「うつ病で体重は30kg増え、視線恐怖症に」日本初のプラスサイズモデル・桃果愛が経験した過酷な学生時代
── お母さんが起業されているので、後にご自身も起業することへの抵抗感が少なかったでしょうか? 桃果さん:そうかも知れません。両親は私が1歳のころに離婚しましたが、父も大阪でエステサロンを経営していますし、自営業が多い家系なんです。会社員より自分でやりたいことをするほうが身近でしたし、自分の将来像として描きやすかったと思います。離婚はしましたが、父とも会っていましたし、親子関係は良好でした。
■ある日突然、玄関から出られなくなった ── 看護学生時代にうつ病にかかった経緯を教えてください。 桃果さん:大学3年生の終わりごろにうつ病になりました。看護大学の3年生は、1年間ずっと病院で実習をするのですが、それがすごくハードなんです。実習期間中は毎日レポートなどの提出物があり、帰宅してからそれをこなしていると、睡眠時間は3時間程度。また、その当時のことなのですが、実習先の看護師さんが学生にやさしくする余裕がないのか、あいさつしても返事がなく、今でいうパワハラ的な冷たい態度を取られることがあって…。看護師のイメージが大きく崩れて衝撃を受けました。
そんな実習のストレスと睡眠不足が重なって、ある日突然、学校に行けなくなったんです。本当に突然、玄関から足が一歩も進まず、ドアを開けることができませんでした。最初は1日、2日休んだら元気になるかなと思ったのですが、日が経つほどに外に出ようという気力がなくなりました。大学の単位はギリギリたりていたので進級はできそうでしたが、母が私に無理をさせたくないと言ってくれたこともあり、1年間休学することになりました。
──「無理をさせたくない」と休学をさせてくれたお母さんが素晴らしいですね。 桃果さん:私自身も、無理をすれば学校へ行けるかもしれないけれど、厳しいなと思っていたので、母の申し出がありがたかったです。医療系の大学なので休学費用も安くはなかったのですが、私の体調を優先してくれたことに感謝しています。 ── 休学中の1年間はどのように過ごしていたのですか? 桃果さん:ほとんど家の中に引きこもって生活していました。トンネルの中にずっといるような感覚で、もがき苦しんでいた思い出しかないです。外に出たいとも、遊びに行きたいとも思えないし、自分の部屋に布団を敷いて横になり、電気を消して過ごすのがいちばんラクでした。心の病なのに、こんなに体が動かなくなるんだと思いました。心療内科の病院には通っていて、薬を飲みながら少しずつ減らして体調を整えていこうという治療でした。1年の終わりごろには徐々に外にも出られるようになり、1年後に復学しました。