「ソニーにとって非常に大事なイベント」コロナ禍でのソニーオープンインハワイ開催にかける主催者の思い
毎年1月にハワイ・オアフ島のワイアラエCCで開催される「ソニーオープンインハワイ」。1983年に同大会の前身となる「ハワイアンオープン」で青木功プロが日本人として初めてPGAツアー優勝を果たし、1999年にソニーがメインスポンサーとなってからは、例年多くの日本人選手が推薦出場するなど、日本人にとって馴染みの深いPGAツアーイベントになっています。 【動画】堀川未来夢の曲げないドライバーショット 2021年はコロナ禍での無観客試合での開催となり、例年とは違った意味合いを持つことになります。同大会にかける思いについて、ソニー(株)執行役員でソニーオープンインハワイを担当する河野弘氏に、プロキャディ・杉澤伸章氏がインタビューを行いました。
ソニーが世界にチャレンジするきっかけがハワイにあった
杉澤 まずは自己紹介をお願いいたします。 河野 『ソニーオープンインハワイ』の担当役員をやらせていただいております河野です。ソニーに入社し35年になりますが、私の最も好きな仕事の一つです。ソニーのゆかりがある地で、ソニーが貢献できているという、ソニーにとって非常に大事なイベントです。 杉澤 PGAツアーでいうと、『ソニーオープンインハワイ』が年明けの風物詩で、楽しみな大会でもあり、日本との時差もあまりなく人気の高い大会だと思いますが、どのような歴史があるか教えてください。 河野 1999年から始まり、今年で23回目を迎えます。ソニーが創業まもない頃、あるきっかけによりずっとその関係が続いている中で、トーナメントのスポンサーシップをやらせていただいています。 杉澤 ハワイとの関係ということですか? 河野 ソニーが日本で創業し、アメリカへトランジスタラジオを販売しようとした時に、いろんなアドバイスをいただいたのがハワイの弁護士の方でした。世界にソニーがチャレンジするきっかけをサポートしていただいた、非常に恩のある地で大会を協賛するようになり、大会名も現在の名称となりました。ソニーがグローバルな企業となるきっかけの場所でもあります。 杉澤 日本人選手がアメリカのツアーに初めて参加(1929年 宮本留吉プロ、安田幸吉プロ)した大会であり、青木功プロがPGAツアーで初めて優勝(1983年)を果たした大会(いずれもソニーが協賛する前のハワイアンオープン)でもあるわけで、日本人選手にとってもグローバルな活躍をするきっかけとなった大会でもありますよね。 河野 この大会をきっかけに、世界に目を向け飛び立った選手がいらっしゃるわけで、そういった場にもなるのかなと思います。 杉澤 そういった意味では、推薦枠で出場させていただく日本人選手も、必ずしもワールドランキング上位の選手ではなく、これから伸びそうな選手を推薦していただいているのもそういう思いからですか? 河野 そうですね。チャンスを掴んで欲しいという思いや、出場することで学ぶことも多いと思います。 杉澤 金谷拓実プロもアマチュア時代の2019年に推薦いただいて、PGAツアーの名だたる選手と戦ったということも、後のアマチュアランキング世界1位になったモチベーションやきっかけになったと思います。 河野 やはり、目線が上がると思います。目標が具体的に見えることでモチベーションが上がり、もう 1段上のプレーをしたいと思うようになると思います。ソニーも同様に自分たちをステップアップさせてきた歴史があります。 杉澤 長年携わってきた中で、思い出に残る選手はいらっしゃいますか? 河野 金谷拓実選手がアマチュア時代に参加され、100%満足できるプレーではなかったかもしれませんが、その経験を経てプロ転向後優勝されたことが非常に印象に残っています。 杉澤 松山英樹プロ(2011~13年にアマチュア出場)の成長は、どのように見られていましたか? 河野 当時は主催者というよりは、アメリカからお客様をお連れする立場として参加していましたが、松山プロは体が大きく、雰囲気もあり、明らかに先を見て大きな目標に取り組んでいる印象でした。