新天地に南米を選んだ本田圭佑はブラジルの名門ボタフォゴの救世主となれるのか…待ち受ける熱狂と批判の洗礼
空の玄関口となるアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港の到着ロビーや周辺が、白と黒を基調としたボタフォゴのユニフォームを着た2000人ものサポーターで膨れあがった。一夜明けた日本時間9日には、ホームのエスタディオ・ニウトン・サントスに集結した人数が空港の6倍以上に達した。 ボタフォゴが本拠地を置くブラジル第2の都市リオデジャネイロが、今月下旬から始まる世界最大の祭典、リオのカーニバルを前にして一気にヒートアップしている。1894年に創設された古豪クラブのサポーターを熱狂させているのは、先月31日に加入が決まった本田圭佑に他ならない。 本田は日本時間8日にリオデジャネイロ入り。熱狂的な出迎えを受けた翌日に、ホームで行われた入団会見とお披露目セレモニーに臨んだ。日本代表でも長く背負った「4番」が刻まれたユニフォームを手渡された本田は「こんな経験は初めて」と歓迎ぶりに驚きながら、移籍を決意した理由を明かした。 「ボタフォゴでプレーしようと決めたのは、たくさんの人々が僕を待っていると聞いたからです」 ブラジル国内の報道によれば、昨年末に契約からわずか48日でオランダのフィテッセを退団し、再び所属クラブなしの状態になっていた本田の獲得へ、ボタフォゴ側は乗り気ではなかったという。状況を一変させ、正式なオファーに至らせたのは、異様なまでのサポーターの盛り上がりだった。 ピッチ内だけでなくマーケティング面や商業面でもボタフォゴに寄与してくれる、と判断したネルソン・ムファレジ会長が主導する形で交渉は進められた。しかし、代理人を務める3歳年上の兄、弘幸氏のもとへオファーが届いたと知らされた本田も、当初は曖昧な態度に終始していた。
今月下旬開幕の「タッサ・リオ」でデビューか
ブラジル発の報道で、ボタフォゴがオファーを出していることが判明した先月24日。自らがオーナーとなって立ち上げたサッカークラブ、One Tokyoのトライアウトを視察するため、東京都調布市のアミノバイタルフィールドを訪れた本田は、自身の去就に関してこう語っていた。 「いまは数多くのクラブと話をしている最中であり、以前から話しているように、僕自身はヨーロッパでプレーしたいと望んでいる。偉大なクラブのひとつであるボタフォゴが興味を持ってくれたことは非常に嬉しいが、しっかりと考えて結論を出したいので、現時点でイエスかノーかは言えません」 一転してわずか1週間後には、ヨーロッパではなく南米大陸への初挑戦を決めた。本田の言葉を借りれば「サポーターの盛り上がり」が理由となり、実際に本田のSNSにもサポーターから多くのリプライが寄せられた。何が本田を求めさせたのか。答えは近年におけるボタフォゴの低迷となる。 ブラジル国内の年間スケジュールを大まかに説明すれば、上半期は各州における選手権が、下半期には全国選手権がそれぞれ開催される形になっている。いま現在は前者の真っ只中だが、リオデジャネイロ州選手権を戦っているボタフォゴは早くも屈辱を味わわされている。 リオデジャネイロ州選手権は原則として2つの大会、タッサ・グアナバーラとタッサ・リオを前後期制のように行い、それぞれの上位勢が対戦して王者を決める。しかし、ボタフォゴはタッサ・グアナバーラのクライマックスとなる、4クラブが進出する準決勝にすら勝ち残れなかった。 次なる照準が今月下旬に開幕するタッサ・リオへ定められるなかで、本田が新たに加入した。 加入会見で「2週間から3週間の準備が必要だと思う」とデビューまでの見通しを語った本田は、調整が順調に進めばタッサ・リオで、ボタフォゴの中盤として攻撃を差配することになる。