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自分のやり方で進化する21歳、赤川塁はイタリアでプロ選手に「自分だけのレーンを走らなきゃいけない」

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バスケット・カウント

大学に入学してすぐ大ケガ「いろいろ勉強して考えた」

文=鈴木健一郎 写真=Shoehurry Bリーグ開幕が迫る9月下旬、今オフに契約が切れ、次のチャンスを探る15人ほどの選手が、コンディションを落とさないため、また新たな武器となるスキルを身に着けるために首都圏某所の体育館で早朝から汗だくになってプレーしていた。その中に、21歳の赤川塁の姿があった。東海大付属札幌を2018年春に卒業して白鴎大に進んだ彼は、紆余曲折あって11月からイタリアの3部リーグでプロ選手としてプレーすることが決まった。今はイタリア語の初歩を独学で学びつつ、プロ仕様の身体作りに励んでいる。大学バスケにわずか半年で見切りを付けた理由、その後の2年間の歩み、そしてイタリアでスタートさせるプロキャリアについて話を聞いた。 ──まずはバスケを始めてから高校まで、どんな選手だったかを教えてください。 宮城県出身の赤川塁です。3歳上の兄がミニバスをやっていた影響で、幼稚園からボールを触っていました。中学では県選抜にも入っておらず、学校自体も初心者が結構多いチームで、最高成績は県のベスト8。個人で県の優秀選手になっています。 ──それでサイズもあったのでウインターカップ常連校の東海大付属札幌から声が掛かったわけですね。高校時代はインサイドの選手としての印象が強いのですが、高校卒業後にポジションを上げたのですか?  高校まではパワーフォワードでした。中学に入った時はクラスで一番背が低いぐらいで、中3の1年間で30cmぐらい伸びたんです。もともと中学で強いチームにいたわけじゃないので、高校に入って最初は練習についていくこともできませんでした。親も札幌に来てくれて、バスケに集中できる環境を作ってもらい、常にバスケのことを考えて生活していました。でも、ひたすら走って怒られての毎日が続いて、ようやく試合に出られるようになったのが3年生の時です。誰がスタメンになるかの状況で、周りが練習していない時に練習したり、誰よりも早く体育館に行って練習していたのが認められて、それからはスタメンでインターハイにもウインターカップにも出させてもらいました。 ──そこから白鴎大に入ったわけですから、キャリアとしては上々のように思えます。高校で全国大会に出て関東1部の大学に行き、このまま成長していけば、目指すプロにもなれたのでは?  それが、入学してすぐに差を見せ付けられました。どうせやるなら日本で一番レベルの高いリーグでやりたいと思っていたので白鴎大に入ったのですが、入学時点で188cmだった僕よりもっと身長のある選手はいるし、身体つきも大きくて。しかもアウトサイドのプレーもできる器用な選手ばかりでした。僕はドリブルもできない、シュートもない、ただインサイドをやってきたけど大学のレベルじゃサイズもないし細い、という不利な条件ばかりでした。しかも足首を大ケガしてしまい、抜けている間にいろいろ勉強して考えて、退学することを決めました。 ──大学のキャリアには早々に見切りを付けた一方で、プロを目指すという意味ではあきらめていなかったわけですね。 そうですね。ケガをしたタイミングでアメリカのスキルトレーニングはどうやっているのかを勉強して興味を持ったのと、白鴎大にいてケガが治ってこのままやっていても、プロになれないどころかAチームでプレーするのも難しいと思うようになりました。白鴎大の主力で活躍していても、4年生でB1に行けるのは1人いるかいないか。ただでさえ遅れている僕が半年プレーできないケガをしてしまっては難しいです。しかも、僕の世代はすごい選手が多いので競争が激しいんです。それならもう辞めて、基礎から作り直して自分だけのレーンを走らなきゃいけないと思いました。

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