荒浜を「楽しめる場所」に 津波で全壊した自宅跡地にストリートバスケットボールコート〈仙台市〉
仙台放送
東日本大震災特別企画「ともに」。仙台市若林区荒浜に津波で全壊した自宅の跡地にストリートバスケットボールのコートを建てた方がいます。「今を楽しむ」という思いで造ったコートで7月、初めての大会が開かれました。 仙台市若林区荒浜で開かれたストリートバスケットボールの大会。震災後、この場所は住宅を建設できない「災害危険区域」となっています。そこに仲間が集まる光景を感慨深く見つめる人がいます。 荒浜出身で、このコートを造った貴田慎二さん。練習中に足をけがして、大会に出場することはできませんでしたが、この日を待ちわびていました。 貴田慎二さん 「震災があってからコートを造ったから、こう言っていいのか分からないけど、子供のころから夢だった、家にスケートパークとバスケのコートがあるというアメリカみたいな。夢がかなったというか」 荒浜には高さ10メートルにも及ぶ津波が押し寄せ、貴田さんの自宅も全壊しました。震災後、貴田さんは仙台市内の公営住宅に移り住みましたが、荒浜の自宅跡地は手放しませんでした。 貴田慎二さん 「荒浜には誰が住んでいるわけでもないけど、ただいまって感じがある」 貴田さんにとって荒浜は、幼いころから仲間と一緒に、大好きだったバスケとスケートボードに打ち込んだ大切な場所。だからこそ、「被災地」という言葉で、ひとくくりにしたくないという思いがありました。 貴田慎二さん 「毎日のようにがれきを片付けたりしにここに来ていた。暇だから単純に自分が遊べる場所を作りたいというのが最初」 震災の翌年、自宅跡地に残った基礎の部分を利用して、まずはスケートボード場を造りました。スコップで整地し雑草を手でむしり、使える廃材を探しながら少しずつ準備を進めました。そして、3年前には、念願だったストリートバスケのコートも整備。すべて手作りしたそうです。 貴田慎二さん 「俺が荒浜に居続ければ連絡しばらく取っていなかった同級生が『帰る場所がある』と言って戻ってきてくれるんですよね。『俺が居続ければあいつら帰ってくるな』と思っているので。いる理由としてはそれもあるのかなと」 防災集団移転が行われた荒浜では、跡地の活用を促進しようと、果樹園の整備など、新たににぎわいを創出する「復興」事業が進められています。 一方で貴田さんは、コートを造った理由を「復興が目的ではない」と話します。コートの名前の「CDP」には、ラテン語で「今を楽しむ」という意味が込められています。 貴田慎二さん 「復興のためにとはぶっちゃけ考えてないですよ。後付けでは何とでも言えるんですけど、復興のこととかも一切考えていなかったし、ただ単純に遊べる場所としか考えていなかった。悲しいことが起こった場所ではある。でもずっと悲しい場所かというとそうではなくて、悲しい場所があったという事実は変わらないけど、今いるやつらはちゃんと楽しんでいる。楽しんでもいい場所だと感じてもらいたい」 7月9日、初めてとなる大会を開催。これまでは、主に仙台市内から訪れる人たちを中心に、無料でコートを開放してきましたが、この日は県の内外から多くのチームが参加しました。 新潟県から参加 「復興とかそういうことより、こういう所で津波があって、自分たちで盛り上げたいという場所を作っているのがすごくいいので、また呼んでくれるならいつでも来たい」 青森県から参加 「言葉じゃなくてバスケを通じて触れ合えるというのはすごくいいこと」 気仙沼市から参加 「震災のことで話し合うというより次のこと、バスケで前を向くところが感じられるので、次、前向いていこうかなと思えるし、(震災は)忘れはしないけど次に向かっていける」 ここは、被災地である前に大好きな荒浜。貴田さんの思いは形になりました。 貴田慎二さん 「面白いですね。これぞストリートバスケって感じで。滑って転ぶし、中でもバチバチだし、こういうのが見たかったんですよね。めちゃくちゃバスケしたくてしょうがない」 寺田アナウンサー 「この場所で人が集い笑い合うのは?」 貴田慎二さん 「本当、最高ですね。こういうコート、場所を作ってよかった。『ここに来る』というのをきっかけに荒浜を見る機会になったのはすごく嬉しい。ここで終わるんじゃなくて、彼らがここに来るということは、毎回荒浜を見るということなので、やっぱり嬉しいし、続けていきたいなと思いましたね」
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