今思うとありえない…? 首都圏の鉄道「当時は当たり前だった風景」5選
懐かしい風景、しかし今思うと不便だった
首都圏の鉄道風景は、新規開業、改良工事などにより、かつての姿から大きく様変わりしました。古き良き風景の消滅は寂しい反面、当時の「日常」は、今考えると大変不便だったと思えるものが多くあります。 【画像】驚き! 住宅地の中にあった旧「羽田空港駅」
東京駅と上野駅で分断されていたJR幹線
都市圏の鉄道ネットワークは、中京圏では米原~豊橋、関西圏では敦賀~播州赤穂など、古くから一体的な運転が行われていました。首都圏でも横須賀線と総武線は一体的に運転されていますが、一大幹線である東海道線と宇都宮線・高崎線は、つい最近まで、それぞれ東京駅と上野駅をターミナル駅として別々に発着していました。 そのため、東京都心を挟んで南北を移動する際には、いったん山手線もしくは京浜東北線に乗り換えて東京~上野間を移動する必要がありました。 2001(平成13)年に湘南新宿ラインが開業、渋谷や新宿を経由して南北の幹線を結ぶルートが形成されました。そして、2015(平成27)年に上野東京ラインが開業し、東海道線と宇都宮線・高崎線は完全に一体となり、東京駅と上野駅は通過点となりました。
駅一つ分ずれていた渋谷駅埼京線ホーム
JR渋谷駅の埼京線ホームは、1996(平成8)年の開業以来、山手線のホームの南端よりもさらに南側に位置していました。 そのため、ハチ公口から埼京線や湘南新宿ラインを利用する場合、山手線のホームの北端から、のべ電車11両分ほどの距離を延々と歩き続ける必要がありました。ガイドブックでは、「いったん山手線に乗り、恵比寿もしくは池袋まで行って乗り換えたほうがいい」と書かれることもあったほど。 このような異様な配置になったのは、埼京線が元々貨物線であり、すぐ東隣に東急の渋谷駅のターミナルビルがあったことから、山手線の渋谷駅ホームに並行して埼京線ホームを設置する用地が確保されていなかったためです。 2020年に、渋谷駅周辺の再開発とともに埼京線ホームは山手線と同位置に移転。埼京線の「大きくズレたホーム」は、新宿駅を残すのみとなりました。