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米パピーミルの保護犬とウクライナ家族 奇跡の出会いの物語(後編)

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
保護犬を迎え入れたウクライナ人のアラさん(手前)。(c)Kasumi Abe

母犬リリィがパピーミルから救出されたあの日、彼女の第二の人生が始まった ── 。

ペットショップの可愛い子犬をたくさん産まされてきたお母さん犬と戦争で国を追われたウクライナ家族の奇跡の出会いの物語

前編

パピーミルから救出されたあの日、心も体もボロボロの母犬リリィを迎え入れたいと手を挙げたのは、祖国ウクライナから逃れてきた家族だった。

1ヵ月後、私はその家族のもとを再び訪ねた。

母犬の第二の人生がすでに始まっていて、見た目は可愛く生まれ変わり、素敵なウクライナ風の「ステファニア(Стефания)」と名付けられていた。

パピーミルでただ子犬を量産するためだけに生きてきた母犬、ステファニア。ウクライナ家族の一員となった。(c)Kasumi Abe
パピーミルでただ子犬を量産するためだけに生きてきた母犬、ステファニア。ウクライナ家族の一員となった。(c)Kasumi Abe

ステファニアは歯の治療を受けたばかりで、避妊手術も時期が来たら受けさせるという。今受けられない理由は…驚くことに、彼女は妊娠中だった(!)。

ボランティアが避妊手術に連れて行き、妊娠が判明した。犬は多胎動物だが彼女のお腹の中に宿った新しい命は1匹。パピーミルで妊娠させられたのは明らかだが、健康な子が生まれないとして見捨てられたのだろう。この1ヵ月でそんなサプライズもあった。

彼女を家族の一員に新たに迎え入れたのは、今年2月にウクライナのキーウからニューヨークに逃れて来た、アラ・リシツカさん一家だ。

アラさんはキーウでフローラルデザイナーとして働いていた。ヨーロッパとアメリカを股にかけIT事業を行なっている夫ディミトリーさん、芸術大学でゲームデザインを学ぶ21歳の長女マイヤさん、14歳の長男マシューさんと4人で避難生活を送っている。

息子のマシューさんは移住して10ヵ月だが学年成績優秀者上位19位に選ばれるなど新天地で健闘中だ。姉のマイヤさん(左)は、芸術大学でゲームデザインを勉強中。(c)Kasumi Abe
息子のマシューさんは移住して10ヵ月だが学年成績優秀者上位19位に選ばれるなど新天地で健闘中だ。姉のマイヤさん(左)は、芸術大学でゲームデザインを勉強中。(c)Kasumi Abe

「もう動くのよ、お腹の子」。まるで自分の子のように目を細めるアラさん。「パピーが生まれるの、楽しみですね」。私は大人しく抱っこされるがままのステファニアのお腹を優しくさすった。

ステファニアは一家から愛情をたっぷり受け、パピーミルから救出された直後の見窄らしい面影は消えていた。ただし根暗な性格はそう簡単には直らないようで、撮影が終わった途端、そそくさと奥の部屋の寝床に引っ込んだ。

9月末、パピーミルから救出された直後のステファニア。常に狭小の日陰に隠れ、人間に怯えていた。(c)Kasumi Abe
9月末、パピーミルから救出された直後のステファニア。常に狭小の日陰に隠れ、人間に怯えていた。(c)Kasumi Abe

ところでアラさんに、ステファニアという名の由来を尋ねたところ...

「ウクライナの女性の名前でもあるのですが、今年大ヒットした曲から取ったんです」

ウクライナの6人組のラップグループ、カルッシュ・オーケストラ(Kalush Orchestra)による『STEFANIA』(ステファニア)。ウクライナの母に捧げられた曲だ。同グループが今年、イタリアのトリノで開催された欧州最大規模の音楽祭「ユーロビジョン音楽コンテスト」でこの曲を披露して優勝し、国境を越え大ヒットした。

「不思議なのが、歌詞の中に『マザー・ステファニア(ステファニア母さん)』という一節があります。私たちが名付けた時、ステファニアの妊娠を知る前のことですから、すごい偶然です!」

アラさんは微笑みながら続ける。「この子は今では私の次女なの。だから生まれてくるパピーは初孫も同然です」。

ウクライナに残る家族を思う毎日 保護犬が辛い日々を救った

4年前、17歳だったマイヤさんは留学のため、1人でニューヨークに渡り、家族とは離れ離れの生活だったが、今年2月、一家はキーウからマイヤさんのもとに身を寄せた。

夫の両親は隣国オーストリアに避難させたが、アラさんの63歳になる父は残りの家族、親戚と今もキーウで暮らす。

「2月に私たちの生活は一転しました。私たちは毎日Viber(メッセンジャー)でキーウの家族と連絡を取り安否確認をしていますが、毎日戦況が変わり明日のことがわからない状態ですから、国に残っている家族や親戚、友人のことがいつも気がかりです」

父親が国を離れないのは高齢という理由に加え、脳卒中を去年発症したため。父親や親戚は空襲警報があるたびに建物内のシェルターに避難する生活を送っている。ロシア軍による発電所への攻撃により停電が続き、暖房、水、物資などの必需品が不足。生活が困窮した状況下が続く。

「私たちには送金などできる限りの援助をすることしかできません。父はまぁ元気にやっていますが、大きなストレスを抱えています。ウクライナでは誰1人、大丈夫な状況ではありません。そんな中でウクライナに残っているのは非常に勇敢で強い人々です」

どこで爆弾が落とされた、死者が何人出た…。阿鼻叫喚な日々が続き、そんな状況を毎日耳にするのは非常に辛いと声を落とす。加えて慣れない異国での生活に、避難民としてのストレスも相当だと言う。

「私の思考は時々停止し、いつもソワソワします。国のこと、残してきた家族のこと、子どものこと、未来のこと…。心配事がいつも頭にあって胸が苦しく締め付けられます。頭がいっぱいになるのです。でも戦争は今年始まったばかり。できるだけ平常心を保ち、前向きに毎日を過ごそうと努めています」

アラさんの父親、8年前に他界した母親などキーウに住んでいた頃の家族写真。「写真を見るたびに思い出すの。私の心はまだ祖国にあると」(娘のマイヤさん)。(c)Kasumi Abe
アラさんの父親、8年前に他界した母親などキーウに住んでいた頃の家族写真。「写真を見るたびに思い出すの。私の心はまだ祖国にあると」(娘のマイヤさん)。(c)Kasumi Abe

そんな辛い日々を送る中、滞在しているエアビーの上階に住む建物の所有者が主催したバーベキューパーティーで、たまたま出会ったのがステファニアだった。

「パーティーの終わりで彼女を見かけた瞬間、『私の犬!』とピンときました」

アラさんの一目惚れだった。

祖国ウクライナでは自分たちの持ち家に住み、いつもペットがいる生活だった。ウクライナの通りには野良猫がよく歩いており、これまでも道で拾って保護した猫や、パピーミルやアニマルシェルターから引き取った犬、ハムスター、チンチラを飼ってきたという。

「子どもたちはペットと添い寝して育ちました。新天地でもそんな生活が恋しかったのです」

一家がアメリカに到着したのは、ロシアがウクライナを侵攻する1週間前だ。当時まだ運航していた民間機で、キーウを発ちオーストリアを経由してニューヨークに逃れた。キーウで飼っていた保護犬はがんを患い数年前に亡くなっているが、保護猫が1匹いた。しかしアラさんはこれまでの人生で賃貸物件に住んだことがなく、避難先での生活が未知数だったため、帯同して移住することを諦めた。その猫は今、キーウに残る親戚が世話をしてくれているという。

自分たちだけでもアメリカに避難できたことについてどう思うかと尋ねると、アラさんは静かにこう答えた。

「ラッキーだと思います。このように住む家もあり、空襲や爆発もありません。当地で新たなウクライナの友人もでき、ステファニアもいます。彼女を連れて公園を散歩したり子どもたちと博物館に行ったり、今はそんなちょっとした日常が幸せ」

ステファニアの医療費を賄うため12月、ボランティアによりファウンドレージングイベントが行われ、$1200(16万円)が集まった。テーブルにアラさんのウクライナ料理が並んだ。(c)Kasumi Abe
ステファニアの医療費を賄うため12月、ボランティアによりファウンドレージングイベントが行われ、$1200(16万円)が集まった。テーブルにアラさんのウクライナ料理が並んだ。(c)Kasumi Abe

アラさんは、ベンチの隅にひっそりと隠れているステファニアと出会った当時の印象をこう振り返る。

「彼女は常に怯え、大きなストレスを抱えているようでした。誰とも関わりを持とうとせず、ずっと同じ場所でうずくまり、何も食べようとしませんでした」

心に闇を抱え、閉ざされた状況は1週間ほど続いた。

「まったく動こうとしない彼女を散歩に連れ出しました。『安心してね、心配しないでね』と話しかけました。彼女は不思議そうな目で私を見ました。そしてこんな表情をしました。『本当に?』と。『私の人生、こういう風になるの?』と。尻尾が動きました。心を開いたと感じたときはそのときです」

その日からアラさんとステファニアは同じベッドで寝るようになった。

「今ではステファニア自らが、私たちの元に寄って来て『スナックちょうだい』という目でこちらを見つめます。社交的で、散歩中に話しかけて来る人に心を開くそぶりを見せ、ほかの犬にも関心を寄せて交流するんですよ」

ステファニアの性格を表すならば?

「まるで天使です。Sweet girl(優しい女の子)で、静かでポジティブ、そしてFull of Love(愛に満ちています)」

アラさん一家、NYに住む妹夫婦とウクライナ人の友人。右端はボランティアで捨て犬の救済活動をする松村京子さん。ステファニアを救済団体から引き取る手配を整えたのは松村さんだ。(c)Kasumi Abe
アラさん一家、NYに住む妹夫婦とウクライナ人の友人。右端はボランティアで捨て犬の救済活動をする松村京子さん。ステファニアを救済団体から引き取る手配を整えたのは松村さんだ。(c)Kasumi Abe

ウクライナに残る家族のことが気がかりで毎日落ち着かない日々ではあるが、アラさんは希望を忘れない。

「どんなに距離が離れても家族と共に在ること、それが自分にとって最も大切なことです。幸せは心の中にあります」

その「家族」にステファニアも加わった。

乱繁殖させられボロボロだった人生が第1章だとしたら、ウクライナ家族とのこれからの人生は第2章。今まさに、ステファニアの第二の人生がリシツカ一家と共に始まった。

取材後記

妊娠していたステファニアのその後ですが、いよいよ出産かという時期になって流産という結果になってしまいました。その後避妊手術を受け、術後の経過は良好です。

あくまでも、ステファニアのようにパピーミルから救出され愛情たっぷりに面倒をみてもらえるケースは全繁殖犬のほんの一部であり、パピーミルで健康な子犬を量産できなくなった母犬の多くは、殺処分されています。

ホリデーシーズンのこの時期、ペットショップには愛くるしい子犬や子猫が「商品」として陳列され、クリスマスプレゼントに買いたい、贈りたいと思うかもしれません。そんな時はペット販売ビジネスの背景やパピーミルで犠牲になっている母犬の実情を、ステファニアの話を通して思い出してもらえれば幸いです。

Text and photos by Kasumi Abe. 無断転載禁止

English translation

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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