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「養殖サーモンの国ノルウェー」で批判的な研究者でいることのリスク

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
ノルウェーの養殖サーモンは「危ないテーマ」だ(提供:アフロ)

ノルウェーに関する話題で筆者があえて避けているテーマがある。「ノルウェー産養殖サーモン」だ。そう、日本でも多く輸入している魚だ。

ノルウェーのメディアでは「養殖サーモンは危ない・あまり食べないほうがいい」という記事が数年前から出回っている。魚を口にする人間への健康面と、養殖産業が海の生態系に悪影響を及ぼすという、主に2種類の観点で議論がされている。

このテーマは筆者にとっても非常に取り扱いにくい。特に養殖サーモンの注意点を指摘しようとするノルウェー在住の研究者たちにとっては。気候変動対策に消極的なトランプ政権のもと、気候化学関連の研究者たちが仕事に影響が出るのではないかと懸念する動きに似ている。

「サーモンは我々のキャリアを全て破壊する」。ノルウェー養殖サーモンを批判しようものなら、上からの圧力で研究者としての人生に悪影響を与える。一部は匿名で、20名の関係者がネットマガジン「Harvest」に語った(2017年6月掲載)。

タイトルは「苛立つサーモン研究者たち。“シーフード国家ノルウェー”という間違った敵と向き合う研究者たちがここにいる」。

批判的な研究者は政府にとって「黒い抵抗勢力」

海産物の消費を2050年までに5倍にすることを目指すノルウェー。そこで、研究者たちが養殖産業に影を落とすようなことを口にすると、どうなるだろうか。ペール・サンドバルグ漁業大臣(進歩党)は、批判的な研究者たちを「黒い抵抗勢力」と呼んだ。

国外への輸出量は増加し、「未来の巨大産業」と喜ぶソールバルグ首相。右派・左派関係なく、政治家にとって養殖サーモンは金のなる木だ。売上を下げるような批判的な研究結果は自然と歓迎されず、見えないところから圧力がかかってくると、一部の研究者たちは指摘する。

サイトの「Harvest」が関係者に連絡すると、このような反応が返ってきたという。

  • 「勘弁してください。夏休みが台無しになってしまう」
  • 「わからないのですか?養殖企業で株を購入しているのは政治家たちですよ」
  • 「私はナイーヴではありません。ノルウェーのシーフードは政治的です。批判的なデータを報道機関に持ち込めば、私のキャリアに傷がつきます。研究費用をもらうのが、さらに困難になってしまう」

その一部はこうだ。

ノルウェー栄養・シーフード国営研究機関NIFESにかつて勤め、現在はベルゲン大学で研究するJerome Ruzzin氏は、研究内容を公表しないようにNIFESに指示された。内容はシーフードに含まれる環境汚染物質がもたらす身体への影響だ。

もしジャーナリストが電話してきたら、上司たちに報告せねばならず、質問にどのような回答をするか指示されました。国際会議へは出席させてもらえませんでした。

環境汚染物質について話した時、上司は怒り、ドアを指さし、出ていけと言いました。私は研究データのことが心配になったため、データを守ろうとする必要がありました

出典:ベルゲン大学研究者 Jerome Ruzzin氏

ハウケラン病院の医師・研究者であるAnne-Lise Bjorke Monsen氏は2013年、ノルウェーのVG紙に「子どもにサーモンを食べさせてはいけない」と答えた。結果、当時のヨナス・ガーレ・ストーレ保健大臣(現在の左派・労働党党首、今年の国政選挙の結果次第では次期首相)や職場から批判を受ける。

その後の周囲からの反撃はすさまじく、私はもうこのテーマについては諦めるでしょう。けれども、私たちには子どもへの責任があります。政府が子どもや妊婦にサーモンを食べることを推奨する姿勢には疑問を感じざるをえません

養殖サーモンにおける多くの研究は養殖業界から金銭的な支援を受けています。それは科学というのでしょうか?コンテンツマーケティングというのでしょうか?

ポジティブな研究結果が溢れ、批判的な研究者は苦労する。本来なら避けられるはずの健康問題を引き受けるのは子どもです。グロテスクとしかいいようがありません

出典:医師・研究者 Anne-Lise Bjorke Monsen氏

Bjorn J. Bolann医師はMonsen氏がコメントしたVG紙の記事で「環境汚染物質はできる限り避けたほうがよい。特に妊婦、子ども、若者は。なぜ毒を含むサーモンをそこまでして生産する必要があるのか?」。Bolann医師は記事の掲載後に勤務先の病院に呼び出され、叱責されたという。

海洋研究機関HIのStein Mortensen研究者は「有名なブラックリストの人」で名前が知られている。サーモン養殖加工会社マリンハーベストは、Mortensen氏が関わっていた研究プロジェクトの結果が世に出ることを好まなかった。とんでもないミスをしでかし、企業はMortensen氏に関する「怒りのメール」を、「間違えて本人に誤送信」してしまい、報道機関でニュースとして取り上げられた。「この研究者を、今後我々が協力を拒否するブラックリストに追加しろ!業界にとってポジティブなはずのテーマにネガティブな目線を投げかけるとは。多少飾らなければ、物事がさらに悪くみえてしまう」。

あのメールが来た時、状況が理解できずに同僚に転送したら、そのまま拡散されたんですよ。あの後、企業から謝罪はきましたがね。もし研究結果を飾っていたら、それは研究者として終わりでしょう

出典:研究者 Stein Mortensen氏

養殖サーモンのシラミ感染が解決しなければいけない問題だということは誰もが同意するでしょう。しかし、環境的な観点で仕事をする場合、産業界にとってはネガティブな結果がでることもあり、研究者はそのことを恐れます。結果として金銭的な援助を得ることが難しくなるかもしれないのですから

出典:匿名の研究者

生活を犠牲にして、敵を増やしてまで、誰が勇気をだして批判の声をあげようと思うだろうか?

他にも、養殖サーモンにおける批判的な声をあげた研究者たちは、政府・産業界・職場から猛烈な反撃にあう。「たかが一研究者の意見だ」と相手にされず、巨大すぎる「敵」を前に、気力と暮らしを犠牲にしてまで声をあげようとは思わないと語る。

このような報道はノルウェーでは毎年新聞の見出しで目にする。ノルウェーの記者には影響していないようだが、情報をリークする研究者や医師たちには代償が伴う。

養殖サーモンに批判的な声をあげると、「あなたの主張はヒステリーで、正しくはない」と言われ続けるだけではなく、このような反発にもあう。「では、どのように代わりの金のなる木を見つけるのか/養殖業界の売上が減れば、失業者がでる/代替案がないあなたの発言は無責任だ」、「ノルウェーが養殖業を控えたところで、他の国がやる。ノルウェーがしたほうが、まだサステイナブルだ」と。

ちなみに、この「ノルウェーがやらなければ、他の国がする。ノルウェーができる限りの良い方法でしたほうが、まだましだ」というような言論は、ノルウェーの石油・ガス産業の政治議論でも聞かれる(環境先進国という国際イメージが浸透しているが、石油掘削で大量の排出ガスを放出中)。

ちなみに筆者は体調を崩しやすいので、しばしばノルウェーの医療機関に行くのだが、とある担当者に「養殖サーモンは食べちゃだめだよ。野生サーモンを食べなさい」と言われたことはある。

とはいえ、ノルウェーでは食材の選択肢が限られており、日本で魚を食べて育った筆者にはスーパーに並ぶサーモン、通りの寿司屋は魅力的だ。一方、このような現地情報やシラミにまみれたサーモンの写真などを見かけると、その日は食欲が落ちることもある。普段はノルウェー人以上にサーモンは食べていると思う。味はおいしい。

あまり書きすぎるのも怖いので、ここで終わりにしよう。

Text:Asaki Abumi

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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