江戸時代の非常食に奨励された「葛粉」 奈良県宇陀市で450年続く伝統の製造法
あのまちでしか出会えない、あの逸品。そこには、知られざる物語があるはず!「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」。 【写真】森野吉野葛本舗の11代当主、森野通貞が、隠居後に居住した山荘 今回の逸品は、前回に取り上げた吉野杉と同じく、「吉野」の名を冠する「吉野葛(よしのくず)」。葛の根から精製した澱粉(でんぷん)である「葛粉(くずこ)」の最高級品として知られ、主に高級和菓子や日本料理の食材として利用されている。 特に奈良県内で作られる100パーセント葛の澱粉のみの製品を「吉野本葛」といい、50パーセント以上とする「吉野葛」とともに、特許庁の地域団体商標登録を受けている。現在は数少ない吉野葛の生産地の一つである奈良県宇陀(うだ)市大宇陀に、吉野本葛の製造に携わる老舗を訪ね、その魅力と現在について聞いた。さらに、この老舗に引き継がれてきた薬草園についてもあわせて紹介したい。 【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】 昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。 【(編者)歴史街道推進協議会】 「歴史を楽しむルート」として、日本の文化と歴史を体験し実感する旅筋「歴史街道」をつくり、内外に発信していくための団体として1991年に発足。
城下町の風情を残す、山あいの歴史ある町で
奈良盆地東側の大和高原南端に位置する宇陀市。その南西部を大宇陀といい、この地域の中心である旧街道沿いの地区を宇陀松山という。この旧街道は、北は榛原(はいばら)で奈良と伊勢をつなぐ伊勢本街道に接し、南は和歌山・熊野への街道につながる要衝である。 戦国時代には地元国人がこの地に城を構え、豊臣秀長が大和国の領主として大和郡山城に入ってのちは、支城の宇陀松山城として整備されて領国支配の拠点の一つとなった。宇陀松山はその城下町として発展したところである。 大坂の陣ののちの元和元年(1615)、宇陀松山城は破却されるが、織田信長の次男である信雄(のぶかつ)が領主となり、この地に陣屋を置く。以後、四代にわたって織田氏が治めるが、元禄8年(1695)に丹波柏原(かいばら)に転封。宇陀松山は幕府天領となった。 この変遷のなかで町は繁栄を迎え、その活況ぶりは「宇陀千軒」と称された。現在も重厚な町家が軒を連ねる町並みが残り、平成18年(2006)には伝統的建造物群保存地区に指定されている。