幕末に天然痘ワクチンを普及させた医師、笠原良策の苦難を描いた映画が来年1月公開
■庶民に意義説く
それでも良策は諦めなかった。50年に「牛痘問答」を出版。ふりがなをつけ、庶民向けに種痘の意義を説いた。著作の添削には福井の歌人、橘曙覧(あけみ)が関わったという。「この下云々(うんぬん)はもとの儘(まま)にておきつ」。曙覧書簡集にはこうした記述が残る。2人は共に国学を学んだ仲間でもあった。
実は、曙覧は三女を天然痘で亡くしている。福井市橘曙覧記念文学館の内田好美学芸員(46)は「曙覧の悲しみは深かった。それだけに種痘を広める良策の活動を応援したい思いがあったのでしょう」と話す。
種痘は金沢、富山にも普及する。良策は患者のカルテのようなものを作り、複数回の接種をするなど計画的に種痘に取り組んだ。51年に藩公認の種痘所「除痘館」が設けられ、4年後、現在の福井春山合同庁舎付近に移転。現在は良策の功績をたたえる案内板が立つ。
■福井県内ロケ地に
市橘曙覧記念文学館で今月21日、良策と曙覧の関係を紹介する企画展が始まった。同市の県ふるさと文学館では、小説「雪の花」を含む吉村さんの著作や自筆原稿、パネルを展示中だ。市立郷土歴史博物館も映画の公開を記念し、来年1月24日から良策が所有していたカメラなどの展示を予定している。
映画には、良策役の松坂桃李さんや芳根京子さん、役所広司さんが出演する。昨年、武家屋敷旧内山家(福井県大野市)や養浩館庭園(福井市)など各地で撮影され、県内の約100人がエキストラなどで出演したという。
今月18日に福井市内で行われた試写会であいさつした小泉堯史(たかし)監督は「歴史とは思い出すこと。真っ白な気持ちで見ていただき、笠原像がみなさんの心の中に染み込めばいい」と語った。
◆天然痘=疱瘡(ほうそう)とも呼ぶ。感染力がすさまじく、幕末には毎年のように流行。福井藩が「小児過半死す」と記録するほど死亡率が高く、軽症でも顔や体に吹き出物(あばた)が残った。種痘の普及で患者は減少し、世界保健機関(WHO)は1980年、根絶を宣言した。