えてきた日本国民救援会の伊賀カズミさん(提供・救援新聞)
えん罪撲滅をめざす仲間たちと記念撮影。前列向かって左から2人目が青木さん。その隣、前列左端は青木さんを獄中にいる時から支えてきた日本国民救援会の伊賀カズミさん(提供・救援新聞)

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 次回、最終回はあす22日。“鬼母”と書き立てられた青木惠子さんの真の姿、めぐちゃんとの関係を描きます。副題は「警察署は消え人生は続く