「悟空になろうとバク転を練習し」クレヨンしんちゃん声優・小林由美子 学生で声優デビューも「落ちこぼれだった過去」
── 高校卒業後の進路は、声優になることを見据えて決めたのですか。 小林さん:高校を卒業したら声優の専門学校に行きたかったのですが、親からも先生からも反対されました。先生からは「声優なんていうのは夢物語。アニメはもう趣味でいいだろう」と言われて。半ば説得された形で大学に行くことを決めたのですが、内心は「絶対、声優になってやるぞ」と思っていました。 大学受験と並行しながら、先生や親には内緒で、声優事務所の特待生オーディションを受けまくっていました。授業料が自分では払えないと思ったので、授業料免除の特待生になるしかないと思ったんです。高校3年生の夏に、「声優サマーオーディション」という声優希望の子たちのための特待生オーディション合宿に参加し、そこでミューラスという事務所の特待生としてデビューさせていただくことになりました。大学にも無事合格し、学生生活を送りながら声優の仕事をさせていただくことになりました。
■声優デビューも「監督が頭を抱えて」 ── 現役大学生で、声優の仕事もしていたんですね。 小林さん:デビューできたとはいえ、落ちこぼれで。オーディションも落ちまくっていました。もともとものすごい緊張するタイプなのもあって、声も小さい、演技も上手くない、滑舌も悪い。音響監督が「お前、どうしたらいいんだろうな」と頭を抱えてしまうほどの居残り組でした。仕事がなかなかない時期は、事務所が持ってきたティッシュ配りやビルの清掃など、声優とは関係のない仕事も「これも何かに役立つだろう」と思ってがむしゃらにやっていました。
── デビュー後、順風満帆とはいかなかったんですね。 小林さん:あるとき、デビュー当時から大変お世話になっている三石琴乃さんが主役をされているアフレコ現場の見学をさせていただいたことがありました。三石さんから、「本気で声優をやりたいなら、毎週アフレコに見学においで。1回じゃ意味がないから毎週来て、名前を覚えてもらうところから始めてみて」と助言をいただいたんです。その言葉に「そうだ、こんなことをしている場合ではない」と思い、そこから音響監督に頼み込んでアフレコの見学をさせてもらうようにしました。とにかく名前を覚えてもらうところから始めようと、アフレコ後の飲みの場にも毎回参加させてもらいました。先輩たちやスタッフさんたちの貴重な話がたくさん聞けましたし、そこからオーディションに呼んでいただくことも増えました。まだ名前がない、A役、B役でしたけど、ちょっとずつ仕事がもらえるようになっていきました。