アメリカ兵として「自分たちは汚名を晴らす」敵性外国人と呼ばれた日系二世『戦争通じて』忠誠を証明する悲惨さ【真珠湾攻撃から83年・戦争と差別に翻弄された日系二世兵士】
東北放送
太平洋戦争につながった真珠湾攻撃から12月8日で83年です。当時、アメリカでは、日本人の親のもと生まれた「日系二世」と呼ばれた若者たちがアメリカ兵として戦地に身を投じました。戦争と差別に翻弄された日系二世兵士の葛藤に迫ります。 【写真を見る】アメリカ兵として「自分たちは汚名を晴らす」敵性外国人と呼ばれた日系二世『戦争通じて』忠誠を証明する悲惨さ【真珠湾攻撃から83年・戦争と差別に翻弄された日系二世兵士】 ■日系二世兵士を撮り続ける男性 日系二世兵士を撮影し続けてきた男性が仙台にいます。写真家の宍戸清孝さん(70)。13歳のとき、おじが勤める青森県の三沢基地で日系兵士に出会ったのがきっかけです。 写真家 宍戸清孝さん: 「アメリカの将校が日本人の顔をしていた。『なぜあの人は英語で話しているの日本人なのに』と聞いたら、『清孝は知らないな。彼はハワイで生まれた日系二世』というんだと」 ■真珠湾攻撃で過酷な環境にさらされた日系人たち 明治から大正にかけて日本の貧しい農村地帯から多くの労働移民が、職を求めアメリカ本土やハワイに渡りました。 それが「日系一世」。そして、その子どもたちは「日系二世」と呼ばれました。開戦直前のハワイは、人口40万人のうち3分の1を日系人が占めていたといいます。そんなハワイに旧日本軍は奇襲をしかけます。 1941年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃。自身のルーツである日本からの攻撃でハワイやアメリカ本土に住む日系人たちは、過酷な環境にさらされます。 日系アメリカ兵を研究 国立国語研究所 松平けあきさん: 「真珠湾攻撃は軍事施設への攻撃だったが、米軍による対空砲火が行われる中で民間人も犠牲になり、その中に日系人も含まれていた。(真珠湾攻撃の後)アメリカ本土では西海岸に住んでいた人たちが、強制的に立ち退かされて強制収容された」 太平洋戦争が始まると、アメリカで暮らす「日系人」たちは、日本にルーツがあるという理由だけでアメリカ政府から「敵性外国人」と見なされました。住む家や家財道具を失い、12万人以上が人里離れた収容所への入所を強制されたのです。 ■なぜ日系二世は戦地に身を投じたのか 40年に渡り日系二世兵士を撮影してきた宍戸さん。二世の若者たちがアメリカ兵として戦地に身を投じた理由があったと話します。
【関連記事】
- 刺殺された男性の長男と結婚しながら次男とも肉体関係『異常な関係性』の一族を支配する長男の妻 父親殺害を次男に指示した「霊媒師JUN」の正体とは #1
- 『電動ドライバーで足を刺したり大便を食べさせた』殺人や死体損壊・遺棄などで逮捕された男が被害者に暴行を始めたきっかけは「自分の障害をバカにしている」同居する知人男性の首を絞め殺害、遺体をチェーンソーで切断し遺棄するまでの経緯 前編
- 「うじが膿を食べる音がするんですよピチャピチャと」炎まき散らし人を焼く“焼夷弾爆撃”その非人道的実態「一番最初に犠牲になるのは弱い立場の人たち」【仙台空襲(1)】
- 「軍の偉い人から『今夜気をつけるように』と言われた」日本軍は空襲を事前に察知していたのか?米軍がまいた「予告」ビラの謎【仙台空襲(2)】
- 「見えないように5、6人で運んだ」津波から逃れた中学生が直面した苛烈な現実“救えた命、救えなかった命”