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注目の「美川憲一借金裁判」舞台裏…結審直前に和解で決着【芸能記者稼業 血風録】

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日刊ゲンダイDIGITAL

【芸能記者稼業 血風録】#80 「もらったお金」と主張する美川憲一と「貸した金」と返済を求める京都のO氏との裁判。裁判の最大の焦点は「貸した」と裏付ける確かな証拠があるかどうかだった。  公判が終わるごとにメディアの要請で会見を開いていたO氏。会見場はO氏の自宅応接間にメディアを招き入れて行われた。  根が正直なO氏は聞かれたことにためらうことなく話す傾向があった。時には感情的になってしまい、弁護士から止められている話まで漏らしてしまう。  すでにO氏との間にできていた信頼関係。慣れない会見では事前に助言するなどしていた。芸能界でも会見する場合、多くは事前に想定問答を作成して予行演習することが少なくない。「どんな質問がくるか」と芸能プロから相談されたこともあった。当時の会見は質問者の大半がリポーター。結婚や離婚ともなれば質問は想定しやすかった。  8月に亡くなった元リポーターの須藤甚一郎氏(享年81)は想定外の質問にたけていた。  1989年、女優の和泉雅子が日本人女性として初めて北極へ到達。凱旋会見を行った。  ピンチヒッターで会見に行くことになった私に、前日に会った須藤氏からこんなアドバイスを受けた。 「主な質問は新聞記者が聞く。トイレ、お風呂、着替えはどうしていたかだけ聞いてきたらいいよ」  確かに、男性隊員の中で女性がひとり。誰もが知りたくなる素朴な疑問だ。当日、喉元まで出かけたが質問できなかった。  O氏の会見では想定問答の相談に乗っていた。打ち合わせ後に私も会見場でメディアの中に入っていると自分がどっち側の人間かわからなくなるが、他のメディアに核心となる話を抜かれないことが目的だった。  それでも会見には不慣れのO氏。緊張感で口を滑らせることもあり、ヒヤヒヤする場面もあったが、なんとか乗り切り、核心となる話は独占できた。  裁判の争点は貸した証しとなる借用書の存在。歌手と後援会会長として家族ぐるみの付き合いをしてきた仲。借用書があるかは疑問視する声もあったが、「いくらなんでも億単位の金を念書もなく右から左に渡すか」というO氏の強い言葉を信じた。実際、段ボールの中から正式な借用書ではないが念書は見つかった。  裁判はお互いの手の内が気になるものだ。美川の事務所幹部の動きも慌ただしくなっていた。美川の事務所とは、先代の社長ファミリーとは付き合いはあったが、当時の美川の事務所とは面識もなかった。地裁前で初めて名刺交換だけはしたが、それ以上の交流もなかった。すでにO氏と私の仲が喧伝されていた中、スパイ行為みたいに見られるのも本意ではなかった。  注目の裁判は結審を直前に「和解」の形で決着した。弁護士同士が話し合い、両者合意での和解ゆえ詳細は明かされなかったが、O氏は貸した事実を認められたことで「よし」としていた。  取材は常にニュートラルな姿勢で臨むことの大切さを改めて学んだ裁判だった。 (二田一比古/ジャーナリスト)

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