米主要メディアも報道

小山田圭吾氏が過去に行ったいじめ、虐待告白について、アメリカの主要メディアも次々に報じた。

APスポーツワシントンポストABCニュースは17日「Japanese composer for Tokyo Olympics apologizes for abuse」(東京オリンピックの日本人作曲家が虐待を謝罪)と報じた。

これらの記事を書いたAPのYuri Kageyama記者は、小山田氏について「東京オリンピックの開会式で使われる楽曲の日本人作曲家」「コーネリアスの名でもよく知られるロックミュージシャン」と紹介した。そして、小山田氏が過去に行った障害を持つ同級生へのいじめ、1990年代の雑誌インタビューでの詳細ないじめ自慢、それに対する今回の謝罪、ソーシャルメディアで起こっている辞任要求などを淡々と説明している。

過去に行った問題行動であろうと、多様性と調和の実現を目指し人権に配慮した大会を目指すオリンピック・パラリンピックの基本理念に反すると唱える識者の1人として、東洋大学教授でメディア学者、藤本貴之氏のコメントの概要も取り上げた。

事実が明らかになり、問題化している以上、五輪開会式音楽という東京大会を象徴するような場面の担当者としては不適当であることは明白だ。そもそも、五輪憲章にも反するという人事ということも理解しなければならない。そこは組織委員会も真摯に受け止めなければ、東京大会は「凄惨ないじめ加害者が開会式音楽を担当した」という負のレガシーが語り継がれることになるだろう。これはもはや国辱だ。

<いじめ五輪は国辱>りんたろー氏の小山田圭吾擁護に疑問より)

通常ワシントンポストの記事には多くの反響が寄せられるが、虐待の具体的な内容が説明されていないことで大きな問題と捉えられていないのか、はたまたこの問題自体に関心が寄せられていないのか理由は不明だが、18日現在でコメントはゼロだ。

このスキャンダルを看過できないのは、オリンピックの米国放映権を持つNBCユニバーサルの子会社、NBCニュースもそうだ。

NBCニュース(Corky Siemaszko記者)は18日「Tokyo 2020 Olympics composer apologizes for bullying disabled classmates」(東京オリンピックの作曲家が障害者の同級生いじめを謝罪)と、一連の小山田氏問題と東京オリンピックのこれまでのスキャンダルをより詳細に報じている。

ミュージシャンとしての小山田氏について、「Beck(ベック)やビーチボーイズのブライアン・ウィルソンといったアメリカの先駆的なミュージシャンと比較されることが多いが、日本ではキッチュな渋谷系の第一人者の1人としてよく知られる。それはバート・バカラックやフィル・スペクターといった60年代のアメリカン・ポップミュージック(の特徴)を多用したものだ」と紹介した。

いじめの内容について詳細まで触れていないメディアがある中、NBCニュースは「現在52歳の小山田は、スター性が高かった90年代に音楽雑誌のインタビューで、知的障害のある少年に排泄物を食べさせたり、ほかの学生の前で自慰行為をさせたりしたことなどを振り返っていた」と報じた。

また「これらの反省点について、後悔するどころか子ども時代のおかしな出来事として捉えていた」「それを自慢げに語っていた」と、人気ブログ「あらま! JAPAN」からのコメントを引用した。

ほかに英メディアのザ・ガーディアンやテレグラフも、このスキャンダルを報じている。

90年代は「そういう時代」だったのか?

ネット上では「90年代はそういう(虐待も笑って雑誌が掲載するのが許された)時代だった」という擁護派からの意見も散見される。

筆者はまさに90年代、日本の雑誌社で編集者として働いており、記者としてのキャリアはメジャーミュージシャンへのインタビューからスタートした。1日2、3組を取材することもざらで、そんな生活が4年続いた。その経験をもとに、90年代の音楽、雑誌事情を少し振り返ってみたいと思う。

筆者は2002年以降アメリカで過ごしているので、最近の日本の音楽や雑誌事情には疎いというのを前提として読んでほしいのだが、結論から言うと、90年代が令和とは違うやや異質な時代だったというのは当たっているかもしれない。

YouTubeもSpotifyも、クラウドもない時代。CD発売前に編集者の元に届けられる音源(資料)はカセットテープ(後にCD)だった。我々はそれを事前に聴いてインタビューに臨む。レコード会社の担当者が売り込みも兼ねて基本的には来社し、手渡しで(時々郵送で)音源を届けてくれた。

イメージ写真。Image: Pixabay by Sapto Cahyono
イメージ写真。Image: Pixabay by Sapto Cahyono

Zoomもない時代。ミュージシャンへのインタビューは当然、対面形式だった。時々ホテルのカフェや会議室などを使うことはあったが、多くは所属事務所のマネージャーおよびレコード会社のスタッフと共にミュージシャン自身が我が社まで足を運び、ビル内のカフェで小一時間ほど取材を受けてくれていた。記事を起こすためのインタビューの録音には、手の平大のテープレコーダーを使用していた(よって文字化することをテープ起こしと呼んでいた)。

インタビュー時にミュージシャンが笑い話として、過去の不良行為を武勇伝のように話すことは1人、2人あったかもしれない。ただし、虐待とも言えるほどの内容を笑いながら話された記憶はない(それだけの仲になれなかったとも言えるが)。

ブログやウェブマガジン、SNSもない時代。雑誌というメディアは出版の中でも花形で、公に文章を発表するのは限られた人に与えられた特権だった。特に今回報じられた音楽雑誌は花形中の花形。業界誌の中でも尖った存在でアーティストはもちろん、レコード会社、芸能事務所、音楽プロデューサーなどから一目置かれていた。筆者と同じチームで働いていた別の音楽ページ編集の同僚は、ロッキング・オン・ジャパンに転職したいと履歴書を送っていた。この雑誌は、テレビではあまり観られない渋谷系と呼ばれるミュージシャンをよくフィーチャーした。長文インタビューなので、ミュージシャンにとってはコメントをカットされることもないし、読者にとっても創作の現場や普段の生活など、ミュージシャンの素顔を垣間見られる希少なメディアだった。筆者もインタビュー前の予習として「ジャパン」を熟読したものだ。

当時、コーネリアスや渋谷系の音楽を知らない人はダサいとされる風潮があった。しかし今や、小山田氏のことを知らない、初めて聞いたという人も多いことをネットで知り、時代の移り変わりを感じた。

テレビもそうだ。バラエティ番組で人を殴ったり熱湯風呂に落とし入れたり、肌の色や見た目、(今で言う)LGBTQを茶化したりなど、今では眉をひそめるような暴力や差別が公然と電波に乗りお茶の間に届けられていたし、それを笑う文化もあった。

90年代が今とは違う異質な時代だったからと言っても、これだけは断言できる。それはどのような時代でも、善悪の判断はつく(普通の感覚を持っている人間であれば)ということだ。90年代であろうと、あのような虐待の記憶は普通であれば話せなかったし、聞いても書けない内容だった。

またいじめや嫌がらせというのは、どの国でもどの時代でも存在する。決して許されるものではない。被害者が一生トラウマになるほどのものは虐待(Abuse、Torture)と言い、いじめや嫌がらせ(Bully、Harassment)とは似て非なるもので、それは日本のみならずアメリカでも共通しているということも、在米歴が長くなった立場から申し上げたい。

(Text by Kasumi Abe) 無断転載禁止