2月12日はブラジャーの日。日本人女性とブラジャーの歴史に見る、女性美の変遷
ファッションの流行や女性のマインドの変化ともクロスオーバーするブラジャーの歴史。日本にブラジャーが広がり始めた戦後から現在のムーブメントまでを振り返ってみよう。
なぜ2月12日が「ブラの日」?
2月12日は「ブラの日」。1914年のこの日に、米国のメアリー・フェルプス・ジェイコブ(Mary Phelps Jacob)さんが、ハンカチをリボンで結んだものを考案し、特許を申請したことに由来している。
1914年といえば日本は大正3年で、第一次世界大戦が始まった年。三越が1904年に“デパートメントストア宣言”を発して日本初の百貨店となったけれど、この年の商号はまだ「株式会社三越呉服店」。このことからも、日本人の服装はまだまだ和装が主流だったことがうかがえる。
一部の上流階級の女性やバスガール(バスの車掌)が洋服を着用していたものの、ブラジャーなどの洋装下着が定着するのは、日本ではまだまだ先の話。
【1940年代】
【ファッションの洋装化が少しずつ進むも、ブラジャーはまだ遠い存在】 1945年に第二次世界大戦が終わり、ワコールの創業者である塚本幸一氏が復員して装身具を商う会社を設立し、“ブラパット”と出合ったのが1949年。このブラパットの商品価値を見出して独占販売に踏み切った塚本氏は、その売れ行きを伸ばすためにブラパットを入れる中袋のついた下着を作ることに。これが、「ワコール」がブラジャーを作り、世界的なブランドへと飛躍を遂げる第一歩となる。
以降、「ワコール」は日本の洋装下着文化、つまりブラジャー文化をリードする存在に。そんなブラジャーの歴史を紐解くと、ファッションの変遷や女性のマインドの移り変わりが見えてくる。
海外の文化が日本に押し寄せて、日本人女性のファッションの洋装化が一気に進むことになった1950年代は、ブラジャーが一般市民へ広がった時代。
1947年にクリスチャン・ディオールが発表したニュールックに代表されるようなファッションの流行を、日本人女性が楽しむようになるのと同時に、それを美しく着こなすためのブラジャーや補整機能のあるボトムなどの洋装下着が市民権を得て、世に広がっていく。