“娘殺しの母”とミニスカート~えん罪獄中20年 ある女性の世にも数奇な物語~(1)時間が止まった私

青木惠子さんの時間は31歳で止まっている(筆者撮影)

 私は31歳、2児の母。内縁の夫と家族4人で幸せに暮らしていた。でもある日、自宅が火事になって最愛の娘を亡くしてしまった。悲しみも癒えぬうちに刑事がやってきた。「お前が夫と家に火を付けて娘を殺したんや」と決めつけてきた。「保険金目当てに鬼のような母親や」と。そんなこと、ありえない! なのに信じてくれないの。そのまま20年も獄中に囚われることになるなんて。それに「4人で幸せに暮らしていた」というのは私の思い違いだった。なぜなら娘は…

えん罪が招いた世にも数奇な人生

 これは大阪の青木惠子さん(55)の身に実際に起きたこと。やり直しの裁判で無期懲役から無罪になり、20年ぶりに塀の外に戻ることができたけれど、失われた時は戻らない。かわいい盛りだった8歳の息子は見知らぬ大人の男に。元気一杯だった両親は80歳を過ぎて介護が必要に。そして自分は、アラサーからアラフィフに。まるでタイムスリップしたようだ。長年塀の中に閉ざされて、ネットもスマホも、ガラケーだってわからない。そんなもの逮捕前は知らなかった。世の中になじめず、他人の目が気になる。時々ふっと「刑務所に戻りたい…」とすら思ってしまう。

 私は青木さんの無罪判決の直後から、ある疑問を感じて取材を始めた。それから3年近く、青木さんはきょう20日、えん罪を訴える人たちに再審(裁判のやり直し)の道を開くため「再審法改正をめざす市民の会」の結成に参加する。これを機に、私が見つめてきた青木さんの姿を3回にわたり描こうと思う。20年という途方もなく長い時間の中で失った自分の人生を取り返そうと歩み続ける、1人の女性の世にも数奇な人生の物語を。

ミニスカート姿で送る亡き娘の人生

 青木惠子さんはいつも若々しい格好をしている。私が自宅を訪れた3月のある日も、黒タイツの上にミニスカートをはいていた。

「私は若いときからずーっとミニよ。19歳でめぐちゃん(娘のめぐみさん)を産んでもミニ。周りには『何あれ?』って言う人もいたけど、その頃から私は『何よ、負けるもんですか』っていう気持ちだったからね」

 ほかにも黄色い花柄のワンピースなど、華やかな服装をしていることが多い。

「私はもう50歳を回っているけど、30代で時が止まっているから。突然50代の服なんて着られない。自分の年齢をわかっていても、やっぱり31歳(逮捕時)の時に着ていた服っていう感じで、それが私にとっては自然なのよ」

 獄中で20年の時が奪われたことを象徴する話だ。だが実は、この服装にはもう一つの意味合いがある。火事で亡くなった娘、めぐみさん(当時11歳)の身代わりなのだ。

「めぐちゃんが生きていたら、今ごろは30代でしょ。でもめぐちゃんがその歳を生きることはないのよね。私もその歳のころは獄中にいたから外の世界で生きていない。だから今、その歳を生きてる。30代のような服装をするのよ。めぐちゃんができなかった服装を。めぐちゃんは黄色い花が好きだった。特にひまわりが。だから花柄の服を着るし、ハンカチだって黄色のひまわり柄よ。私は自分の人生と一緒にめぐちゃんの人生を生きてるの

車の中にもさりげなくひまわりの飾りが(筆者撮影)
車の中にもさりげなくひまわりの飾りが(筆者撮影)

娘の衝撃の事実を使って自白を迫った刑事

 無実の人が警察や検察の捜査で濡れ衣を着せられ罪を負わされるえん罪。青木惠子さんは逮捕直後から無実を訴え続け、無期懲役を覆し完全無罪を勝ち取った。発生した地名から東住吉えん罪事件として名高い。

 発端は24年前の1995年(平成7年)7月22日。大阪市東住吉区にあった青木さんの自宅から火が出て全焼。青木さんと小学生の子ども2人、それに電気工事業をしていた内縁の夫の4人が暮らしていたが、入浴中だった娘のめぐみさんが亡くなった。火元は自宅内のガレージ。外部から侵入した形跡はない。警察は、青木さんが内縁の夫と共謀し、娘の保険金目当てにガレージでガソリンに火を付け、めぐみさんを殺害したとして2人を逮捕した。火事から1か月半後の9月10日のことだ。

 この日、青木さんを東住吉警察署に連行した刑事は、取り調べで衝撃的な事実を口にする。内縁の夫がめぐみさんに、性的虐待を繰り返していたというのだ。遺体にその痕跡があった。警察はすでに内縁の夫に性的虐待を認めさせていた。しかし母親の青木さんはまったく気づいていなかった。めぐみさんはお母さんに何も言えなかったのだろう。

「刑事がいきなりあの男(内縁の夫)とめぐちゃんのことを話してきたの」「お前も知ってたんやろ、女としてめぐを許されへんから殺したんやろ、と言われた」「もう私はショックを受けてパニック状態。頭の中が真っ白になったわ」「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ、と大声で怒鳴って机を叩いてくるのよ」

 驚愕の事実を突きつけられて混乱する中、青木さんは刑事に言われるままに自供書を書いた。これが逮捕の決め手になった。刑事は内縁の夫にも、放火殺人を否認すれば「性的虐待をマスコミにばらす」と告げて自白させた。自白以外に直接の物的証拠はなく、青木さんはすぐに再び否認したが、裁判所は2人に無期懲役の判決を下した。

 犯行の動機とされた保険金は、子どもを持つ親の多くが加入する学資保険だった。しかも火事の3年も前に保険外交員の勧めで加入したものだ。判決は、この保険を動機に放火殺人をすることに疑問を示しながらも「あながちありえないことではない」と判断した。青木さんは「裁判官にも信じてもらえない」と絶望したという。

青木さんに有罪判決を下した大阪地裁・大阪高裁。再審無罪判決もここで出た(筆者撮影)
青木さんに有罪判決を下した大阪地裁・大阪高裁。再審無罪判決もここで出た(筆者撮影)

“火事は自然発火”一転無罪に

 青木さんが刑務所に入った後も、弁護団は粘り強く無罪の証拠を探し求めた。そして再現実験を繰り返した結果、自白通りの方法でガソリンをまいて火を付けると本人が大やけどをしてしまうため、放火は不可能だと突き止めた。さらに、自宅のガレージにあったホンダの軽自動車の給油口からガソリンが漏れる可能性があることを、全国のほぼ同型の車種の調査などから割り出した。

「火事は放火ではなく、車から漏れたガソリンに風呂釜の種火が引火して自然発火した可能性が高い」

 有罪の根拠は崩れ、裁判所は裁判のやり直し(再審)を認めた。同時に刑の執行停止も認められ、青木さんは刑務所を出て20年ぶりに自由の身になった。そして翌2016年(平成28年)8月10日、青木さんはやり直しの裁判で晴れて無罪判決を勝ち取った。

 同時に、内縁の夫だった男性も無罪になった。放火殺人はもちろん無罪だし、娘への性的虐待は時効で、もはや立件できない

無罪確定後に始まった取材

 私は当時、NHK大阪報道部の記者で、裁判の取材を担当するようになったばかりだった。判決文を見て性的虐待の事実を知り、心を揺さぶられた。大手マスコミはどこもそのことを報じていなかった。めぐみさんは最大の被害者なのに、受けた被害を「なかったこと」にされているようなものだ。この家族にいったい何があったのか?きちんと経緯を取材して放送できないか?これが取材の動機になった。

 それから1年4か月。取材の成果はNHKスペシャル時間が止まった私」という番組になった。大人になった息子。高齢になった両親。20年の空白で失われた家族との絆を取り戻していく姿がメインテーマだ。同時に、めぐみさんが受けた性的虐待の被害と、青木さんのめぐみさんへの思いも描いた。

 それからさらに1年半。青木さんの生活も心境も、少しずつ変化している。だが、めぐみさんへの思いは変わらない。

番組のロケ終了後、父親と焼き肉を囲む青木惠子さん(筆者撮影)
番組のロケ終了後、父親と焼き肉を囲む青木惠子さん(筆者撮影)

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 次回はあす21日、「大きな幸せはもうない」という青木惠子さんの日常と、えん罪撲滅にかける思いを伝えます。