世界ではバリバリ現役も 日本から「客車列車」がすっかり消滅したワケ
世界では現役、日本ではほぼ消滅
寝台特急から地方のローカル線まで、かつて客車列車は多く見られた。いまは、一部のクルーズトレインと、SLの復活運行や観光列車でしかない。 【画像】貴重な写真! 日本最古の国産電車「ナデ6141」の姿を見る(7枚) 2001(平成13)年には普通列車の客車列車がなくなり、2002年には客車を使用していた快速「海峡」も廃止になった。2015年には最後のブルートレイン「北斗星」も廃止になり、2016年には青森~札幌間で運行されていた「はまなす」も消え、定期列車の客車列車はこの30年で壊滅してしまった。 30年ほど前は、東北本線や筑豊本線でよく見られていたものの、それらの列車は既に電車や気動車に置き換えられ、客車が走っていた東北本線は、区間によっては第三セクター化された。 一方、世界の客車は生き残っている。ロシアによるウクライナ侵攻で、多くのウクライナ人がキーフやウクライナ東部からリヴィウ、そして国外へと脱出していった。 その時の様子を見て、客車列車が多く使用されていることに気づいた。しかもその編成は、日本ではもう見られなくなった長大なものだ。大きな機関車が長い編成の客車をけん引し、多くの人を輸送するという状況が今でもあるというのに驚いた。 もちろん戦争ゆえ、多くの人を運ぶ必要がある。報じられた客車内の映像では車内は満員だった。 なぜ世界の客車列車は現役で、日本では消えてしまったのか。そこには日本の鉄道特有の事情があった。
かつて通勤・通学向け客車があった
少し年長の鉄道好きならば、「50系客車」という車両を覚えているだろう。同車は通勤に使用されていた旧型客車の置き換え用として、1978(昭和53)年に運用が開始された。 当時は、まだ機関車の免許を持っている人が多かった。電車と電気機関車、ディー気動車とディーゼル機関車は別々の免許で、機関車の免許を持っている人に電車や気動車の免許を再取得させるより、機関車自体が余っていたため、その機関車に客車を連結してけん引させたほうが当時としては都合がよかった。 そんな時代に50系客車は生まれた。2扉、ドア付近をロングシートとしたセミクロスシートの車両で、地方幹線の通勤・通学輸送に使用されていた。この時代に客車列車が導入されたのは、郵便や荷物の輸送車両と併結するためであり、事実、50系客車ではそのための車両も製造された。 しかし、1984年から郵便や荷物の輸送は縮小。郵便輸送はトラックに置き換わり、荷物輸送は1986年に廃止された。その上、国鉄時代の終わりころには地方都市圏で編成を短縮化。代わりに運行頻度を拡大することで、利便性を向上させることになった。 客車列車は、出力の大きな機関車で長大な編成をけん引できることがメリットだ。特に朝ラッシュ時にはその性能が役に立った。しかし、時間帯によっては短編成で十分だったり、そのために車両の解結・連結作業をしたりするのが手間となっていた。