大手門から本丸前まで外から眺めるだけで実感する江戸城のスケールと防備──東京にみつける江戸 第15回
高さ20メートルを超える壮麗な本丸の石垣
そのまま清水堀の脇を西へ歩くと、大正15(1926)にかけられた竹橋があり、千鳥ヶ淵の交差点に抜ける代官町通りが通っている。橋を渡った左側に、竹橋門の高麗門の石垣がわずかに残っている。そこから平川門方面をながめると、帯曲輪が二つの堀を分け、さらには二つの門を結んでいるのがよくわかる。有事の際には、双方の門の番兵が行き来できるようになっていたのだ。 竹橋を渡らずに清水堀を左に見ながら進むと、第9回で訪れた清水門に至る。江戸城内郭の外周をひと回りしてきたことになる。いかに広大な城であるか、実感できたのではないだろうか。 しかし、ここは竹橋を渡って、平川堀を左に見ながら代官町通りを進んでほしい。堀の向こうに望めるのは屏風上に連なる本丸の高石垣で、実に壮観だ。江戸城のとてつもないスケールを、あらためて実感できるだろう。本丸を守るために、北の丸から本丸に続く台地を深く削って堀にしたもので、石垣もこのあたりが江戸城で最も高く、20mを超える。重機がなかった時代の土木工事は想像を絶するが、加えて、江戸は近くから石材を調達できなかったことを思い返してほしい。 左手に高麗門が見えてくる。本丸から城外に直接通じる唯一の門であった北桔橋門(きたはねばしもん)だ。やはり東御苑の出入り口のひとつで、現在はコンクリート製の橋がかかっているが、江戸時代は門を入るとすぐに将軍の居所である本丸御殿であったため、防御のためにその名の通り、ふだんは橋が跳ね上げられていた。この門には別の役割もあった。半蔵門から千鳥ヶ淵沿いに導かれた玉川上水が、2本の木樋(木製の水道管)を通して、ここ本丸に引き込まれていたのだ。 PROFILE 香原斗志(かはら・とし) ジャーナリスト。早稲田大学で歴史を学ぶ(日本史専攻)。小学校高学年から歴史オタクで、中学に入ってからは中世城郭から近世の城まで日本の城に通い詰める。また、京都や奈良をはじめとして古い町を訪ねては、歴史の痕跡を確認して歩いている。イタリアに精通したオペラ評論家でもあり、新刊に「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)がある。
文・香原斗志