菅政権が誕生 角栄型政治への回帰のにおい
清和会から田中派政治へ 自民伝統の陳情政治が復活か
菅義偉政権が16日に誕生した。菅氏は安倍政治の継承を唱えているが、首相の政治的な生い立ちの違いからやはり価値観が違う。内政で何を優先するのか。そのあたりに、やはり大きな変化をもたらすだろう。 安倍氏と菅氏では、政治家として生い立ちは好対照だ。母方の祖父が岸元首相、父方の祖父は安倍寛という反戦政治家という政治家一家に生まれた三世議員の安倍首相。憲法改正を掲げつづけたようにある種の国家像を持つ「理念型」の要素のある首相だった。支持率を上げようと野党が要求している政策を密かに取り込む柔軟さはあったが、思い入れのある内政案件はなかったようにみえる。 一方、政治的な係累はなく、議員秘書から市議、国会議員とステップを上がってきた菅首相は、国家観を語るときは自信なさげ。海外からの観光客、いわゆるインバウンド取り込みやふるさと納税などニーズを吸い上げ個別の課題を実現してきた政治家だ。 勝てるタイミングなのに、衆院解散を問われて「首相になった以上は仕事をしたい」というのは好感が持てる。その場合の仕事とは、憲法改正のような国家観に関わるものではなく、携帯電話の値下げや不妊治療の保険適用など、身近なニーズに応えようというものだ。いわば現世利益の実現だ。 菅政権の誕生そのものも、こうした現世利益の実現に応えてきたことから生まれている。外交に力を割き、ともすれば内政への興味が薄かった安倍首相の下で、与党議員の要求に細かく応じていたのも菅官房長官の「役割」のひとつだった。それでできた「貸し」が隠れ菅派議員を生み、菅氏を首相に押し上げる原動力になった。 首相の選出過程は、安倍政権と同様に7年を超える長期政権だった佐藤栄作首相から、田中角栄首相への内閣継承に似ている。保守色の強い佐藤首相から庶民派たたき上げの田中角栄首相へ。政治エリートの安倍氏から党人政治家の菅氏へというのは、印象がダブる。 当時の佐藤首相は、大蔵省OBでやはり政治エリートだった福田氏に後任を譲ろうとした。安倍氏が岸田氏、さらに麻生氏へのバトンタッチを模索したのに似ている。田中角栄氏は佐藤派の大番頭でありながら、派中派を作ってまで親分の意向に背き、もぎ取るように首相の座を奪った。 今回の首相交代劇も、表面的には「禅譲」に見えるが、安倍氏が他の人を指名できないようにじわじわと道筋をつけていった。その手法は、田中角栄に通じるものがある。当時のナンバー2である幹事長ポスト(官邸機能が強まっていまやナンバー2は官房長官だが)を駆使して、党内のニーズに応えシンパを増やした手法もいまの菅氏の手法に似て見える。 社会保障の充実など国内課題に本格的に取り組むことがなかった安倍政権から、内政を重視する菅政権への交代は、時代の要請のようにも感じる。だが、小粒の課題にばかり取り組もうというのであれば、田中角栄が駆使した古いタイプの自民党政治、言い換えれば「陳情政治」への回帰になりかねない。 森氏が2000年に首相に就任してから自民党の首相は5人だが、麻生氏を除いた森、小泉、福田、安倍の4人が安倍首相の祖父、岸氏が率いた清和会(現在、清和研究会)という派閥の出身だ。そしてどの首相も世襲政治家だ。 オーバーに聞こえるかもしれないが、あえて清和会政治から田中角栄的政治への変化の兆しを今回の首相交代には見てしまう。角栄氏は、首相のときより幹事長のときの方が輝いていたといわれている。菅首相が、官房長官のときの方が輝いていたといわれないことを祈りたい。 安倍首相の国家主義、マイルドだが独裁色がある政治には不安を感じた。だが、菅氏の政治が調整型、陳情方という田中政治の負の面を纏うようになるのだとすれば、自民党は旧来の自民支持者のさらに強い支持は得られても、国民からの支持は失うことになるだろう。 ■土屋直也(つちや・なおや) ニュースソクラ編集長 日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設。