王貞治の通算本塁打。“868”の左腕より語り継がれる“756”の右腕とは?/プロ野球20世紀・不屈の物語【1977年】
初めての被本塁打
記録更新を許した選手も、その記録とともに名前が刻まれることを知っていて、打撃の記録のときには逃げ回る投手も少なくない。このときの鈴木にも観客から「逃げるな!」という罵声が浴びせられた。鈴木が逃げていたら、こういう形で鈴木の名が語り継がれることはなかっただろう。だが、鈴木は逃げなかった。 「王さんとの勝負は、とにかく外角へのシュートと決めていました。1回裏の打席も歩かせるつもりはなかったんだけど、フルカウントからのシュートが外れてしまいました。王さんはボール球には絶対に手を出さない。一本足打法のタイミングを外すしか打ち取る方法はありませんよ」と鈴木。第2打席は、またしてもフルカウントに。鈴木は続いて外角へのシュートを投じる。そして、微妙な制球の狂いが、新記録を呼び込んだ。鈴木のシュートは外角ではなく、吸い込まれるように真ん中へ。これを、百戦錬磨の王が逃すはずはない。 「投げた瞬間、しまった! と思ったんです。打たれたとき、ホームランだと思いました。王さんがベースを1周するのが長かったこと。でも、自分がやれることは全部やって打たれたのですから、悔いはありません」(鈴木) 鈴木は王が苦手だったが、それまで本塁打を許したことはなく、最初の被本塁打が756号だったというのも皮肉だ。鈴木は、この77年に自己最多の14勝。「14勝もできたし、“あのこと”も、いい経験ですよ」と振り返っている。ちなみに、「756号を打たれた投手にはサイパン旅行をプレゼント」という、なんともチグハグな懸賞があったが、これは固辞した。「756号を打たれた投手」として残る名は、汚名ではなく、真っ向勝負の勲章だ。 文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール