Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

デジタルとアナログのはざまで生みだすイメージ。ジョナサン・チャプリンインタビュー

配信

美術手帖

 制作が楽しくて仕方がない。ときには道に迷うことがあったとしても、前進を続け、アートにおける新たな方法論を独自に生み出す。勢いよく、リズムよく流れ出すクリエイティビティの現場の話に、こちらも興奮を覚えた。今春、アジアでの初個展をNANZUKAで開催したアメリカ人若手作家、ジョナサン・チャプリン。デジタルネイティブ世代の作家が、レンダリング技術を使って構成したモチーフを絵画として描く現在のスタイルへと行き着いた経緯や、テクノロジーとの関係性、「画家」としてのアイデンティティなどについて話を聞いた。  母親がグラフィック・デザイナーだったこともあり、アートはつねに身近な存在で、幼い頃から絵を描いていたというチャプリン。放課後に学校へ迎えに来る母に連れられて行った印刷所で、彼女のデザインが実際に雑誌などに印刷される現場を見ていた。そのインクの匂いや、CMYKカラー・モデルなどは、ノスタルジックな思い出だという。こうした家庭環境により、アートへの興味を育てていった彼だが、まさに現在の活動のとても重要なキーとなったのは、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)の絵画科での経験だ。物事を批判的にとらえて問うだけではなく、再評価していくという、アーティストとしてのトレーニングのなかで、イメージを取得・分解し、さらにそれを組み立てていく方法を学んだ。チャプリンがすでに持っていた「イメージ」について考えるプロセスにとって、非常に重要な影響を与えたという。しかし、イラストやデザインではなく、絵画を学びたいと考えたのはなぜか。  「じつのところ、最初はイラストレーターになるつもりでいまし た。出身地のジョージア州や、育ったテキサス州にはたくさんのすばらしい美術館があり、幸運にも多くのアート作品にふれることができました。グラフィックデザインやイラストレーション、ナラティブベースの映像にも興味を持ちましたが、私はやはり絵を描くことが好きなので、絵画科を選びました。RISDでは、朝の9時から夜の9時まで、ひたすらドローイングのエクササイズをする『ドローイング・マラソン』と呼ばれる9週間のコースを受講しました。それはまさに、見ているイメージを完全に抽象化していくような目の訓練でした。目の前にあるものを主題として認識する前に、形式的な要素と色調を物質的にとらえるというものです。その過程で、ある日通りを歩いていると、自分の知覚の奥行きが完全になくなるような、決定的な瞬間がありました。私は純粋な抽象化を経験したのです。ドローイング・マラソンによって、まったく違ったかたちで『見える』場所にたどり着いたのです」。  厳しい修業のような、あるいはセンシティブなトレーニングだ。こうしたなかで指針となったアーティストの存在について尋ねると、「それに答えるのは難しい」と言われた。様々なアーティストの、異なる時代の作品を見てきたものの、直接的に「いま」の彼に影響を与えているかどうかを考えてしまうようだ。それでも、もしとくに尊敬するアーティストの名前を挙げるとすれば、フィリップ・ガストンだという。  「様々な形式を使う彼のアイデアがとても好きで、学生時代によく作品を見ていました。ガストンは自分自身とある種の永続的な会話をしながら、ひとつの方向に限定せずに、『何をすべきか』というゲームを探求していました。私はそこをとても尊敬していました。また色彩に関して言えば、私はいまもウィリアム・デ・クーニングによる色使いのアイデアに支えられていますし、それを念頭に3Dプログラムを使っています。鉛筆やペンを使ってアイデアを練り、それを3Dプログラムにインポートしてコンピュータ上で操作し、実際に絵を描く段階で色を調合します。この作業は、自分が本質的にどこへ向かいたいのかを確認するだけでなく、あらゆる道を歩き回るような、実際にはもっとも難しい作業です。絵を描き始めたとき、私は自分自身の道のようなものを築いていきます。色を扱うことは、出発点では本当に難しいのですが、進んで行くとその道はスムーズになって、喜びさえ覚え、色の組み合わせに興奮したり、電撃的な色彩感覚が生まれたりします」。 デジタルイメージを変換する  本展出品作をはじめ、作品はレンダリング技術を使ってPC上であらかじめモチーフをシミュレートする手法で制作されている。もともと伝統的な方法で絵を描いていたという作家は、どのようにこの方法にたどり着いたのだろうか。  「しばらく時間がかかりました(笑)。1990年代に育った私は、子供の頃にたくさんのヴィデオ・ゲームで遊んでいました。おそらくデジタルネイティブ世代のなかでも、コンピュータとともに成長してきた最初の世代です。しかし学生時代には、コンピュータを使うカリキュラムには参加していません。独学でデジタルツールを使うことはありましたが、それが実際の絵画制作につながることはありませんでした。ようやくある3Dプログラムをゆっくりと学び、自分が作成した図面をそのプログラムにインポートできるようになりました。この種のデジタルシステムで実行できる自由は理想的なものでしたが、それを物理的で絵画的な方法にどのように変換するべきかという問いがありました。私はスケッチすることが好きです。現在の制作方法は、そのスケッチや、スマートフォンで撮影した写真、スクリーンショットのコラージュや建築写真をスキャンして、Photoshopなどでデジタル・コラージュし、これらをレイヤーとして使いながら、3Dプログラムで実際のイメージを構築し、光と色を実装するというものです」。  《Sculptures Studio》《The Collectors Home》などには、部分的にマティスやレジェ、ピカソなどによる人物像が見られる。こうした美術史の引用は、作品鑑賞を楽しいものにするための観客へのアプローチのひとつだ。チャプリンは、少なくともコンセプトを理解してもらえるように作品を制作しているようだ。  「作品における色に形式的な要素があるように、語彙を説明する方法にはメディア理論があると思います。観客が作品と対峙したときに、『何か人影が見える』というような手掛かりが、最初の段階で少なくともひとつあればいいと思います。そこから、何かを理解し ようと、より深く作品を見ることができる。『どこかで見たことのあるポーズをとっている』『何だろう?』『探してみよう』といった具合に。私が望むのは、作品が人々の疑問を誘発して対話が続き、しばらくそれが頭から離れなくなることです。Instagramを眺めるときの、あの瞬間よりは長く(笑)!」  作品やイメージの大量消費に対する作家の危機意識とも取れるが、作品をデジタルで見られるようにすることも重要だという考えによるものだ。  「人が私の作品を写真に撮れること、少なくともある程度それを読み込んで理解ができること、このふたつは非常に重要だと思います。ある意味、私が実際に手で描いているのと同じように、レンダリング技術を使い、さらにペイントして、デジタルイメージを制作しているわけですから。誰かがそれを写真に撮り、スマートフォンで見たり、オンラインで消費したりする2番目のレイヤーがあることで、作品はさらに拡散していきます。それは作品が会場に展示されるという身体的な体験と同様に重要なことなのです」。 2Dと3D  チャプリンの絵画作品を見ていると、その空間世界に引き込まれるような強さを感じるが、《Lego Man(Standing Posting)》など、逆にそこから飛び出してきたような彫刻作品も手がけている。絵画作品と彫刻作品には、どのような関係性があるのか。  「私は自分自身を『画家』であると思っていますが、絵画制作の過程で、回転させることのできる3次元のオブジェクトをデジタルで構築していることを意識するようになりました。描かれたものを実空間に引っ張り出し、彫刻として物理的に見てみると、2次元の絵画はどのように見えてくるか考え始めたのです。それは現実を読み込むための、複数のレベルを持つことにつながる。イメージや絵画、または物理的な彫刻のリアリティ、絵画における色のリアリティ、そしてある色面は画家が強調するために描いた痕跡なのか、または物理的な光が落とした影なのか、つまり「現実」とは何かを考える奇妙なアイデアになっていったのです。これにより、無限の可能性を伴う非常に多くの新しい問いが開かれたことに興奮しました。それは文字通り、3次元の彫刻を物理的に引っ張り出すことから始まったのです」。  このような絵画から彫刻への移行にも、日頃からテクノロジーを 巧みに使い分けながら制作をしている印象を受ける。デジタルツー ルを使うときの規律や自制はどのように身に付けたのか。  「面白いのは、いわゆるデジタルなバックグラウンドを持つ人は、明らかに私よりも多くのことができることです。私はデジタルツールのプロではなく、本質的に知る必要のあることはすべて独学で身につけました。しかしそれも一種の強みだと思っています。3Dについてよく知る人と話し、私のファイルを見せると、『おいおい、なんだこの散らかりようは!』なんて言われることもあります。それでも私にとっては機能していますし、このアイデアを気に入っています。デジタルツールを使いながら、さらに新しい方法を見つけていくのです」。  一種の実験として、アニメーションにも3Dプログラムを試したチャプリン。しかしこれは完全に別のツールボックスであり、たまにそこへ手を伸ばして使ったりはするものの、それをどのように作品として提示できるのかについては、まだ完全にはわからないという。制作のための作家のルールと直感があり、映像やほかのメディアによって作品を提示するときには、まったく別の論点や課題がセットになる。それでも実際に、動画作品もつくろうとしている。  「モーション・キャプチャを少し試しています。自分の身体をキャ プチャし、それをキャラクターと結びつけて、どのように動くかを 実装するのです。VRの使用についてもよく考えていますが、そこにも罠があることは知っています。新しいテクノロジーには、それ自体が実際のものを超えて、まるでギミックのようになる危険性があります。新しい技術を使うことによる作品への付加価値はあるのかを考える必要があり、突如VRマシンを作品に取り入れた場合、そこに追加される唯一の価値がVRマシンそのものであってはならない。本質的に、観客とマシン、そして新しいテクノロジーという関係性だけが一人歩きしてはならないのです」。  話していると、彼からは度々「画家」であるという強い自負を感じた。それはまた、デジタルツールを使いながらも、マテリアルを信頼している現れだ。  「そうでなければ、私は絵を描いていません。コンピュータでスケッチをするよりも、実際に絵を描くことのほうが難しい。こうした制作の要素が、私にとって作品を現実的なものにしています。この つながり、触感こそが作品の一部です。色を混ぜたり、パネルにフォームを描いたりするときの最終的な決定により、作品が完成するのです。制作の過程では、ただコンピュータ上で行うだけでは十分な根拠を見出せないと思います。それは絵画に訪れるべき『成功』ではないのです」。 (『美術手帖』2020年6月号 「ARTIST PICK UP」より)

文=かないみき

【関連記事】