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私も成田空港に取り残された1万7000の1人でした。W杯やオリンピックを前に思うこと

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
2019年9月9日深夜過ぎの成田空港。(c) Kasumi Abe

9月9日に関東地方を縦断した台風15号の影響で翌10日、成田空港から都心への交通機関が遮断され高速道路も大渋滞、また空港から出発する多くの飛行機が決航となった。このため1万7000人が足止めとなり、食料や水が不足する中、空港で不安な一夜を過ごした。

成田到着までは順調だった

実は筆者はちょうど一時帰国中で、この日ニューヨークへの帰路であの場に取り残された難民1万7000人の1人だった。都内に移動することもできず、ホテルはどこも満室のため、空港内の固く冷たい床で野宿?を強いられ、久しぶりの日本で滅多に起きない体験を思いがけずすることになった。

福岡発から成田空港に、10日の午後3時過ぎに到着。福岡からの飛行機は満席だった。台風は同日未明から朝にかけて関東地方を通過後で、自分たちの出発時間には影響がなかったので、搭乗した誰もが「ラッキー」と思っていたに違いない、その時点までは。

成田の出発ロビーは大混乱

不穏な空気を読み取ったのは、成田空港に到着してからだ。

別ターミナルに移動すると入り口付近で若い旅行者が床に座り込みカップラーメンをすすっていて、行儀の悪さが目に付いた。今の若者はこんなものか? 海外からの旅行客かもしれない、などと思った。

到着ロビーから出発ロビーに移動の際、フロア全体が人で溢れ返っていることに初めて気づいた。台風の影響による混雑だとわかったが、まさか成田から「脱出できない」人々だとは、その時点でまだ気づいていなかった。

到着ロビーは大混雑。人の熱気でカメラレンズが曇っている。(c) Kasumi Abe
到着ロビーは大混雑。人の熱気でカメラレンズが曇っている。(c) Kasumi Abe

「台風一過で本当によかった」と呑気に考えながら、3階出発ロビーの日系航空会社のチェックインカウンターに向かうと、ボードに運航予定表が張り出されている。午後5時以降発のロサンゼルス、シンガポール、マニラ、北京、そして私の目的地ニューヨークなど、世界中の行き先が書かれてある。

そのうち地上係員が「搭乗手続き状況」と「出国手続き」にすべて×印を書いていき、午後5時台の出発がすべて欠航(cancel)になったと知らされた。

チェックインカウンターの情報ボードに群がる人々。(c) Kasumi Abe
チェックインカウンターの情報ボードに群がる人々。(c) Kasumi Abe
×印と「欠航」という文字が並ぶ。(c) Kasumi Abe
×印と「欠航」という文字が並ぶ。(c) Kasumi Abe

私は地上係員の女性に声をかけた。「午後6時台のニューヨーク便も欠航になりそうですか?」。その係員は「現時点では何とも」と、とても気まずそうに答えた。台風の影響で飛行機の到着が遅れ、出発便の使用機および乗員が不足しているという。この日出発ができたのは、たったの2便ということ。

この時点で嫌な予感がした。

しばらくして、私の乗るニューヨーク便も欠航(cancel)が決まった。こればかりは天災なのでしょうがない。でもこんなことなら出発前に知らされ、福岡からアジア経由便を利用したのにとも思った。一瞬だけ落ち込んだ後は、今後どうなるのかを教えてもらわなければ。

再予約の電話がまったく繋がらない!

関連アナウンスがまったくないため、再び地上係員に聞くと、再予約のための問い合わせ電話番号が書かれた紙を手渡された。しかし、ここからが試練だった。

その紙に書かれた電話番号にかけるも、大勢の人がいっせいに電話しているためパンク状態となりどの番号も全然繋がらないのだ。着地点が見えず急に不安になる。何度トライしてもダメ。心が折れた。

手渡された再予約のための情報が書かれた紙。どの番号にかけても繋がらず。(c) Kasumi Abe
手渡された再予約のための情報が書かれた紙。どの番号にかけても繋がらず。(c) Kasumi Abe

地上係員は「とにかく電話をかけ続けてください」の一点張り。そして電話対応時間は午後7時までという。気ばかり焦る。

6時過ぎに地方支店の番号にやっと繋がったが「30分待ち」だと自動音声アナウンスされた。とにかくその繋がった電話だけが、今の私の命綱。

通話待ちのままひたすら待つこと40分。結局繋がらず7時を迎え、タイムオーバー。このまま繋がらないとなると・・・今晩はここで夜を明かすとして・・・いつまで?

客の中には詰め寄っている人も見かけた。「7時以降はどうすればよいのか?」「出発前にわざわざ問い合わせたら運休ではないと言われたから、ここまで来たのに」「何でもっと早く教えてくれなかったのか? 大渋滞の中命がけで来たのに、旅先には行けない、都内に戻ることもできない!

また地上係員の英語スピーカーへの対応も脇の甘さが垣間見れた。発音から察するにおそらくシンガポールからの家族4人が「英語ラインの方に電話しているけど、流れてくるアナウンスが日本語のみです」と、地上係員に問い合わせている。子どもは3〜5歳くらいで状況がわからず無邪気だが、親は疲れ切った様子。係員は彼らから渡された携帯から流れるアナウンスを確認。確かに日本語のみのアナウンスのようで「このままお待ちください。そのうち英語になるかと...思います...」と、何だか歯切れの悪い答え。

空港は私の到着時よりさらに酷い状態になっていた。このような状況ながら、夕方以降もどんどん飛行機が到着し続け、また状況を知らずに空港に来た人々も加わり、チェックインカウンターには人々が押し寄せ、同じ質疑応答が繰り返される。

都内に移動したい人々は、いつ出発するともわからない鉄道やバス乗り場に、長蛇の列を作っていた。中には生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして不安そうにする外国人の母親も。

鉄道で都内に移動したい人々。(c) Kasumi Abe
鉄道で都内に移動したい人々。(c) Kasumi Abe

混乱の中で私は何人もの人々と会話し、情報交換した。そのうちの1人の女性、台湾系カナダ人のジェーンさんは、福岡で英語教師をしている娘に会いに1週間の滞在を終え、バンクーバーに帰るところだった。私も彼女もスーツケースを取り損ね保管場所に行く必要があり、同じ福岡から来たことなどで意気投合した。

食料も水も不足状態に

空港では、食料や水も不足していた。空港内の食材がなくなったレストランは夕方ごろ早々に閉店。私が立ち寄った売店には、夕食になりそうなおにぎりや弁当類はすべて売り切れ、水もなかった。空腹を満たすためのスナックとジュース類だけは確保できた。

その後ジェーンからの情報で、自動販売機にまだ水があると知った。別の欧米系の女性が水を欲しがっていたので自動販売機情報を教えると「私は現金がないのでクレジットカードが使える店でないと困る... 」とため息をついた。

夕方以降に寄った空港の売店はこの通り、水もおにぎりや弁当類も売り切れ。(c) Kasumi Abe
夕方以降に寄った空港の売店はこの通り、水もおにぎりや弁当類も売り切れ。(c) Kasumi Abe

スタッフは頼りなく、アナウンスも不足

時間は午後9時を過ぎた。取り残されたスーツケースも心配だ。日本なので紛失はまずないだろうが、以前中米でラゲージごと盗まれたことがトラウマとなり、それ以来スーツケースが手元にないと不安になる。

ジェーンとともに保管場所のある別ターミナルに移動するもここも同じ状況で、空港から出られない人々でごった返していた。保管場所を2人の係員に聞くが、よくわかっておらず頼りない印象。

コンビニがあったので立ち寄った。ここにもおにぎりや弁当はまったくなかった。今後何が起こっても良いようにカロリーメイトなどを確保。レジでお金を払うにも長蛇の列で、20〜30分並んだか。待っている間、私のすぐ後ろに並んだメルボルン出身の豪系航空会社フライトアテンダントとスモールトークをした。彼女たちは空港近くのホテルに宿泊できているとかで一瞬羨ましく思ったが「停電して真っ暗なの」と肩を落とした。

そのコンビニから出る際、自動支払機が視界に入った。利用しているのはたったの2人。知っていれば30分も並ばなかった。ここでも「アナウンス不足」を痛切に感じた。

空港内のコンビニもこの通り。(c) Kasumi Abe
空港内のコンビニもこの通り。(c) Kasumi Abe

永遠に繋がらない電話の後に起こった奇跡

感じの良い国内線の地上係員の女性が、スーツケースの保管場所まで案内してくれた。ダメ元で、再予約の電話をかけているのだが通じず、なんとかできないかと相談してみたところ「ちょっと見てみますね」と言ってくれた。

そうして、バンクーバー行きは比較的容易に再予約することができたが、ニューヨーク行きは同じ日系航空会社の直行便に空きがなかった。別ルートでいろいろ探してくれたが、見つかるのはカナダ経由便や羽田空港発のもので、これというものがなかなかない。見つかっても瞬時にほかの人に先を越されたりで困難を極めた。

1時間はかかっただろうか。ようやく米系航空会社のポートランド経由便が見つかり、抑えてもらうことができた。この期に及んで、日系直行便から米系経由便への変更の文句なんてあろうはずもない。決して繋がらない回線に再び翌朝8時から予約電話をかけ続けなければならないと気が重かったので、この時ばかりは嬉しくてジェーンと抱き合った。

そのころには、日付が変わろうという時間になっていた。国際線チェックインカウンターに戻ったがもう誰もおらず、諦めた多くの人々が寝袋で横になっていた。寝袋、水、保存食のクラッカーが支給されていたので、再び長蛇の列に並ぶ。

夜になり寝袋などが支給された。(c) Kasumi Abe
夜になり寝袋などが支給された。(c) Kasumi Abe
寝袋確保のためにも、だいぶ並んだ。(c) Kasumi Abe
寝袋確保のためにも、だいぶ並んだ。(c) Kasumi Abe
水とクラッカーも確保。ジェーンと隣同士に寝袋を敷く。今晩はここが私たちの宿。(c) Kasumi Abe
水とクラッカーも確保。ジェーンと隣同士に寝袋を敷く。今晩はここが私たちの宿。(c) Kasumi Abe

寝袋で一夜を明かす

そうしてジェーンと2人、一夜を明かした。空港から準備された予備の電源近くのスペースを確保し、寝袋を広げた。

彼女とはこの日初めて会ったが、苦難を共にし(明日発の航空券を手にしたことで)一筋の光も見えてきたので、一緒にいることで長年の友のように安心できた。慣れない外国で言葉もわからずこんな状況に置かれた彼女も、きっと同じ気持ちで安心してくれたに違いない。

早朝運行を再開した鉄道乗り場に並ぶ人々のざわざわした声で、午前4時過ぎに目覚めた。私たちは午後の出発まで時間がたっぷりある。最後まで何が起こるかわからないため、寝袋を持ったまま荷物を移動し「私たち遊牧民のようだね」と笑い合った。

鉄道の運行は早朝に再開。空港に寝泊まりした人々が午前4時半ごろ動き出した。(c) Kasumi Abe
鉄道の運行は早朝に再開。空港に寝泊まりした人々が午前4時半ごろ動き出した。(c) Kasumi Abe

失望を隠しきれない来日客

私の便は別ターミナルでジェーンの便より2時間早い。彼女は私のチェックインに付いて来て、最後まで見送ってくれた。

カオス状態は相変わらずで、こちらも長蛇の列。列のすぐ後ろに並んだニュージャージーからクルーズ船ツアーでたまたま東京に立ち寄った女性は、別便が確保できたためこれからデトロイト経由で帰るという。「昨日は都内のホテルに宿泊できたものの、今日成田に来るのは命がけだった。朝から何も食べていない」と、憔悴しきった様子。そして「アナウンスがわかりにくくて最悪。返答内容が次々に変わったり、誰もはっきりした答えを言ってくれない」。

1万7000人の中には、ジェーンやこの女性のように外国人旅行者もたくさんいた。私は日本人として、このトラブルがあったことで彼らがこの国に失望したり、悪い印象を持ったりしてほしくなかった。日本はとても良い国だし、普段は完璧なまでにオーガナイズされていて、こんなカオス状態はめったに起きない。それを伝えた上で「また日本に来たいと思う?」と恐る恐るその女性に聞いてみた。彼女が苦笑いしながら「NO」と即答したのは残念だった。

私は無事にチェックインを終え、「いつかこの思い出が笑い話になることを願って」と、ジェーンと抱き合って笑顔で別れた。ポートランド経由で、乗り継ぎも含めた17時間と、成田で過ごした24時間の、41時間後にやっとニューヨークに戻ることができた。終わり良ければすべて良し!

体験をもとに気づいた問題点

すべてがきちんとオーガナイズされている日本でこのようなカオス状態が起こるのは、改善しなければならない問題があるはずだ。私が自ら体験したことで、いくつか気づいた点はこちら。

まずは地上係員のトレーニング不足とアナウンス不足。英語どころか日本語での情報でさえ足りないし、あったとしても非常にわかりにくい。

人によって時間によって変わるのも、乗客にとって不安要素の1つだった。何もしないで遠くで突っ立っているだけの年配の男性上司とは違って、若い女性地上係員はよく立ち回り、難しい客への対応にも丁寧に謝罪するなど、とても頑張っていた。しかし、台風が来てこんな状況になることは事前にわかっていただろうから、対策はもっと練られたはず。

後日、別の空港で働く日系航空会社の地上関係者にも話を聞くことができたが、再予約のカウンター対応はキリがないため、できないのはしょうがないとのこと。「本来、出発が迫っている人の対応をする場所ですから。予約発券となると、前後の旅程や乗り継ぎ他社との兼ね合い、航空券ルールも多岐にわたり複雑な操作が必要。専門性が高く、限られた人数で対応することは困難です」

また繋がらない電話に関しても、多くの人がいっせいに電話するため、こちらもしょうがないことのようだ。「空港側も、地上の交通機関があそこまで機能不全になることは想定外だったのでしょう。外国であればもっと大変な状況になったかもしれません」

ただし私のように、国内線のカウンターで手続きをしてもらうなり、航空券を購入したのが旅行会社なら相談するなりで、繋がらない電話にひたすら電話するなど不毛な方法以外にできることはたくさんあったのだが、現場ではそのような助言はなかった。

また関係者談では、英語ができるならIP電話を利用するなどして、国外にある航空会社支店に電話し、再予約の手続きをすることも可能とか。この辺の情報も後で知ったが、あの場で教えてもらえていたら、繋がらない電話にやきもきするよりどんなに心強かったか。

千葉県では台風により今も停電と断水が続いている。電力会社では復旧の見込みが立っていないという。

空港にしろ、交通手段にしろ、電力にしろ、このような脆弱な対策で、ラグビーワールドカップやオリンピックを開催し多くの来日客を迎えられるのかと厳しい意見も聞こえてくる。今後も台風シーズンに同じことが起こるかもしれない。その度に多くの人々が失望し日本の評判が落ちるなんてもったいない。空港や航空会社には今一度対策を練ってもらいたい。

(Text and photos by Kasumi Abe) 無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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