【親孝行物語】「夫の葬式に愛人が来た…」65歳専業主婦女性の人生を変えた娘の鬼指導~その2~
「孝行のしたい時分に親はなし」という言葉がある。『大辞泉』(小学館)によると、親が生きているうちに孝行しておけばよかったと後悔することだという。親を旅行や食事に連れて行くことが親孝行だと言われているが、本当にそうなのだろうか。 2024年10月1日、総務省は「労働力調査 (基本集計) 8月分」を発表。これによると、女性の労働者は約3104万人で、過去最高をマーク。男女共同参画局の最新版「男女共同参画白書」によると、2023年時点での専業主婦世帯は404万世帯(6.6%)であり、共働き世帯は1206万世帯(20.7%)と約3倍に。 東京近郊で一人暮らしをしている由美さん(72歳)は現在、中学校のサポート相談員として働いている。「7年前、主人が突然亡くなって、愛人が葬式に来ました。そのことを機に、娘(当時41歳)が私をビシバシ指導してくれなかったら、今の幸せはない。私の場合、専業主婦のまま、のらりくらりと生きてきたので」と語る。現在、娘は48歳、ときどき電話をくれるという。 【これまでの経緯は関連記事から】
夫婦の距離が離れたことを、仕事のせいにした
由美さんは高校の同級生で、同じ美術部の部員だった夫(享年65歳)と23歳の時に結婚する。由美さんは短大卒業後、親族の会社で働いていたが寿退社をして専業主婦になった。夫は大学卒業後、大手メーカーに就職。夫は後に役員になる上司に仲人と、長女の名付け親を依頼したこともあり、会社で順調に出世し、役員になるが、65歳の時にくも膜下出血で亡くなる。 その時まで、由美さんは何の不自由もなく、42年間の結婚生活を送っていた。しかし、夫は35歳の時から10歳年下で元部下の女性と恋愛関係にあった。彼女とは間を開けつつ30年間交際しており、「心の妻」だったという。 「主人の葬式に来た彼女を、娘が追いかけて連絡先を交換。女性から主人のことを聞き出しました。それによると、主人は私について“結婚した責任があるから離婚はしない”と言っており、“仕事の話もできない。会話にならない”と彼女の家に入り浸っていたことがわかったのです」 女性は不倫関係に悩み、30歳で別の男性と結婚し、2年目に男子を授かるが、3年目で離婚。夫のことが忘れられなかったからだという。夫は彼女に宅地建物取引士の資格をすすめ、今、彼女は不動産関連会社の経営者をしている。 「娘が聞いた話によると、毎日のように彼女の家で食事をして、仕事のことを話していたそうです。娘が言うには彼女は苦労して大学を出ており、思いやりが深く聡明で魅力的な人だとか。好奇心旺盛で計画性があり、息子さんは米国企業で働いているとのこと。“ママとは真逆の人だよ。私もあの人が母親ならよかった”とまで言うので、さすがの私もプッチーンとキレちゃった」 すると娘は、「ママがバカすぎるから、パパはあの女性のところに行ったの。ママはね、ただ守ってもらって、ほめてもらいたがって、ご飯を食べさせてもらうの当たり前だと思っているだけ! 42年間ペットと同じだったの」と怒鳴った。 「心臓が口から出るくらいのショックでした。その日は寝込んでしまったんですが、翌朝娘と仲直りしようと、娘の好物の手羽先の煮物を作ったんです」 娘は、都内で仕事をしていたが、母の手助けをするために葬式から半年間は実家で生活すると言ってくれていた。娘は、昔から朝ごはんをしっかり食べる。気まずそうに起きてきた娘は、手羽先の煮物を食べた。 そのときに、由美さんは「このレシピは、あなたの小学校時代の同級生の中村くんのお母さんに教えてもらったの。ほんとは胸肉で作るんだけど、あなたたちは骨がついていた方がいいから……」といつものように話し始めた。 すると娘は「その会話、意味がある? 小学生の同級生なんて知らないし、私の今後の人生に、煮物レシピの由来がどう関わるか教えて?」と冷静に言った。由美さんがあっけに取られて黙っていると、「だから、なぜそのレシピの話題を持ち出したのか、理由を教えて?」と優しく語りかけた。 「一生懸命考えたんですが、ないんですよ。黙っていると娘は“パパが死んだ日の会話を思い出してみて”と言うので、フライパンでパンを作る方法、読み聞かせのボランティアのメンバーの孫の話だと言いました。娘はその会話の内容も“パパに興味がないことだよね”と言い、その通りだと思いました。その後、娘とやり取りを重ねるうちに、私は思いつきで会話をしていることに気づいたのです」 それから1週間、由美さんの会話の癖のようなものを娘は指摘していった。 「話すのが怖かったですけれど、娘がいい感じに質問してくる。やり取りを経て、私は主人との心の距離が離れているのに、気づかないふりをしていたことに気づき、そのことに向き合いました」 娘は会社で部下の指導をする立場だという。彼女のアドバイスを得て、半年間、由美さんは会話を見直していった。娘は「私は私の人生がある。ママを守ることはできない。これから20年間、ママは自分一人で生きる。そのために必要な力だ」と言い続けた。