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灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(92)

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 月曜日の夜7時半。7時のニュースのあとに『私の秘密』が始まる。  この頃からの最新技術で、舞台を写す画面の途中に、ホールの観客の画が時折差し込まれる。和服の年輩婦人が圧倒的に多い。  大きく開いた口からは金属の不恰好な歯が飛びだし、浅黒い肌の頰には笑うとさらに深くなるシワがきざまれている。  実に幸せな笑顔であるが、出演者の藤原あきと比べるとその肌の質感は歴然としていた。あきは還暦を過ぎていて、観客の婦人たちもわざわざホールにやって来るくらいであるから、あきとそう年齢は離れていないであろう。やはりあきは驚異的に若い。  司会の高橋圭三から、渡辺紳一郎の次にあきが紹介される場面になると、500万のお茶の間はブラウン管を食い入る様に見つめる。 「また違ったよ」 「衣装持ちだね」  うぐいす色と銀色のよせ縞の小紋に黒い帯。ココア色の地に、真っ白な桜の花びらが舞う羽織を合わせ、春の訪れをあらわしている。  あきは生涯一貫して、可愛らしい着物よりも渋い柄のものを好んだ。  化粧は、眉をアーチに描くことで加齢をカバーし、明眸はいささか垂れてきたものの眼の下の涙袋は「昔は愛し愛されつつ生きてきたのよ」と言わんばかりの膨らみで愛嬌を保っている。  あきの1週間は多忙だ。  月曜のあきは『私の秘密』の出演だが、ここのところのNHKの地方局の開局で前日からの地方出張が入ることが多い。  初めの頃こそ、地方へ行けば郷土料理に舌づつみを打ち名所見物にも出かけていたが、すでに日本中に顔をおぼえられてしまっているあきは、名所と呼ばれるような場所に行くと、逆に「名所」扱いで見物されてしまうことが多いので、人の群れにはなるべく行かないようになってしまった。  東京のNHKホールからの放送でも、生放送が終わるとすぐに帰宅をして、欲も得も無く家のベッドにもぐりこむ。女ひとりは寂しいの寂しくないのと言っている場合ではないほどに疲れてしまうあり様だ。  小石川の伝通院にほど近い、文京区の安藤坂のアパートメント。  最新の設備、ダイニングキッチンがついた三間ほどの、あきの城である。  すでにテレビカメラの前で気取っているあきではなかったが、反響の大きな番組に出演するということは、精も根も尽きることだ。  あきが番組に穴をあけたのは、何年もの間に病気で2回ほどだ。  それくらい日ごろから体調には気を付けている。白米はじめ白い小麦粉は控えて、たんぱく質やビタミン、ミネラルを多く摂取するという「ハウザー食」をすでに10年近くも実行している。砂糖は体に毒だからと蜂蜜を使用する徹底ぶりだ。それに加え週に1回の美容体操は、アメリカのエリザベスアーデン社で教えてもらった本場物だ。高度成長期に日本に沸いた「美容体操ブーム」の先駆けである。  体調良く、暑くも寒くもない顔で楽しい雰囲気を醸し出しながらテレビに出演することは、「出演者の礼儀」であり「視聴者に対するサービス精神」だと考える。  あきが最も気に食わないのは、「テレビは嫌いだが出てやっている」という態度をとるゲスト解答者がたまにいることである。これには有名人であろうとどんな偉大な人であろうと閉口した。  火曜日からは資生堂の仕事が主で、最近では大阪のチェーンストアの出店が激しく、あきは指導のため飛行機に乗り出張することもある。  週末は渋谷と銀座に出来たばかりの資生堂デラックス美容室の巡回だ。  東急文化会館の美容室は300坪に90名の美容師が常駐する大規模なものだ。鏡と椅子がいくつも並ぶ様に圧倒される。  銀座資生堂3階の美容室は、のちに「ヤクルト」の容器デザインでも知られる「剣持勇」(1912~1971)によるインテリアが目を引く。洗練された内装は受付のラウンジから、サロンドライヤー通称「お釜」と呼ばれる髪の毛の乾燥機が置かれる施術場まで、洗練された高級感のある美容室となっている。  ここで、多くの女性がゆったりと、ヘアセットから手足のマニキュアをされ贅沢な非日常を過ごす。  あきが自社の美容室に行くと、白の襟付き半そでのワンピースにヘアバンドをのせた一見看護婦の白衣のようなユニフォームの女性たちが「先生~」とあきの周りに集まってくる。  美容部員たちにとってあきは師であり、著名なテレビタレントでもある。  あきの話はわかりやすく楽しい。 「その時の自分の心のあり方、生活のあり方、心持ちの季節、肉体の年齢、それらのものを知恵で悟って、それに1番ぴったりしたおしゃれをしている人が、1番美しい人なのだと思いますよ。自分という一人の人間のかもしだす雰囲気、つまり自分の身についている『持ち味』を知ること、これもまた美しくあるために欠くことのできない、大切な条件です。いかに自己を美しくするかということは、あらゆる女性が何千年の昔から、大きな関心事としてたゆまずに研究してきている問題で、何代も何十代もの前の女性たちによって、その知恵は磨かれ伝えられているのです。誰もかれもが、先祖からの遺産として『美しくありたい』という執念の様なものを持っているのです。その執念に正直にとりついている女性もあれば、もらった遺産を忘れた女性もいれば、わざとすねて執念をつきはなしてみせている女性もいるのです。私はそんな手のこんだ細工をするより『美しくありたい』という欲望に素直にしたがったほうがいいと思います。そのほうがずっとさわやかですよ」 「30代は女性の花の満開の時です。情操も豊かですし、体に色気もでる、自分というものがはっきりして個性美が輝いてくる時です。でも、娘時代の美しさとは、美しさが違ってきているのですから、去っていく若さに未練を残した、もの欲しそうなおしゃれをしてはいけません。自分の雰囲気を生かすおしゃれが大切なのはこの年代からです。柔らかい感じ、きつい感じ、冷たい感じ、温かい感じ。人としていろいろな味を出してきている年齢なのですから、自分の特徴、自分の雰囲気をわきまえたおしゃれをしてくださいね」  がらりと雰囲気を変え、 「皆さんは、高峰秀子さんの映画『喜びも悲しみも幾歳月』ご覧になられましたか? 私は誘われたのですけれど、お断りしたわ。2人の亭主にひどい目に会っているのに、佐田啓二みたいな立派な亭主を見るとしゃくにさわって来るのね。私には喜びがなくて悲しみの幾歳月でしたわ」  部屋にドッと笑いが起きる。  茶目っ気たっぷりに自らの事を話せるあきを生徒たちは魅力的に感じる。  生徒たちは資生堂に勤め「藤原あきさんから指導をうけている」と話せば、親や親類からの信頼も増し「若さの秘密を聞いてきて」などと頼まれるのである。  生徒たちもわざわざ流行りの「チャームスクール」(マナー教室)などで高いお金を払わず、お金を貰い働きながらあきの話を聞くことができるということは魅力だった。若い親たちが教えられなかった様なことも、あきから教わったという美容部員たちもいる。  あきからすれば手塩にかけた生徒たちで可愛くて仕方がない。  あきは自らの美と健康のために、資生堂美容室で、週に2回は髪のシャンプーとセット、資生堂のクリームを使用した全身のマッサージを受ける時が至福の時間だ。  さらに残りの時間で、雑誌のインタビュー、対談、座談会などを受ける。好みの男性との対談では嬉々としていつも以上におしゃれをしてのぞみ、女性同士の対談などでは辛辣な言葉も投げかける。  そしてまた次の1週間が始まる。  還暦をすぎた多忙なあきの身体に、少しずつではあるが負担がかかり始めていた。  ある日などは放送が終わりやっとの事で自宅に戻り、床に就いたら最後、起きられなくなり、翌日資生堂の仕事で行く予定の九州出張を取りやめてしまった。  肝機能の低下という診断がなされ「黄疸」の症状が出た。あきはいくら白黒テレビでもこれはまずいと、翌週のテレビでは元気ではつらつと見えるよう凝らしたメーキャップを研究した、そして誰にも体調不良を気付かれずに事なきを得た。 「忙しいのはありがたいこと」と夫のもとを飛びだしてからひとり何もすることなく誰からも求められなかった渋谷のアパート時代を思えば、今は夢のような日々なのであるが、全国に知れていく名前と顔に、体がついていかないのだ。たしかに「秋ずし」の経営失敗などもあり精神的にも落ち込んではいた。  そんな中、あきを資生堂に引っ張ってくれた社長の伊与田が退任した。 「これがいい機会かもしれない。資生堂の仕事は私ではなくとも代わりにやってくれる人がたくさんいるのではないか。孫がもう10人もいるというのに、これ以上働かなくともよいのではないか」  という気持ちにもなる。  あきは、決心して新社長の伊藤隆夫のもとへ行く。 「もう私の役目は終わりましたわ。ぜひともここで、退社させていただきたいのですが」  ダルマ顔の伊与田に代わり、ヘアをポマードで後ろになでつけ黒縁眼鏡の新社長の伊藤があきを懸命に引き留めた。  伊藤としても、みすみす会社の看板娘を手放すわけにはいかない。  前の社長ら松本と伊与田の「資生堂五か年計画」が成功し、国内ではライバルメーカーと圧倒的な差をつけての、独走状態。 「日本女性の皮膚は欧米人のそれと違い世界一美しいと言えるが、その分繊細かつ敏感でさまざまなトラブルを起こしやすい。我が社では日本人女性の肌を徹底的に研究してきた」  伊藤の見据えるものは海の向こうであった。  すでに在留邦人が多く住む、沖縄、台湾、アメリカのロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイには商品が多く流通している。これからは欧米の老舗の化粧品会社と肩を並べることを目標にしていかなければならない。  そんな中で、海外経験が豊富であちらの美容事情にも明るいあきの存在はより貴重なものになっていた。  さらに伊藤も伊与田と同じに評価することは、あきの指導者としての能力だ。  あきが指導したチェーンストアの店主は着実に業績を伸ばし、美容部員たちは客へ確実に美の知識や化粧品の持つ「夢」を与えることができている。  伊藤にはまだ人には話していない構想があった。建設中の資生堂美容学校の初代の校長には迷いなくあきに就任してもらおうと。  再びあきが辞めると言わないうちに、すぐに内部の同意を得て、あきを社長室に呼んだ。 「藤原先生には、皆本当に素晴らしい指導をつけてもらっていると聞いています。そこで、今度設立するわが社の美容学校の初代校長として、今度は美容に従事する若者全般の指導を包括的にお願いしたい」  あきは自分にできるのか? と自身に問うてみて、それが出来るのかはわからなかった。しかし今の自分があるのも資生堂が拾ってくれたことが原点だということを心に刻んでこう言った。 「会社にいらないといわれるまで、働きたいと思います」  それからほどなく、あいかわらずのあきのテレビ出演の中でこんな話が視聴者からささやかれるようになった。 「藤原あきさん眼鏡をかけるようになりましたわね」 「さすがに肌は若くても老眼鏡ね」 「老眼にしては遅いわ。私なんか50前から老眼鏡よ」 「最近あきさんのお顔が変わったわ。何か瞼がはれぼったい感じね」 「あら奥様、あれは整形でなくて? あの若さは美容整形よ」  そんな会話がいたるところでされるようになっていた。  お茶の間へ笑顔を届けるあきの体の中で、なんらかの異変が起きていたようだ。

佐野美和

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