古写真から知る明治期の花見 外国人を感激させた日本人の趣深い行動とは?
明治時代の手彩色写真
冒頭に掲載した写真は、春の上野公園と、そこに集った人々を収めたものである。撮影されたのは、明治の初期だろう。今から1世紀以上前だが、当然、桜の美しさは変わらない。しかし、人々の格好が今とは大きく異なっているようだ。人物をアップにした写真も掲載しておこう。
男女とも、服装は全員が和服である。まだ庶民には洋服が浸透していない時期だとわかる。髪形は、女性は4人中3人が日本髪、男性は誰も髷(まげ)を結っておらず、今と変わらないようだ。おそらく、前にいる3人の女性は撮影用のモデルだろう。 この一枚は湿板(しっぱん)写真術によって撮影されたもので、先のダゲレオタイプとは違う。感度が高く、露光時間は長くても15秒程度しかかからない点が最大の特長である。最も改良を重ねたダゲレオタイプの露光時間は1分ほどだったので、差は大きい。 ところで、この写真が明治期に撮影されたものであると知ったとき、違和感を持った向きもあるはずだ。それは、これが「カラーの写真」だからである。カラーフィルムが日本で普及するのは、1940年代以降である。それを考えると、この写真に色が付いているのは不思議に思えるかもしれない。 しかし、このように色が付いている理由は、実に単純なものである。モノクロの写真に、人が色を塗っているのである。このような写真を、手彩色写真(あるいは単に彩色写真)と呼ぶ。鶏卵紙(けいらんし)に焼かれた写真に、職人が一枚一枚、色を塗ったものなのである。 このような手彩色写真は、主に外国人旅行客のお土産として人気を博した。だから、被写体も「いかにも日本らしいもの」が多かった。そのお陰で、我々はこういった写真から、同国人であれば記録しないような当時の風俗なども知ることができるのである。
花見と日本の庶民の心
今回、取り上げた花見という行事も、手彩色写真の題材として大変好まれた。それは、花見が外国人にとって珍しいものだったからだが、その「珍しさ」は表面的なものではない。 米国人の紀行作家エリザ・R・シドモア(1856-1928)は、1891(明治24)年に『シドモア日本紀行(原題:明治の人力車ツアー)』を出版した。内容は、彼女が明治の日本で実際に目にした文化や風俗を、極めて公正に紹介したものである。 この本を読むと、シドモアが花見に並々ならぬ関心を寄せていたことがわかる。美しく咲き乱れる桜の花のことが、彼女は大好きだったのだろう。しかし、それだけならば、彼女にとって花見はほかに優越するほど大きな存在にはならなかった。 シドモアは、花見に集まる人々を眺めて、ややユーモラスな口調でこのようなことを記している。 この国の群衆は何千人集まっても、爆弾を投げたり、パンや資産の分配で暴動を起こすことはありません。ひたすら桜を愛で賛美し、歌に表すだけが目的なのです。 ―エリザ・R・シドモア著、外崎克久訳『シドモア日本紀行』(講談社学術文庫)、109ページ 彼女が本当に感動したのは、桜そのものではなく、それに向かい合う当時の庶民の心の方だった。どれだけ大人数が集まっても礼儀正しく、どれほど酔っても本気で争い合うことがない。そして、ただ宴を開いているだけではなく、多くの人々が桜をテーマに短歌や俳句を書いている。歌の書かれた短冊は、近くの桜の枝に結ばれ、次の雨の日に花びらと一緒に地面に落とされ、どこかに流れていく。花見は、世の無常を凝縮して見せてくれるものでもあった。 ワシントンのポトマック河畔には、現在、8000本の桜が並んでいる。これは、シドモアの尽力によって日本から寄贈された3000本の苗木に始まったものである。 現在も、行事としての花見は日本において衰えていないが、そこで歌を詠む人にお目に掛かることは、ほとんどない。シドモアの感動した日本人の心は、今も変わらずにあるだろうか。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)