死んだと思った…松島トモ子がいま明かす「ライオンとヒョウの襲撃事件」の真相
---------- 松島トモ子がコロナ危機の中、ブログを更新している。「ライオンの餌」というブログタイトルの由来は? なぜブログを始めたのか? あの“事件”の真相とは? 松島本人がぜんぶ語る。 ---------- 【写真】ガリガリッと骨が砕ける音が…「ライオンの餌」になった松島トモ子の人生 松島トモ子がライオンに襲われた――。今から35年前の1986年1月、衝撃的な一報が日本に届いた。その10日後、今度はヒョウに噛まれる。あと1ミリ場所が違えば、全身不随になる程の重傷だった。 2つの大事故は昭和から平成、令和と移り変わっても語り継がれている。 「ビートたけしさんや明石家さんまさんがコントで、散々おやりになったみたいですよ。最近ですと、爆笑問題のお二人もお好きで、時々ネタに使ってくださいますし。船場吉兆のささやき女将とパッケージになってますでしょ、私」 コロナ禍で仕事のキャンセルが続いていた昨年8月、松島はブログ「ライオンの餌」を開設。キャッチーなタイトルは、親交の深かった永六輔の一言に由来している。 「永さんのイベントに出演する際、『今日のゲスト、ライオンの餌・松島トモ子! 』と呼ばれていました。初めて言われた時は、ビックリして舞台の袖で立ちすくみましたよ(笑)。若い方々が私を知っていらっしゃるとすれば、ライオンやヒョウの話しかないわけで。タイトルは、これっきゃないなって。全く迷いませんでしたね」 35年経った今も話題を呼ぶ“ライオンとヒョウの襲撃事件”は、なぜ起こったのか。
ジョージ・アダムソンへの密着取材
1985年、日本テレビのドキュメンタリー番組『TIME21』のスタッフはある構想を描いた。世界30ヵ国以上で翻訳され、映画化もされた大ベストセラー『野生のエルザ』(1960年刊行)の著者ジョイ・アダムソンの夫で、まもなく傘寿を迎えるジョージ・アダムソンへの密着取材である。 レポーターとして、松島が抜擢された。動物好きに加え、当時の芸能界では珍しく2年半のアメリカ留学経験があったからだ。妻に先立たれたジョージはケニアのコラ動物保護地区に住み、ライオンなどの世話をしていた。 スタッフが数ヵ月前から先乗りしていたが、ジョージは誰とも会話しようとしなかった。報告を受けた松島は、英語で便箋数枚の長文を綴った。 〈私はショービジネスで生きてきて、あなたとは全く違う世界の人間です。だけど、1つ共通点があります。動物が大好きということです〉 顔も覚えてもらうため、写真も同封した。ジョージの元には世界中からレポーターが集まっていたが、そんな気遣いを見せたのは松島だけだった。 「セスナ機で到着すると、向こうから『トモコ! 』と名前を呼んでくれ、すぐに車に乗せてくれました。ものすごいスピードで1時間半ほど揺られると、ライオンの出てくる場所に辿り着きました」