「ボロボロな姿を後輩たちに見せつけて終われた」スピードスケート・加藤条治、最後の生き様。37歳どん底からの挑戦、そして引退
北京オリンピックが開催された今年2022年、多くのオリンピアンたちが現役生活に幕を下ろした。 バンクーバーオリンピック銅メダリストの加藤条治(37)もそのひとりだ。 長きに渡り日本のスピードスケート界をけん引した男のラストレースは、誰もが予想できない500mだった。 テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、30年もの競技人生で加藤がみせた“最後の生き様”に迫った。
◆「ボロボロに負けてから辞めたい」
小柄な体から生み出される躍動感あふれるコーナーワークを武器に、これまで何度も世界の頂点に立ってきた加藤。 日本人初となる高校生でのワールドカップ出場を果たすと、そこから表彰台に上り続けた早熟の天才は、20歳で500mの世界記録(当時)を樹立。 25歳でバンクーバーオリンピックの銅メダルを獲得した後も、4大会連続でオリンピックに出場し、すべての大会で入賞を果たした。 そんなレジェンドは平昌オリンピック(2018年)から約4か月後、“海”にいた。
「あと4年はやりたいと思ってるので、色々新しいことを試して可能性を増やしていかないと。長いですからね!(北京オリンピック)目指してがんばりたいので」(加藤) 37歳で迎える4年後の北京オリンピックへ向け、新たなトレーニングとしてトライアスロンに挑戦していたのだ。 長年スピード重視の短距離だけをやってきたが、全身運動のトライアスロンを取り入れることがいい刺激になると、現役の選手とともに本格的に練習。日焼けした体が充実感を表していた。 「ボロボロに負けてから辞めたいんで、できればね。まだそうなってないですね、残念ながら」 笑顔でそう語った加藤。しかしこの後、彼の体に異変が起こる。
◆体が動かなくなり、どん底へ
神様のいたずらか、病気による手術やケガが重なり、1年以上を棒にふった。ようやくレースに復帰しても、身体は元のように動かなくなっていた。 その一方で、6年間破られなかった加藤の日本記録がとうとう塗り替えられ、若手がどんどん世界で活躍していく。 北京オリンピックのプレシーズンに入っても、加藤のあの躍動感あふれるコーナーワークは完全に影をひそめ、目標である34秒台はおろか、国内大会でトップ10に入ることすらできなかった。 「体が本当に言うことを聞かないので、つらい状態で滑ってます。10番以降になることなんて考えられなかったですし、こんなタイムで滑ることも全然考えられなかった」(加藤) 身体はボロボロ、周囲から引退もささやかれるようなどん底の状態。だが本人は決してあきらめていなかった。 「このままでは終われない。自分の納得できる滑りをまた取り戻せれば、金メダルに届くと思います」(加藤) するとこの後、驚くべき変貌を遂げていく。