『海のはじまり』最終話 水季からの手紙、そして海と一緒に生きていく夏の「選択」
「始まりは曖昧で、終わりはきっとない」
水季もまた、海の「選択」を夏に託していた。このドラマは、夏の「選択」のドラマであると同時に、海の「選択」を見守るドラマでもあったのだ。そして手紙は、こんな風に結ばれる。 「海はどこから始まっているか知っていますか?(中略)始まりは曖昧で、終わりはきっとない。今まで夏くんが、いつからか海のパパになっていて、今そこにいない私は、いなくなっても海のママです。父親らしいことなんてできなくていいよ。ただ、一緒にいて。いつかいなくなっても、一緒にいたことが幸せだったと思えるように」 筆者は、間違っていた。このドラマは、主人公がどのように娘と向き合い、どのように父親としての自覚をもち、どのように二人で暮らしていくかを、“はっきり”と、“明確”に「選択」させる作品だと思い込んでいた。「選択」に受動的だった夏が能動的になることで、彼の成長を分かりやすく明示する作品だと思い込んでいた。 だが実際には、ゆっくりと時間をかけて海と向き合い、さまざまな感情のグラデーションのなかで熟考を重ね、気がつけば父親になっていく物語だった。「選択」は本作の重要なモチーフだが、それ自体がドラマをドラマティックに高揚させるトリガーではない。 このドラマは、ご都合主義的なストーリーに流されることなく、どこまでもキャラクターの心情に寄り添っていく。「選択」というテーマすらも、カタルシスの道具に利用しない。その誠実さ、その真摯さが、『海のはじまり』というドラマを特別なものにせしめている。
竹島 ルイ