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熊本大空襲から75年 91歳元教員ら証言集出版「次の世代に語り継ぎたい」

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毎日新聞

 熊本市で400人近くが犠牲になった1945年7月の熊本大空襲から75年の7月1日、同市の元教員、上村文男さん(91)らが証言集「戦後75年 熊本空襲の実相を後世へ」を自費出版した。自身も空襲で友人と自宅を失った上村さんは市民の被害や戦争体験を伝え続けてきた。「10年後は私も生きているか分からない。次の世代に語り継ぎたい」と話し、今回の出版を集大成と位置づけている。  「焼け跡には真っ黒に焼けた叔母の骨と型の残った入れ歯があった」「防空壕(ごう)を掘ったらかばい合うように死んでいる3人が見つかった」――。証言集は77~78年、上村さんが会員だった市民団体「熊本空襲と戦時下の暮らしを記録する会」の会報に載せた体験談など約60人分をまとめたものだ。  父が外務省職員だった上村さんは29年、米・ハワイで生まれた。15歳だった44年8月、家族7人で東京から両親の故郷の熊本市に疎開。旧制熊本中に入学するとすぐに授業がなくなり、三菱重工業熊本航空機製作所に動員されて旋盤工として働かされた。  45年7月1日深夜、熊本市上空に米爆撃機約150機が飛来し、焼夷(しょうい)弾が降り注いだ。上村さん一家は近くの練兵場に逃げて無事だったが自宅が焼失。逃げ遅れたお年寄りを助けようとした友人は直撃弾を受けて亡くなった。「あと2カ月早く戦争が終わっていたら」。一緒に工場に通うなど仲が良かっただけに、悔しさは今も消えない。  戦後、上村さんは中学教諭になり、空襲体験を生徒に語り続けた。退職後は熊本市の市民団体「平和憲法を活(い)かす熊本県民の会」の代表幹事を務め、空襲被害者らの証言集を出版。2009年夏からは「熊本空襲を語り継ぐ集い」を毎年開催してきた。しかし当時を知る人が年々少なくなっているため、40年以上前の証言に再び光を当てようと同会から新たな証言集を出すことにした。  収録されたのは戦後32~33年ごろの証言とあって、まだどれも生々しい。  13歳で空襲に遭い、姉と弟、叔母ら家族6人を亡くした男性の体験記「黒い骨」には「変わり果てた姿を見た時の気持ちは言い表しようがない。姉の死姿は苦しんだ跡が一見して分かった。髪の毛に火がついて狂ったような悲惨さだったそうだ」とつづられている。  国民学校1年生だった女性は学校に遺体や負傷者が運ばれてきた当時の様子を「担架の上に座った2歳くらいの赤ちゃんが泣きわめいている。お母さんは顔も体もボロボロになって死んでいる」と語っていた。  証言した人の多くが鬼籍に入った。上村さんも外出時はつえを手放せず、視力低下でパソコンを使う作業も困難になったが「証言を埋もれさせてはいけない」と力を振り絞った。  1部1200円(送料別)で500部を発行。7月1日午後1時半からは熊本市中央区手取本町の県民交流館パレアで今年の「熊本空襲を語り継ぐ集い」があり、自ら思いを語った。問い合わせは県民の会事務局(096・272・7703)。【城島勇人】

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