“母親の再婚相手”から虐待されて「殺してやろう」と復讐を決意…4歳から壮絶な虐待家庭で育った男性(31)が、それでも義父との再会後に“許した”ワケ
「オイ、今更何の用だよ」虐待されていた当時の記憶が鮮明に蘇ってしまった
――義父はどんな反応だったのですか。 ブローハン 僕が出るなり「オイ、今更何の用だよ」とすごく低い声で言われました。その瞬間、虐待されていた当時の記憶が鮮明に蘇ってしまって。施設に入ってから義父に会っていなかった15年間で、僕は自分が強くなったと思っていたのに、急に全部否定されて元の自分に戻ってしまったような感覚に陥ったのに驚きました。 経済的な恨み言と言いますか、「誰がお前の面倒見てたと思ってんの」といったことも言われたのですが、僕が「復讐とかではなく、自分の区切りとして真相を知りたいだけだ」ということを伝えると安心したのか、改めて会う機会を作ってくれることになりました。
――実際に会ってみて、どうでしたか。 ブローハン 義父の家に上がると、玄関に母の写真が飾ってあって。それを見たときに「お母さんのことを大事に思っていてくれてたのかもしれない」と思い、なんかもういいや、という気持ちになりました。 話していくなかで「俺は悪くない」という発言が出ましたが、それだけ器が小さな人だったのだと気付けましたし、今の自分にとって義父はどうでも良い存在なのだと思えたのは良かったですね。僕の義父への執着はそこで終わったといいますか。
「卒業後は看護師として働け」児童養護施設退所後の就職先で騙され…
――18歳で施設を退所されたと思いますが、それからブローハンさんはどのように生きて来られたのでしょうか。 ブローハン 寮付きの仕事を探していたときに、たまたま病院の事務職に就職が決まったんですね。ところが初出勤の日、突然目の前に契約書を出されて「2年間看護学校に通い、卒業後は看護師として働け」と言われたんです。 学費は病院が立て替えること、卒業してから5年間その病院で働けばその学費は免除してもらえることを説明されましたが、逆に言うと、それまでにやめた場合は約100万円ほどの学費が全額自己負担になるわけです。 ――騙された、というわけですか。 ブローハン そうですね。養護施設出身者が他に逃げ場がないことを知ってそういう手口を使っているのでしょう。さらに、面接時に聞いていたよりも給与の手取りが下がっていて、額面22万円に対して手取りが10万円ちょっとしかありませんでした。 それでも僕には他に帰る家もないので、その契約書にサインをするしかありませんでした。
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