暴力の応酬がもたらしたものを探る14枚の写真 米同時多発テロから19年
2001年9月11日、ニューヨーク・マンハッタンで未曾有のテロが起きた。米同時多発テロ事件だ。米国は「テロとの戦い」を宣言。それは今も続く。あのテロと戦争がもたらしたものは何だったのか。写真で振り返る。【BuzzFeed Japan/貫洞 欣寛】 2001年9月11日午前8時46分(現地時間)、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便がハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センター北東に突っ込んだ。 マンハッタンにそびえる2棟の高層ビルは、米国の豊かさの象徴でもあった。それだけに、1993年にも爆破テロに襲われていた。
生中継された惨劇
さらに約15分後、ユナイテッド航空175便もハイジャックされ、南棟に突っ込んで爆発した。 その様子を、北棟での異変を伝えるテレビの生中継が捉え、世界中の人々が目撃する異例の事態となった。
ペンタゴンにも自爆
民間航空機のハイジャックによる自爆攻撃は、それだけに留まらなかった。米軍の中枢・ワシントンの国防総省にもアメリカン航空77便が突っ込んで炎上。 さらにユナイテッド航空93便もハイジャックされワシントンに方向転換したが、ペンシルベニア州で墜落した。乗客らがハイジャックに気づき、激しく抵抗したという。 一連のテロ攻撃で、約3000人が犠牲となる未曾有の惨事となった。
耳打ちされ衝撃を受けたブッシュ大統領
事態を耳打ちされたブッシュ米大統領は、一瞬当惑したような表情を見せた。 その後、非常事態宣言を出し、米全土は厳戒態勢に入った。 ブッシュ政権は間もなく、首謀者を特定したと発表。やがて「対テロ戦争」を宣言した。
黒幕とされた男
一連のテロの黒幕とみられたのは、サウジアラビア出身のオサマ・ビンラディンだった。 イスラム圏から欧米の勢力を一掃し、独自の思想に基づいた「イスラム世界」の樹立を目標に掲げたイスラム教スンニ派の過激派組織アルカイダ(アラビア語で「(聖戦のための)基地」を意味する)を率いていた。 世界有数の建設会社創業者の息子の1人だったビンラディンは1980年代、ソ連軍の侵攻と戦う「イスラム戦士」としてアフガニスタンに渡った。こうした「イスラム戦士」には、アフガン情勢に干渉を続けるパキスタン軍や情報部、さらに米中央情報局(CIA)などが間接的に資金援助などを続けていた。 1989年のソ連軍撤退で、ビンラディンはサウジに帰国した。 そこで直面したのが、1990年に隣国クウェートで起きた、サダム・フセイン率いるイラク軍による侵攻だ。イラク軍の脅威に直面したサウジ政府は、米軍のサウジ駐留を求めた。 ビンラディンはサウジ王室に「聖地メッカを抱える地に異教徒の米軍を入れるぐらいならば、我々がイスラム戦士部隊を結成してサウジを守る」と提案したが、退けられた。王室批判を強めるビンラディンは国外追放された。 ビンラディンにとって、「異教徒」だけでなく、それに支えられた自国の政府も打倒の対象となった。スーダンを経てアフガニスタンを根城とし、1998年のタンザニアとケニアでの米大使館自爆テロ事件などのテロ活動を続けてゆく。 そして、アメリカ本土でのテロ攻撃を計画した。その決行日が、9月11日だったのだ。