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FAで巨人移籍後、「戦力外危機」から不可欠な存在に復活した右腕とは

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週刊ベースボールONLINE

13年オフ、巨人へFA移籍

 FAで他球団に移籍した選手は主力として大きな期待をかけられる。その重圧たるや半端なものではない。常勝を義務付けられ、メディアからの注目度も高い巨人は活躍しなければ批判の集中砲火を受ける。丸佳浩、小笠原道大(現日本ハムヘッド兼打撃コーチ)のような成功例もあるが、好成績を残せずにチームを去った選手も少なくない。  結果を残さなければ、出場機会が減りファーム暮らしに。かつて栄光の日々を送っていた名選手たちも心が折れてしまい、なかなかはい上がれない。だが、この選手は違った。巨人にFA移籍して先発で結果を残せず、戦力外の危機まで追い込まれたが、救援への配置転換で鮮やかによみがえった。巨人のセットアッパーとして活躍する大竹寛だ。  大竹は浦和学院で奪三振能力が高い本格派右腕として注目を集め、2002年にドラフト1巡目で広島に入団。プロ3年目の04年に守護神に抜擢されて17セーブを挙げると、先発に転向した05年に2ケタ勝利をマーク。同年から5年連続規定投球回数に到達し、先発の軸として活躍している。そして、13年オフ。広島から3年総額5億円の大型契約で巨人にFA移籍する。

 原辰徳監督が同席した入団会見で、大竹は「埼玉で育ち、野球中継は巨人戦。初めてプロ野球を見たのも東京ドームだった。それが(移籍を決断する)決め手だった」と目を輝かせ、原監督も「相思相愛でジャイアンツを選んでくれたことは、監督としても心強い。巨人軍・大竹投手誕生ということに大変喜んでいる」と期待を込めた。背番号「17」のユニフォームを身にまとい、「背番号くらい勝てるように頑張ります」と誓ったが、新たな環境で波乱万丈の野球人生が待ち受けていた。  移籍初年度の14年はシーズン終盤に右肩痛で戦線離脱したが、9勝を挙げてリーグ優勝に貢献した。ところが、15年は不振で3勝のみ。広島在籍時は先発がコマ不足だったチーム事情もあり、不調の時期も我慢強く使ってもらえたが、巨人にその猶予はない。ほかの投手に持ち場を奪われ、先発ローテーションから外れるように。16年は6勝、17年は4勝と不本意なシーズンが続き、18年はわずか2試合の登板で1勝のみ。このとき35歳。年齢的な衰えも指摘され、メディアには「戦力外候補」と報じられて進退が注目された。

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